帰宅すると外出してるのか、母親いず。
なぜか、弟が筋トレで部屋をびちゃびちゃにしてる。
きょうはスマホを家に忘れ色々と不便すると思ったが特に問題なく。
よくよく考えてみれば、15年程前は大半の人が携帯持ってなくて過ごしたくらいだからできるもんだよな。

図書館では精神保健福祉関係の勉強に小説を読む。
小説は『タロットの迷宮』。
この精神科医によって書かれた作品は時間を使って読んでもいい作品です。
ちょっと面白いなと思ったのは、病名が出てこないこと。
舞台は精神病者の隔離施設なのだが(過去に犯罪を起こした人々なので)、そこでの収容者(患者)の描写に精神病名がほとんど一切と言っていいほど出てこない。
自分は読み終わってからそう言えば、と思って気づいたのだがちょっと考えてみた。
もしかしたらだが、作者はステレオタイプが作られることを恐れたのではないか、と。
例えば、母親を殺して収容されている人と一切しゃべらない青年がいる。
これを自己愛性人格障害が、とか反社会的人格障害が、とか書くとその障害を持ってる人は母親を殺す傾向にあるのか、と読者は思っちゃう。
実際、精神病者は犯罪を起こしやすい、と思われてるよう。
作者は犯人を精神科医にして被疑者だった強姦殺人犯(収容される前に犯した過去の罪。精神病者)が最後は更生したと書いてることからもそのステレオタイプを払拭する流れにすらしたかったのかと。
主人公は女性潜入捜査官でサスペンスも入りこんでくるスリルと登場人物がみずみずしく書かれてる点でもオススメです。

人を類型的に分けるのは誤った印象を作るからよくない、と書いたが役立つこともあると思う。
統合失調症の人と言えば、その人がどんな傾向にあるか想像しやすい。
考えが分裂してるのか、他人に感心がないのか、幻聴があるのか(これはあくまで教科書的な内容。実際は統合失調症の人も千差万別かと思います)、薬はジプレキサでも飲んでるのか、と。
要は共通の話題になる(かも)ということ。
ただ、例えば他人に感心がない人が統合失調症と限るわけでもなく、境界性パーソナリティー障害の人も、不安神経症の人も、多動性人格障害の人だって少なからずある。
白と黒のボーダーの帽子を被り、警備の仕事をしていた元野球部のKくんも、障害者ではないが他人への蔑みは少なからずあり、それは自己愛的なとこからきており、実直に決められた仕事を決められた時間に決められた行程で行うことも病的なものを感じ、いつも先輩に、すいません、奥さんにできる人紹介してくださいよ、なんていうのも依存的なとこから、自己の不安定からきてるのかと(それが悪いとは思います。自分も少なからず依存してるとこありますから。)
そう考えると類型分け(学問的なこと)は意識しておくにこしたことはないが、深入りしすぎると名をとって実を捨てることになりかねないかと。

実になる仕事はなかなかないものだ。
ハローワークの相談員は自分が応募したいといった仕事が期限切れだと言ってきた。
それでもまた応募されてるだろうと思い、聞いてみると、あり。
そこの職場はパートタイム扱いなのに8時から17時労働。
正社員(フルタイム)扱いじゃないのかと突っ込む相談員。
そんなとこが?と思ったが、若い人がパートタイムで応募すると疑問に思われるかもね、と教えてくれる。
そう言われてもしばし、働いてないしなー、と思いつつ、初めての職種だからパートからというアドバイスを参考にする。
ここはパートでも社会保険がついてたのだが、大半のとこはついてないのだろうか?