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おっぱいトレード

おっぱいが幸せだと受け入れるってちょっと楽しいよね。

こんにちは、macchanです。




昨日は競争心を無くすという話をしました。
競争ではなく自分と周りを比べずに争わない心。
こういう心で物事を見ると、心が凄い楽になるという話でした。




5月も明日で終わりますね。GWに群馬は月夜野まで行き
そこから東京に南下してくる間にあるパチンコ屋全てに
手を合わせて拝んできたのが懐かしいです。
↓GW企画 禁パチ巡礼ツアー↓
http://ameblo.jp/macchan5839/entry-10093481026.html





さて。6月に入り、一週間が過ぎると私自身の禁パチが2ヶ月となります。
私の今までの最長記録が3ヶ月なのですが、あと1月で記録更新できることを
嬉しく思いながら、日々禁パチしております。




その最長記録3ヶ月の時は「CRウルトラセブン」を打ってしまい
ストレートで3万近く負けました。
すでに金銭感覚が戻っていた私は3万負けたことで一種のパニックに
陥ったのでしょうね。





その日は寝ている間中、身悶えながら苦悩しました。
「なんで?なんで?」
「あれほど行くなって思ってたのに」
「あぁ、やっぱやめられないんだ」




この頃、心から沸きあがる「いきたい気持ち」を消す方法は
すでに知っていたのですが、身についていなかったので
何故行ってしまったのかが本当に分からなかったのです。




この日は心が本当に潰されそうなくらい重くなって
自分を責めて責めて・・・・あきらめてしまいました。




良心の呵責に耐えられなかったのでしょうね。
パチ屋にどっぷり溺れた方が楽だったのです。
それが結局麻薬と同じ効果を生み出すことをわかっていながら
奥底ではわかってなかったのだと思います。





ぬる湯にドップリつかりながら3年間(今日に至るまで)
しっかりパチンコ屋にお金を納めつづけました。
借金もできました。





いやー、目がさめて初めて気付いたのですが
この一連の行い全てが自分がやめるに至る修行だったんだと。




修行とかいうとね。
この言葉に親しみがない人にとっては不気味な言い回しですよね。
私も20歳以前に修行なんて真顔で言ってる奴がいたら
ドン引きですよ。





飲み屋で「オレ、修行してるんだよねー」とか行ってたら
KYDJっていうの?これですよこれ(使い方あってるか心配




このブログでも、修行とか書いた瞬間に
「キモッ!死ね」とか思われて、別ページに飛ばれたら
悔やんでも悔やみきれません。





だから、まぁなんでもいいんですが
心のトレーニングをしていたわけです。
「心トレ」ね。




思い返してみてください。
私は8年でしたが、それよりも多くパチに時間を費やして来た人も
沢山いると思います。





パチンコをやめた時に、1つの心トレが終わります。
それまではトレーニングなので、やっぱ辛いことも多いんですよ。
楽なことばっかしてたらトレーニングにならないからね。




えっほえっほ鍛えて、すぐにこのトレーニングが終わる人もいれば
中々終わらない人もいる。
でも、トレーニングし続ける限りはいつか終わりはあります。





例え話で申し訳ないのですが





パチンコやめる為の心をつくる山があります。
この山で色々なことを学んで、もう大丈夫だと思ったら
山の神様が最後の試練を出してきます。





その試練に負けないで、いきたい気持ちを無くせれば
修行は終わりです。
その時の自分は、山に登る前の自分とは見違えているはずです。





釈迦さんもキリストさんも何年だったかな・・・
たしか6~7年修行したんですよ。(話きいただけですが)





で、今は山に登るとかそういう修行はあんまし普通の人は
やらないですから。
こういう形で修行というものが出てくるんです。





なんでパチやっちまったんだろう。。。
パチが無かったら人生絶対いいほうに変わっていたよ。。。
あぁ~・・・もうやる前には戻れない・・・




こんな風に思う事があったら
そんなことはありません!と声を大にして言いたいです、




どんな修行(以降は心トレっていいますね)でもやる事には
必ず意味と成果があります。
自分に足らない部分があるから、それを補う為に心トレが始まるんです。
それは絶対に逃れることはできません。





というか逃げても、結局同じ問題にあたります。
そこで心トレして、強くなっていく。




もし、自分はパチンコしてなんでこんなに辛いんだろうと思ったら
自分は今、心を鍛えるトレーニングをしているんだと思ってください。





パチンコしてたことを無意味な時間だったと言いますが
パチンコをやめれたら、それは無意味な時間ではなかったと
私は思います。





あの頃の自分とは違う、確実に心は強くなったと。
そう思うほうが得した気分じゃないですか?





