こんにちは、macchanです。
前回、行きたい気持ちがふっとでてきてしまうトリガー
原因を冷静に書き出して、その対策を練るというお話をしました。
今回は、ちょっと変わりまして
禁パチをしながらその学びを謙虚に伝えていく
尊いお話をあんま尊くない私ががんばって話してみようかと
思います。
まず、このお話を始めるにあたって
現在お世話になっております
小牧清立 さんのブログ
「心のものさし」(下記に関連URLがあります)
でお話がありました記事を抜粋してご紹介したいと思います。
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「驕慢(きょうまん)」という心
「自惚(うぬぼ)れをもち、知らないことをも知ったふりをして
道しるべをも無視する心。」
私たちには知らないことが多すぎる・・・という自覚を持ち、謙虚な心でそれぞれの「道しるべ」としての学問を学んでいくことが、とても大事なことであるといえるのです。
詳しくは下記より閲覧できます。
http://ameblo.jp/renngyouji/entry-10092467660.html
(小牧さん、抜粋を了承頂き感謝致します)
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私は禁パチについていろいろ書いてきましたが
だんだんこの「驕慢」という心が出ていたことに
はっ!と気付かされました。
自分は禁パチが上手くいっているのをいいことに
「なんだか禁パチの全て」をまるで悟ったかのような
おごった心で、最近禁パチにのぞんでいたということ。
この話を聞いて、自分はわかったつもりで何もわかって
いなかったという事を深く考えさせられました。
どんなことでも、学びに終わりはありません。
こう言うと、結構疲れちゃうのですが
「一生学んでゆく」
この謙虚な姿勢が非常に大切なことであると思いました。
私は以前からいっておりますとおり、人に物を
教えるほど出来た人間ではありません。
まだまだ、私自身いろいろなことを学んで
いかなければならないという自覚があります。
その学んだことについて、こういう考えがあるよって
このブログやメルマガを通して、お伝えして
誰かの役になってもらえればという気持ち。
全ての人に受け入れられなくても
私の話を聞いて「お!」っと気付くことが
あれば、それだけでも今まで私が
学んできたことをお話する意味が出てきます。
ただ、そのお話する姿勢は常に謙虚で
私自身も禁パチを学んでいる身。
いつまでも、おごれること無く
精進していきたいなと思いました。
人は非に気付いたときに、改めればその時点から
謙虚な気持ちで物事を学ぶという姿勢です。
これが、気付いても我を通して言い訳をしたり
非を認めなければ、驕慢の心がでています。
しかし、その驕慢の心がでていることすらも
私は学びの1つだと考えます。
そして、あるとき・・・
「あ!いけねぇ。今まではこういうこと
言われたら、てやんでぇ!ってかっかしてたけど
よくよく考えたら俺に非があるじゃねぇか。少し
改めてみるか」
と、こういう謙虚な気持ちがでてきたら
驕慢な心という学びを終えたことになるのかな
って思いました。
どんなことでも。それが良いことでも悪いことでも
人生は常に学ぶことだらけです。
禁パチも同じです。
失敗するのは禁パチという学びが終わってないから
であって、人生において禁パチという学びが早く終わるか
終わらないかの違いだけです。
けど、この学びは放り出すことはできませんし
人に渡すこともできません。
あなたの学びはあなたが学ばなければ一生終わりません。
人間はやりそこないます。
それが2~3回で出来るようになるか
1000回で出来るようになるかだけです。
どんな学びでも謙虚に受け入れて、一歩ずつ
確実に問題を解いていく。
試験みたいなもんなんだなって思います。
この考えは私が大ファンである「斎藤一人」さんの
考え方を私なりに咀嚼してお話してみました。
人生において、禁パチもそーだし、他のことも全部
問題を解いていく。その問題からは逃げられないから
さっさと取り組んだ方からどんどん学びを終えていく。
常に、身の回りに学びがあることを
謙虚に受け止めながら自身の向上が図れれば
良いかなというお話に落ち着きました。
私も禁パチについてもっと理解を深めながら
面白い考え方をブログでお話していきたいと
思います。
面白くないものは私はあんま好きじゃないので
なるべく愉快な考え方を伝えていければなっと
思いました。
ありがとうございます。