【違和感その10】日本の男女平等
こんなことを考え始めたのは、ずっと明確にしてこなかった「男性と女性の気質の違い」「欧米人と日本人の違い」だったり、一部の方には直接お話させてもらった例のあれだったり。最近は海外で働く機会も出てきたので、個人的な発言が日本人としての意見になってしまうのが恐ろしい。これらを複合して「日本女性」と「欧米女性」の違いについて考えようと思ったんです。
これまで書いてきた事は、この前哨戦、すなわち予備知識に過ぎない。だけど日本男児である自分にとっては、女性も欧米も異世界であり超難問。ぶっちゃけよくわからなくなってしまった。しかも下手な感情を入れると、女性差別という声が出てしまうから、自分への言い聞かせを含めて、書く、読むに当たっての注意を前書きとする。
①これから人の主体性について触れるけど、主体性というのは、社会が虚構的に作ったもの。作られた個人の主体性を主張する事に意味があるかは思慮深くあるべき。
②これは自分探しではなく、好奇心と探求心。自分探しとは、今現在の環境における自分の外部評価に不満があるから、誰も自分を知らない場所を目指して外部評価をリセットすること。本当に自分を知りたかったら、親にロングインタビューでもすればいい。一方で、これを書く事により変わってしまうだろう外部評価を嫌と思っていない事は、ある意味で自分探しをしているのかもしれない。
③とにかく否定しまくるので、不快になると思う。勘違いしないで欲しいのは、これから否定するのは男性性、女性性、宗教性であって、個々の男性、女性を否定するわけではない。
④イマイチ筋が通っていなかったり、突っ込みどころ満載なのは、自分でも認識している。こんな本を読んでみるといいよとか、アドバイスがあれば教えて欲しい。だって未知の世界なんだもん。
〈疑問に思ってることは何?〉
歴史上、女性差別があることは誰もが知っている事。だけど単純に考えて、人口構成の約半分は女性なんだから、一致団結すればなんでも解決できちゃうんじゃないの?でもこれは現実に反している。素朴な疑問だけど、よくわからない。
なんでこんな事を疑問視してるのかっていうと、フェミニストと若者(男性を含む)が一致団結できれば、大抵のことは解決できるんじゃないかと思っているから。団結できれば、高齢者に選挙で勝つことだって出来る。でも、今はそれができていない。理由はあるのか?男性による女性卑下?「フェミニストと若者の強調」に希望を持ちたいが、そのキッカケはあるのだろうか?
ちなみに2014年世界男女格差報告書によると、日本の男女格差の世界ランクは104位(142ヶ国中)。かなり不平等だっていう結果だけど、そんなに酷い格差があるようには思えない。根拠の無い漠然とした感覚なんだけどね。うーむ?これは自分が知らないうちに差別感覚を持ってしまっているからなのか?
〈2014年世界男女格差報告〉
って事で、日本の男女格差の世界ランクの推移を調べてみた。
2014年:104位(スコア:65.84)
2013年:105位(スコア:64.98)
2012年:101位(スコア:65.30)
2011年: 98位(スコア:65.14)
※2014年の1位はアイスランドで、スコアは85.94
ちなみに世界男女格差報告書の評価基準は、以下の4つ。
1.経済活動の参加と機会
給与、参加レベル、および専門職での雇用
2.教育
初等教育や高等・専門教育への就学
3.健康と生存
寿命と男女比
4.政治への関与
意思決定機関への参画
メディアはスコアには触れずに順位だけを誇張し、男女格差が広がっていると報道している。だけどスコアを見るとそうでもない。意外と低いとこで安定しちゃってる。ちょっと前の阪神タイガースみたいだ。しかも平成26年度内閣府・国民生活に関する世論調査によれば、現在の生活に対して「満足している」と回答した人は70.3%。男女格差はあっても満足しちゃってるんじゃないか?と思えてしまう結果だ。
ちなみに、日本が低評価を受けているのは「1.経済活動の参加と機会」と「4.政治への関与」なんだけど、見方を変えれば、国際的な男女格差と、日本人の考える男女格差がズレちゃってる可能性だってある。だって大学を卒業しておきながら専業主婦に憧れる人がいるんだから、経済、政治への関与で欧米に勝てるわけが無い。ついでに日本人が卑下しがちな中国にだって大差で負けている(※)。
そういえば、政府は『少子高齢化社会における労働人口の確保』『男女格差の是正』を目的として「女性の輝く社会」を掲げ、女性の管理職を30%にすると言っている。だけどそもそも、女性は管理職になることを望んでいるのか?女性だって社蓄になりたいワケではないだろうに。社蓄になったら、子供を生む権利、育てる権利だって迫害されちゃう。それがマタハラ。本当はハラスメントではなく、過激に言うならば迫害なんじゃないか?男女平等の前にやるべき事があるように思えてならない。
昔から感じていた『欧米の女性権利』と『日本の女性権利』って何か違うなぁってのは、日本の企業風土が権利獲得を躊躇させていたから?いやいや、働きたくても働けない女性はたくさんいる。やっぱり欧米感覚の基準では、日本の男女格差は測れないんじゃないの?って気がしてきた。欧米感覚での女性の自立が、日本女性には受け入れられない理由があるのだろうか?