パチに費やした時間を決して損していたと思わないでください。
物事はどんなことでもプラスに考えられます。
それで私は、こういう風に考えてます。




パチしなかったら良かったのにとか
パチやめれて良かったけど、いつまで続くやらとか
そういう周りの否定的な意見に耳を傾けないでください。
自分の心が明るくなる言葉だけを取り入れてください。





周りの人も、別になんの気なしにそういうことを言うんです。
そういう言葉がどれだけパチやめようとする人のやる気を奪うか
パチンコをやめる心トレをしてない人はわからないんです。





特に、周りがパチをやってて、自分がやめるというと
周りはやめてほしくないから
誘ってきたりパチの話をしたりして誘惑するんです。




だからそれも心トレだと思ってください。
言われても最後に決断するのは自分です。
これは凄い心トレだな、、、へへ。とっつぁんオレはやるぜ。
とか思ってれば案外気持ちを簡単に立て直せます。





やめようとすればするほど大変な心トレが降りかかります。
ただ、それはあなたを苦しめる為ではなく
ちゃんと心トレが完了できるかをテストされているんです。




そして、心トレを終えて帰って来たあなたは見違える姿に
なっているんです。
こういう見違える自分をイメージしてくださいね。





イメージできなきゃ、凄い修行を終えたドラゴンボールの
キャラを自分に置き換えたりしてくださいね。




ポジティブってこういうことなんじゃないかと思います。
別に能天気って訳じゃなくて、どんな過程や結果も
自分のプラスに考えること。





私も、まだまだ「失敗した」と悔やむこともありますけど
こういう気持ちを忘れずに日々、心トレしたいと思います。





ありがとうございました。



こんにちは、macchanです。
今日は競争心というものについてお話をしようかと思います。




タイトル通り、この「競争心」を無くすということですが。
自分でも上手く書ききれるか微妙です・・・



この話は

パチンコをやめたい!って人や

人生にちょっと疲れてる人に聞いてもらいたい話です。

その為、いつもより熱がこもって(本気)おり読みにくいかもしれません。



もちろんいつもどおりに期待せずにこんな考えなんだという
思いで聞いてみてください。




競争って聞くと、パチンコ屋に行ってる人にとっては
何もかもが競争ですよね。




朝の並びをどれだけ前にいけるか。
開店と同時に、お目当ての台を取れるか。
座って、周りを抜いて出玉を出せるか。
トータルで勝組になれるか。




まぁ適当に考えただけで、これくらいスラスラリンチョと出たので
およそパチンコは競争みたいなもんだと思います。




人はこの競争心を持って、進化向上していったという考えがあります。
例えば、ウホウホなくらい昔は、やっぱ部族で一番になりたいと
ウホーンしてウホウホとがんばってウホッ?って一番になって
うん、全然意味わかんないよね。




戦国時代は武将が天下を取る為に、武力や知略を張り巡らせて
我こそはと争いながら天下統一を目指したわけです。




これはそういう時代にはこの競争心が必要だったという事かと思います。




今の時代、この競争心というもの。
私はあまり必要ではない、というかこれに固執すると幸せになれない気が
しております。




人は他人を蹴落として、出世を目指して、ずっと競争競争!ひたすら
他人と自分を比べて、相手を出し抜き、上を目指していくというような
考え方は漫画とかでも耳にしたことはあると思います。




そういう考えでも良いと思うんです。
それでTOPを目指していくっていう原動力になってね。
もちろん否定はしません。




ただ、こういう考え方もあると思うんです。
周りと争う事をやめる。
争うという気持ちを、無くして物事を考えてみる。




勉強とかでね、一番を取れ!沢山点をとれ!って
周りから言われて、勉強しても誰々に勝てなかったとか
いってガクッてなる。




別に誰々に負けても何も困らないだろうと。
これが戦国時代だと殺されちゃうんですが
今はそんな時代じゃないだろうと。




人が負けたと感じる時。負けた事実はしょうがないんです。
ただ、その時にどう捉えるかなんです。
勝ち負け関係なく楽しんでやったか、勝ち負けに固執して
楽しくできなかったか。




