アンコールワットの遺跡に魅せられて
アンコールワットの歴史について
クメール人って?という所から
調べているのだけど、
カンボジアを語るにあたり
やっぱり出て来るのが
クメール・ルージュによる大量虐殺の話。

インターネット上でアップロード
されている画像等を見ながら
本当にショックとやるせなさで
いっぱいになってしまいました。

本当に読めば読むほど滅入ってしまう。

私はアムステルダムに行った時に
アンネ・フランクが隠れ住んでいた家
にも足を運んでみた事があるのだけど、
殺されるという恐怖とはどんなものか、
という事をアンネの辿った運命を思いながら
自分自身が戦争を知らない世代の、
戦争のない国に生まれ、育ち、
幸せに生活させて頂けている幸運に
とにかくとにかく感謝する事が時々ある。

カンボジアで虐殺された人々は
殺される前に拷問を受けたり、
医学の知識どころか、
文字すら読めない子供に医療をやらせ、
手術とは名ばかりの人体実験をさせられ
苦痛に呻きながら亡くなられた方も
沢山いるという事も書いてあった。
フランスの統治下だった頃は
教育も行き届いた社会だった
らしいのだけど・・・。
クメール・ルージュは
先ずは学のあるものを、
とにかく片っ端から処刑したらしい。

21世紀の今となっても
カンボジアに埋められたままの地雷
によって手足を失ったり
亡くなられる方々がいる事も
読めば読むほど痛々しく感じる。

当時処刑される事になった人は
番号を付けられ写真を撮られた、
と書いてあり、博物館では
処刑された方々の写真と
白骨の山が残されているらしい。
写真を見ると、それだけで
写真を撮られた後に
彼等彼女等を待ち受けていた
『拷問ののち、処刑』という運命に
『希望がない』という事が
どれだけ絶望に満ちたものなのか、
それを想像するだけで目眩がしてくる。

恋を知らずに亡くなった女の子も
いるだろう事を思うと
悲しくやるせない気持ちになる。
恋は人を愛する事。
両思いでも片思いでも
本当に素晴らしいものなのに。

戦争や虐殺などの書物を読むとき、
私はいつも暫く放心状態になってしまう。
経済関連書物を読んでいる時は
明らかに脳で読んでいて、
『ああ、そうか!』
『そういう見方もあるなぁ』
など、ワクワクさせられる事ばかりだけど、
戦争や虐殺に関する書物は
大抵は心で読んでいるためか、
20世紀に起きた事はまだ『歴史』
として消化しきれない部分がある気がする。

私は日本に生まれ、
日本と西ヨーロッパの恵まれた環境の中で
何不自由ない生活を両親から与えて頂き、
時に周囲と多少の衝突はあっても
極力は仲直りに成功し、
また何気にみんなが秩序を乱さず生活し、
殺人などはニュースで時々見る無縁の世界、
ましてや戦争など想像がつかない、
そんな環境で生きて来た。

だけど世界の人から話を聞く事で
間接的に教えられる世界は大きい。
そして知ろうとする事こそが
すごく重要な事なんだと思う。
知ろうとする方法は幾らでもあって
旅だけでなく、書物や
インターネット上の情報提供から
知る事ができる。

世界の人は親切だ。
旅に行けない人の事を思いやり
こうしてインターネットという
無料図書館に情報をアップ
してくれるのだから。

ちなみに日本でもバックパッカーは
ポピュラーになって来たみたいだけど
大学生になって一生懸命バイトして
世界へ向けてバックパッカーで
旅をしながら世界を練り歩く事は
とても重要な気がして来る。
ヨーロッパでは社会人でも、
仕事を辞めて数年世界を
練り歩く人は結構いる。
(とは言っても、ヨーロッパでも
それは80年代以降に大学生だった
世代だと思うけど。)

私は、アンコールワットの遺跡に
魅せられているものの、
カンボジアの人達が通った運命を
今はまだ目の前にする勇気が出て来ない。
行って目の前にして耐えられるか、
やっぱりわからない。(p_q、)

だけど、改めて考えさせられる事は
本当に沢山ある。

私はできれば、どんな人とも
やっぱり仲良くしたい。
私も人間だからダメダメな時も
もちろんあって失敗する事もあるけど
出来るだけ色んな人と壁を作らず
心で繋がって行きたい、
と改めて思ったりするこの頃です。