※ちなみに自分は、中国を蔑視する限り、中国には勝てないと思っている。歴史的にも現在も、中国の方が圧倒的に経済の近代化が進んでいる。ところが日本は江戸時代の封建制に基づいたムラが未だに残っている。この順位に対して「先進国なのに恥ずかしい」という人もいるけど、自分の解釈は「日本は後進国である事が証明された」である。それをわかっていない方が恥ずかしいかもしれない。これは後半でもう少し触れる。
〈フェミニストの誕生〉
女性の自立を知るためには、フェミニズムを知る必要がある。社会学者はフェミニストの誕生を次のように述べている。
女性が女になるとき、「女」というカテゴリーが背負った歴史的なミソジニーをいったん引き受ける。その指定席に対して違和感を感じた者、ミソジニーへの適応をしなかった者がフェミニストになる。
注意したいのは、フェミニズムっていうのはちょっと前に流行った『アナと雪の女王「Let it Go」』を勘違いして「ありのままの自分を前面に押し出しても許される、認められる」という主張をすることではない。あれは自分は何者なのかと葛藤している人に向けたメッセージであり、幼稚な大人のワガママを肯定するものじゃない。
では、日本の戦後フェミニズムの論点ってなんだったのか?全部あげたらキリがないので、ざっくりといくつかを時系列で列挙してみた。
①参政権の欠如、雇用機会の男性優遇
②今の憧れのカップル「正社員と専業主婦の構成」は、女性労働者を単なる家系補助要員、つまり生活の面倒は父親、または夫に見てもらえればよい。つまり単身で自活する給与は女性に必要無い。とみなされたこと(※)
③子供を産む存在としての役割を、女性が自らの意思で快適に行えること
④均等法以後、女性は、個人としての達成と、女としての達成。この2つを両方とも充足しなければ、一人前とはみなされないこと
⑤美の基準を設定しているのが男であること
上記の変遷から、フェミニズムの議論が大衆化している事がわかる。実際、戦後フェミニズムは教養のある上流階層の人達から始まったのだけど、上流階層のみのフェミニズムは、主婦層などの一般階層を除外していた。しかし現代は高学歴化が進んだことにより、主婦層を巻き込まずにはフェミニズムが成立しなくなってきている。大学を卒業した人材が、専業主婦だったりするんだから納得できる。国際的に見て、こんなにもったいない事はない。と言いながら、隣の人がサンドイッチを残してるのを見てもったいない!って強く思った。
すると、女性の完全一致団結が困難である理由は見えてくる。単に女性全員がフェミニストではないことである。または思想が違うこと。だから完全な一致団結は、到底困難なのである。当たり前っちゃ、当たり前の結果である。みんなが仲良しなんて事はない。奢ってもらうのが当たり前だと思っている女性だっている。これはミソジニーを受け入れている典型例だ。
①~⑤を眺めていると、日本も欧米のフェミニズムも、求めているものは同じに見える。だけど、一つだけ欧米と異なる傾向を見せているのが「③子供を産む存在としての役割を、女性が自らの意思で快適に行えること」である。これを解放したのは、女性主導の避妊法であり、女性解放の象徴として存在したピルである。しかしピルは日本では受け入れられなかった。どんくさい男性に言っておくが、コンドームは男性主体の避妊法である。
※ついでなので②に少しコメントする。今の時代でも専業主婦を目指す事は、ジェンダーの拡大を受け入れる事にもなりかねない。専業主婦を目指すって事は、夫が亡くなった場合に生きていけないことになる。自活していけなかったらどうなるか?戦時中の大正時代にいい例がある。親子心中がめちゃんこ増えた。。。しかも昔と違って、今の時代はムラのネットワークが薄くなっているので援助が望めない。その結果が孤独死である。ジェンダーの拡大は、他の社会問題を引き起こす可能性があることは知っておくべきである。逆にいえば、男女差別をして男性のみを正社員にしないと「正社員と専業主婦の構成」は難しいのである。
〈フェミニズムにとってのピル〉
ピルとは、人間の身体的・生理的営みを力でコントロールしようという近代西洋思想に基づいている。性という宿命から科学技術の力で解放されようという思想であり、女性の自主性、主体性を育むものとして欧米では受け入れられた。女に任された基本的権利である『子産み選択の自由』をピルが保障する。つまりピルは、女性主導の唯一の避妊法であり、女性解放の象徴として存在した。
一般的に、日本でピルが受け入れられなかった理由は、日本の産婦人科医にとって、人工妊娠中絶による利益が莫大であり、ピルの普及はこれを脅かした。または性道徳の乱れ、少子化の進行を懸念したために認可されなかったとされている。しかし医師や政府が一人称となる発言では、一般に普及しない理由にはなりきれない。
もう一つの一般論は、ピルは自然に反するという説。日本人が受け入れやすいのは、西洋医学としての薬より漢方なのだという考えである。でも抵抗感を薬、西洋医学への抵抗感としてしまうのは疑問が残る。だって普段から、花粉症の薬とかじゃぶじゃぶ使ってる。データから見ても、国民総医療費の45%が薬剤率である。どっちかといえば、日本人は薬大好き❤️のイメージだ。
他にも、化学物質への危機意識や健康志向があり、自然なリズムをピルが妨害するという懸念から始まるネガティブキャンペーンなのではないか?という説もある。実際にアンケートでは、ピルに対する副作用が不安であるという回答が一番多かったという。まぁ副作用の懸念がゼロではないだろうけど、副作用があることも実証されていない。ましてや美容に使われているピルもあるのだとか。科学的根拠に乏しいまま語られていることを理由にするには安易すぎる。目玉焼きにはソースやで!と言うくらい根拠が薄い。
だけど確かに日本では、フェミニストを含む多くの女性が、ピルに対して消極的である。男性や保守派の女性たちが、ピルに反対するなら筋が通っている。しかし、女性の自由獲得のために戦っているはずのフェミニストが、ピルの普及に反対するとは、一体どういうこっちゃ?