あのですね、私は団体スポーツが大嫌いなんですよ。
なんで嫌いかっていうと、昔サッカーでも野球でも
ちょっとミスすると怒鳴る奴がいるんです。
勝たなきゃ意味がない。なんでお前はミスするんだ。
足を引っ張るな!ってそこまで言わなくても
そんな風に思われる態度を出すんです。




そんなことされながら一緒に楽しむことなんて
絶対できないじゃないですか。
楽しむ事を置き去りにして、勝つ事に固執する。
そして、周りもそういう気持ちにさせようとしても
周りはそれが楽しくないんです。




だから、私や周りは勝ち負けなんかどうでも良くて
はやくおわんねーかなとか思うんです。




もちろん、全てに当てはまるわけじゃないです。
アスリートとかスポーツ選手は勝って何ぼの世界ですから。
そういう事じゃなくて、普通の生活を送る上での話ですよ。




日常生きる上で、争わないで困ることなんてほとんど無いんです。
食べ物奪い合ってないですよね。
衣類を山賊の様に身包み剥して手に入れてないですよね。
家も誰かの家に強盗して、そこで寝たりしてないですよね。




普段の生活の中で、この競争心なんてものは持つ必要ないと
思うんです。




部下を誉めて伸ばすっていうのは、あいつが凄いからお前は
もっとがんばれ!とかよく売り上げたな!次はもっとがんばれ
とかじゃないんです。




よく出来たね、おめでとう。
この一言で終われるかどうかだと思います。
そこに競争させようとする心はありません。




子供とかでもそうだと思います。
勉強出来たね、偉いね。
運動会でがんばって良くできたね。
人と比較しないで、そのままを受け入れて愛してあげること。
そういう心をもって接してあげれば、子供も親のプレッシャーに
潰されないのかなって思います。




これが受験戦争だ!とか周りは出来るのになんでアンタは出来ないの!
とか争わせようとするから、心が疲れちゃう気がします。
自分の子供を戦争の兵隊みたいに扱ってしまう。




戦争とかの映画で、ほとんどの人は戦争を楽しんでなんかやってないですよね。
みんな辛いんです。特に末端の兵士なんて凄い戦争が嫌なんです。




それと同じ事をして争わせようとしてないか、また争っていないか。
私は、そう思わせたり思ったりしないよう気をつけています。




話がそれてしまいましたが。。。
結局、考え方一つで争わなくても済む考え方があるんです。
争うと、負けた時に幸せじゃなくなってしまうんです。




これが、勝ち負けを皆で楽しめるくらいなら全然いいんですよ。
ゲームとかなら楽しいじゃないですか。
度を越えた競争心を持つと、自分が辛くなりますよって事です。




あいつに勝ちたい、こいつにだけは負けられないという心でいくか
勝ち負けこだわらずに楽しんで日々生活するかです。




およそ日常起こる争いの中でね、考えてみてください。
それに負けたら自分は死ぬんですかということを。




極端な話じゃなくて日常誰にでも起こりうる争う場面での話ですよ。
仕事で重大な案件が取れなかったなどから飲み屋でのケンカまで。。。




それに負けても死なないですよね。
生活も生きていけるだけの水準は常に保たれるはずですよね。




人は争わなくても生きていけます。特に今の日本では不景気だ
なんだといいますけど、不景気で死んじゃうならパチンコが30兆産業になんか
ならないんですよ。




だってパチンコで餓死なんてしませんよね。
聞いたことないですよ、パチンコ屋でハンドル握ったまま餓死した人なんて。




借金とかでクビが回らなくなってとか
お金に振り回されてどうしようもなくなってしまうっていうのはありますが。




パチンコを趣味で楽しむって人は、この競争心。
なんとしても出玉をだしてやろう!って気持ちがない気がします。
勝ち負けにそこまでこだわらないってことです。




およそ、パチをやめられない人は(私もそうでした)
この競争心に振り回されてながらパチンコをしているような気がします。




この話すると、新聞とか読んでないのがばれるんですが。
私、つい最近スーパーから「バター」が消えたことを知ったんですよ。




で、みてみると本当にないんです。
あんだけあった雪印のバターとか綺麗になくなってるの。




きいた話だと、バターを4個くらい纏め買いして冷凍してる人もいるとか。
私の彼女さんが「買っておけばよかった!」と凄い悔しそうなんです。




そこで笑いながら言ったのですが、別にバターが無くても死なないだろと。
毎日ケーキやパンでも焼くの?って聞いたらなんか損した気分みたいな感じなんです。




およそバターがスーパーから消えて、生活が180°かわるわけじゃないですよね。
その気になればマーガリンだって代用できるはずです。
ケーキ屋さんとかバターを使って仕事をしている人じゃないですよ。
普通の消費者に関しての話です。




