9月の半ばだったろうか。

部屋にいるとき、なにか活字を読みたくなった。

あまり読まないようにしてたんだが(気分が乗らなければ)

読みやすいのがいいな、と思い村上春樹を読もうと思った。

『羊をめぐる冒険(上)』を手に取り(村上春樹はこれしか持ってない)少しずつ、文章を読んでいく。

ここ数年(2013年頃から)まとまった活字を読まなくなってきたから、退屈しのぎが多少外向きになってるのを感じた。

 

シミ一つない組織のナンバー2の男。

 

1979年当時、なにを感じてこのような人物を書き上げたのか?

ほかの作品も読んでみたいと思ったが、あまり自身の感度に合う作品がなく(恋愛小説の『ノルウェイの森』の恋愛は少し違うなと思ってる)、印象に残ってる『1Q84』を読み返してみる。

 

月が二つ浮かんでいる

 

月?

月などほとんど気にかけないな、と思った。

中秋の名月の頃、多少ニュースで耳にするくらいだ。

空を見上げても二酸化炭素や窒素酸化物(NO×)で汚された大気には星一つ見えない。

そんな時

 

先週中頃(17(火))、二つの中性子星合体を観測とニュースでやっていた。

 

中性子星。

 

この捕らえ難い存在をなにかと対比してしまう。

 

陽子と中性子。

太陽と月。

そして、中性子星と月の類似性。

 

先週中頃(19(木)に職場の休憩室で隣に座った女性が月の図案が載ったテキストを読んでいた

 

「仏法は思考法なんです」

そのハルキストの後輩は確信を持った声で自分にそう伝えてきた。

 

思考法。

 

その言葉は説得力に満ちたものだった。

決して蛮勇から出た勢いのものでなく、浅はかなその場しのぎの言葉でもなくそれなりの思索の上から出たものだった。

 

九思一言。

 

彼からは落ち着いてことばを選ぶような間が漂っていた

自分がこのような感覚を抱いた人物はそうはいなかった。

 

彼にも当然欠点はあった。

あまり活動的でないこと。

二浪して創価大学に入学した彼は鬱に苦しみ、アルバイトなどもせず、できる限り学業や創価学会の活動などをしているという感じだ。

二十歳そこそこの自分はそれなりに活動的で大学生らしい遊びや金を稼ぐことにもそれなりに興味を持っていた

 

「自分はハルキストなんです」

と彼が言ってた通り、活動的なことには敢えて一歩引いて流されずに自分のペースを持もつということに決めてるようだった。

 

例えば公明党の支援活動。

創価学会の学生部員の活動家なら暗黙の了解で取り組むものにも彼はどこか一歩止まるというものがあった。

「選挙戦苦手なんですよ。」

皆が右向け右と真っ白な窒素酸化物のような号令に従ってるときに彼はそこはたとなく淡々と行動には移さなかった

かくいう自分も右向け右にしっかりと従ってた一人でなぜかそう呟いてた彼の一言一言が耳に残ってる

 

しかし、彼はただの行動しないという創価学会員ではなかった。

彼の祖父は1950年代の創価学会草創期に日大講堂に10人もの外部の友人を招待した活動家の中の活動家であり、彼自身も折伏(勧誘して入会させる)には能動的に取り組み、その対話のうまさでは一、二を争った

しかし、彼の父はそんな父(彼の祖父)を見ていたのになぜか未活動家で、創価学会の信仰には懐疑的なようであった。

そんな二律背反する信と不信の間を揺れ動き、彼自身に絶対的に正しいものはないという姿勢をとらせたのかもしれない。

 

「ほっとけなかったんです、彼らを」

彼らとはハルキストの後輩が折伏(勧誘して入会させる)した友人たちのことであり、彼らは三人とも内気で教室のはじっこにいるというタイプだった。(一人はオレンジの名もわからないような雑草。一人は痩せ枯れた低高木という印象)

自分もどちらかといえばそういう人たちを気に留めるタイプだったが、彼のそのことばには単なる宗教のボランティア精神ではない確かな響きがあった。

彼が多く語らなかった分、また、あまり世辞に疎かった分そういう宗教的な響きが備わったのか?

 

自分はそうでないと思った。

 

単に仙人的な生活をしてれば他者に優しくできるというものではない。(涅槃経の僧侶がテレビに出て、池上彰の解説のようにわかりやすくやってくれるだろうか?)

彼は特に頭がいいというほどでもなかったが、英語の勉強を楽しみにしてるようだった。

 

思考法。

 

彼が仏法(創価学会(日蓮仏教))と英語のなにを対比してるのかわからない。

しかし、なにかしらの発見を見出してるのはその一言ひとことから感じ取れる

 

三人の折伏された(勧誘され入会した)友人は喜々として活動に取り組んでいた。

それは無味蒙昧にユートピアにたどり着いたというお花畑的なものでなく、こおろぎが人知れず鳴きたいだけ鳴くという自然なものだったように観える。

彼らは自分より三つほど年下でゆとり世代に入る手前くらいだったと思う。

そんな彼らはいったいなにに希望を見出したのか?

昭和末世代生まれの自分は疑問に思うところである。

 

一か月前ほどの中秋の名月の頃。

彼岸花がそこはたとなく咲いていたのが目についた。

それは燃えるような赤で死のイメージを喚起させたが、流れ出る血潮のような情欲も感じさせた。

彼岸花(曼珠沙華)蓮華は仏法でも代表的な二つの花として記されてる。

 

月と中性子星は似ている。

彼岸花と月の季節感の一致。

彼岸花と蓮華という二つの花。

彼岸花(月)と蓮華。

彼岸花(月)と蓮華((?)ここにはなにが入るのだろう?中性子星なのだろうか?)

 

ちょうどその頃、天皇陛下も埼玉の高麗神社(渡来系神社)で彼岸花(曼珠沙華)を観てたという。(天皇陛下は彼岸花になにを観ていたのだろうか?)

自分がそのようなことを世間で語ることはないかもしれない。

 

ただ、九思一言。

 

どこからはたともなく花の芳香のように滲みでてくるもののように思えてくる。