文学部で文学作品を研究しなければならない(だってそういう学問をする学部だから)私にとって
次のようなフォースターの意見は、すっきりする反面、文学部学生としていささか複雑な気持ちになる。
作家の個性が重要になってくるのは、読み終わって作品の研究にとりかかるときである。作品の魅力が消え、神の手で造られた木の葉のざわめきがやんで、こちらがその世界に浸っていたときが終わると、作品の性質が変わって、「作者の名前はなんというのだろう」「どこに住んでいたのだろう」「結婚はしていたのだろうか」「花は何が好きだったのだろう」といった疑問もわいてくるのだ。こうなればもう作品を読んでいるのではなく、研究しているのであって、情報を知りたいという自分の欲求に奉仕させているのである。「研究」という言葉には、いかにも重々しい響きがある。「ダンテを研究しています」と言ったほうが「ダンテを読んでいます」と言うより偉そうに聞こえる。ところが実際はずっとくだらないのだ。研究というのはまじめくさったゴシップにすぎない。(Study is only aserious form of gossip.)作品について何でも教えてはくれるが肝心なことは教えてくれないのであって、作品のまわりに、精神の翼を使わなければ飛び越えられない柵をめぐらせてしまうのである。
E.M. Foster 『無名について』('Anonymity: An Inuiry')
でも確かに、ただ楽しみたいと思って読む本について、こうだああだと考えていると、その作品本来の良さを知るというよりかは、ただ情報を追ってしまい、結局自分がその作品を理解できるようになったかと聞かれると怪しい。
ここが文学を研究するものにとっては難しいところかもしれない。