どんなものでもそうなんですが、それが手に入らなくてイラ!って来た時
「お前はそれが無いと死んでしまうのか?」と問うと
全然それが無くても生きていける事がわかります。




無い物を争って手にいれようとするから苦しくなるんです。
有る物を分け合って使えばいいじゃないかと。
無きゃ無いで、知恵もあるんだから他にいくらでも代用がきくだろうと
思うんです。




パチから大分話がそれてしまいましたが
パチンコも結局は限りある玉を奪い合いながら争っているんです。
(際限なく玉をだしたら、店は儲けがなくなっちゃいますよね)




奪い合うっていうのは誰か奪われて悲しむ人間がいるってことです。
それを胴元の店が、なるべく対個人間の争いにみせないように
コンピューター制御の台で、あたかも店と争っているように
思わせている気がします。




よほどの人間でもない限り、これで負けたら自殺する人間から
ギャンブルで勝ってもお金はうけとれないですよね。
むしろ、ギャンブルなんてしてないで、再生しようよ!って
言いたくなりますよね。心配しちゃいますよ。




でもそういうお金を奪い合うことが、パチンコ屋で台を前にしていると
気付けないんです。自分の大当たりが、他の誰かを傷つけていることに
気付けないんです。




あれが、麻雀みたいに個人間でのやりとりみたいな感じでしたら
私はあそこまで巨大な産業にはなっていないと思います。




誰だって良心がありますから、他人の不幸を目の前に自分だけ幸せ
になろうなんてことは中々本心からは思えません。




このブログ、パチンコ屋に行ってる人も見ていると思います。
自分の生活が破綻しないように上手く付き合えれば行っても良いと思います。
だって、突き詰めればゲームのようなものですから。
勝ち負けを楽しみながらできる程度にみんなで遊んでれば楽しいんです。




それが出来なくて、勝つ事に固執して、結果人生を破綻させてしまう。
それならそういうことはやめようよって話です。




人生を生きる上で競争心という心がふっとでたら
「負けても自分は死なない」と思うだけで、凄い心が軽くなりますよ。
負けてもいいっていってるわけじゃないですよ。
勝っても負けても自分は幸せなままだと感じてください。




そして、パチ屋で負けて「取り返してやろう!」とか考えるのは
非常に危険ですからね。大体取り返せずにもっと取られますよ。
そう考えてしまうくらいなら、行きたくなってもちょっと我慢して
みてください。




拙い文章で上手く伝わるか微妙ですが
何人かに一人でも気付いてパチンコをやめられることを願います。




ありがとうございました。

ブログネタ:幸せってなんですか? 参加中
本文はここから

こんにちは、macchanです。



今回は、ブログネタから1つ。
幸せとは。




んー、深い題材ですよね。
以前にも、幸せって?みたいな記事を書いたのですが。



人にはそれぞれ自分が思う幸せ感があって
それが満たされるか満たされないかってとこなんです。



私も自分なりの幸せ感があります。
もちろん大小さまざまな幸せがあります。



そしてそれは絶対的な幸せであることが大事だとお伝えしました。
相対的な幸せでは、永続的な幸せは望めません。




絶対的な幸せと相対的な幸せについて書いてしまうと
いつかの記事と内容が同じになってしまうので
興味のある方はこちらを参照してください。





で、ここでは簡単に幸せになるやり方を話します。
簡単です。初めは意味がわからないと思います。
やりつづけてみるとわかります。



それは「幸せです」と言う事です。
毎日「幸せなんだ」と呟くだけです。



これだけでなれるのか?って言われたら
私はこの方法で幸せになったのでなれると思います。



これを言いつづけると「自分が不幸」だと思わなくなります。



よく、幸せになりたいなぁ。とか幸せが欲しいとか言う人がいますが
そういう事は言わない方がいいです。
今が幸せじゃないと、その先いつまでたっても幸せだと思えないんです。



