今朝は7時半起床。
朝から色々考えてしまう。
このままでいいのか?だとか、自分の仕事をどうすべきなのか?とか。
考え逼塞していても仕方ないので朝メシを食うことに。
食欲はどっちつかずなので、トーストに麦茶で済ます。
以前に比べ、食欲はかなり弱まっているが、少なくとも口に入れれば湧いてくる。
人間は正直なものでどんなに弱まっている欲望も刺激一つで表れてくる。
人も動物だということ。
今の沈んでいる状態を何かしらの刺激で引き上げたいところなのだが。
統合失調症の陰性状態にありがちな無気力、無関心の性向かなかなか上向きにならない。
わかりやすい例は読書だ。
あれだけ好きだった読書が、頑張らないとすることができない。
ほとんど内容に入っていけず、とりあえず目についた文章を拾い読みする程度に。
ただ、もしかしたらそれがまともなのかもと思うこともある。
実際、以前のようにデタラメに関心を広げ見聞していたことのほうが、尋常でなく、こんな情報過多の時代に積極的に関心を持とうするほうが無理が生じてくるのではと。
ショーペンハウエルの『読書について』でも、金のために書かれた害ある書物が蔓延してるので注意したい、というようなことが書かれているが、自分も読まなくていい本を読まないようにするため読書していきたいと思ってる。
体の健康法でも今、あまり食べないこと、食べるものを制限することがよく言われてる。
無関心な状態を表す例として後輩の友達を思い出す。
相談事があるということで後輩に呼ばれ、近所のサイゼリヤに行った。
そこには後輩、T君と友達(名前は忘れた)がいた。
その友達は小柄で痩せていて、目が細く、前髪を逆さにあげていて売れないロックシンガーを思わせた。
相談の内容は忘れてしまったが彼がドラッグストアに勤めていること、そして恐ろしく反応に乏しいことだった。
彼は自分に対し、はいという消え入りそうな返事以外何も発しなかった。
目の焦点はずっと定まったままで、そこに佇んでいることを是と非ともしていなかった。
Tくんは、おい、なんか言ったらどうなんだよ?と友達に迫ったのかもしれない。
Tくんと二人でいる時は違うのかもしれない。
しかし、少なくとも自分に対しては、怒りも悲しみも、勿論、楽しさや毒々しい部分も何一つ見せなかった。
衝撃的だった。
自分も人見知りがあるからよくわかるのだが、人見知りとは違う。
発する気が限りなく乏しくて、何を考えてるかわからないのだ。
T君も長年鬱に悩まされてたらしい。
類は友を呼ぶとあることから、彼も鬱病だったのかもしれない。
それにしても鬱病と統合失調症の陰性状態はどう違うんだろう?