もうちょっと砕くと
幸せということに気付けない。ってことです。



ここで、相対的な幸せを求めてしまうと辛くなるんです。
○○があれば幸せ。となると、○○が無い間は不幸になってしまいますよね。
不幸とまでは言わないけれど、幸せじゃないなってくらいに思いますよね。




絶対的な幸せとは、○○が無くても、今現在△△があるから
十分幸せなんだと思うことです。




これを「足りるを知る」と言い
今現在、足りていることに満足する。




そして、成長する過程の中で○○が必要となれば
その過程自体を楽しむ。



成長過程を楽しむとは
ピアノを始めたいと思った時に、いきなり先生には慣れないですよね。
そこで、自分のペースでピアノを練習して、上手くなることを楽しむ。
これが成長しながら、その過程に幸せを感じるということです。




これが、親から「アンタは絶対にピアノの先生になるのよ」と
しごかれたら・・・楽しくなくなっちゃいますよね。
その過程は幸せではないですよね。




自分が出来る範囲で、成長していくことを楽しむ。
仕事でもそうだと思うのですが、生活が足りていることを知り
あとは、自分が出来る範囲で成長していけばいいと思うんです。




それをやれば幸せだと思うんです。
誰かにむりやりとか、あれがなきゃ絶対嫌とかいうから
幸せじゃなくなっちゃうんです。




特に、今は物質文化ですので欲しい物があればすぐに欲しがり
手に入らなければ奪ってでも取ってやろうとかなっているのが
ニュースとかにも出たりしています。




天国の話というものがあります。



ある人が夢の中で天国と地獄の両方を見せてあげると神様に言われました。
その人はまず地獄を見に行きました。



そこには1つのテーブルがあり、そこに沢山のご馳走が並んでます。
そのご馳走を、沢山の人が食べているのですが
使っている食器が凄い大きいのです。
フォークやナイフが等身大くらいあるので、食べる度に
人に当たってしまいます。




人々は自分の食欲を満たす為に、その食器が相手に当たろうと
お構いなしにご馳走を食べあっています。
中には怪我をしたり、争ったりしている人もいました。



まさに地獄だなと思ったその人は、神様に次は天国がみたいといいました。




天国に来ると、そこにも同じテーブル・ご馳走・大きな食器がありました。
しかしここにいる人たちは、その大きなフォークに食べ物を乗せて
別の人にご馳走を食べさせていました。




みんながみんな、大きな食器を使い相手に食べさせてあげる。
そこはみんなが幸せな場所でした。




地獄と天国。
あるものは同じなんです。
違うのは考え方や行動だけ。




この世が地獄だと言う人は、結局そこが地獄なんです。
この世が天国だと思えたとき、そこが天国になります。




幸せになる為には、一番初めにすることは
自分を幸せにしてあげることです。




自分が満たされると、今度は相手を満たしてあげたくなります。



そして自分を幸せにする為に、何かを奪うとかじゃなくて
「自分は今のままでも十分幸せだ」と思う。
それを口にだして、言葉を溢れさせる。




今、幸せですか?の問いに即答で「幸せだよ!」って言えた方が
「う~ん・・世知辛くてね、中々」なんていうよりカッコよくないですか。




ただ中々、幸せだよ!とはいえないから
言えないなら言えるように練習すればいいというだけです。




とっても簡単です。
幸せだよと口癖のように練習してれば、心はどんどん満たされていきます。



こういうことをやる前までは私自身、物欲の塊だったんです。
あれがないと気に食わない。絶対欲しい!もう何が何でも!!
・・・一人っ子のワガママ放題で育った私は常に満たされない心で
あれがほしい、これがない、幸せじゃないと言い続けていました。



こんなこと言い続けているので、その通りの人間のまま
なんも成長がありませんでした。



今はおかげさまで、欲しい物はと言われても即答できないくらい
欲しいものがなくなりました。
まぁ実際は家とか車とかは欲しいですが、それを得る為に
仕事をがんばって励んだりその過程を楽しみにしたりしています。
(思いたったら借金してでも欲しいとかじゃなくて)



人は言葉から変わります。
簡単な「幸せだな」を小さい声でも良いですから
いい続けてみると、少しずつ幸せになりますよ。




幸せってなに・・・?




私はそんなものだと思います。
ありがとうございました。