〈ピル認可と拒否の歴史から見えた思想〉
という事で、フェミニストと日本政府のピルをめぐる闘争を追いかけてみた。日本でピルが認可されたのは1999年6月。国連加盟国では一番遅い認可国である。
始めに頭に入れて欲しいのは、欧米研究者の間では避妊に保守的な国は、中絶にも保守的であるとされている。だけど日本は、中絶に対する規制は緩いのに、避妊に対する規制が強い特殊な国であることだ。だから日本は、国際社会では堕胎天国という汚名を背負っている。感情的に行きにくいってのを考えなければ、産婦人科で中絶するのって普通にできちゃうでしょ。
追っかけは、やはりあの戦争から。ご存知の通り、戦中に生じるはずだった婚姻、出生がずれ込んだ影響で発生したのが、ベビーブームである。この急激な人口増加は食糧難と住宅難を深刻にしてしまう。駄菓子菓子!1940年に成立していた「国民優生法」が中絶を違法としていたため、国民はヤミ堕胎に走ってしまった。しかし人口抑制は、政府の最大課題になっていたので、1948年に今度は人工妊娠中絶を合法化した「優生保護法」が成立。そしてピルが開発されたのは1955年。誰でも簡単に避妊ができるとして期待された。しかし1960年代は、薬害事故が多い時代であり、薬全般にネガティブなイメージがつきまとう。その為、日本国内におけるピル認可は、慎重に検討が進んだが、時間をかけて認可目前までくる。しかし1964年、日本家族計画連盟が厚生省にピル認可の中止を要求。真相は不明とのことだが、日本家族計画連盟は家族計画普及会とともに、コンドームを中心とする避妊具の販売で運営を賄っていたため、ピルのネガティブキャンペーンに熱心だったといわれている。結局、お金か。。。
女性解放思想、フェミニズムの発祥はここからがポイントだ。実は1960年から、政府は堕胎天国の汚名返上を目指して、中絶を規制しようとしていた。この時期、生命の尊重の観点から、中絶を規制しようとする運動もあった。その中心にあったのが、宗教法人『生長の家』である。生長の家はそのメンバーを中心に、1967年に優生保護法改廃規制同盟を結成。1969年、生長の家政治連合国会議員連盟を結成、そして優生保護法改廃に総力をあげて着手した。なぜなら、その教義の根本を形成する二つの思想が人工妊娠中絶と対立したからである。第一に、人間は全て神の子であるという『神性人間観』、つまりお腹の中に宿った子命も、その本質は肉体ではなく、神なる存在そのもの『神の子・永遠生き通し』である。との思想。第二に日本の中心は万世一系三千年の歴史を有する皇室、天皇である。というかなり右翼的な思想である。この第二の思想が、出生率の低下がもたらす国力低下の懸念につながる。そしてこの運動と政府の動きが重なり、優生保護法改定案が上程されたとされる。
ちなみに当団体は、信者向けに女性の生き甲斐なども提示するが保守的な思想が多い。家族崩壊を憂う懐古主義であり、いわゆる女性の自立を促す内容は少ない。もっとも昔の方が、父は戦争に行き、母は銃後で、子供は疎開して超バラバラなので、意味不明な感じもする。例えるなら、M&Mの赤だけを選んで食べている感じ?
冗談はさておき、政教分離を基本とする近代国家に反していることは間違いない。同時にこの時期、1970年に日本で「ウーマン・リブ(リブ)」、1972年には「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連)」が誕生。そして、この優生保護法改悪阻止のもと、リブと中ピ連が一致団結して女性解放運動が隆起した。両団体とも、生殖コントロールの手段を、女性がいかに手に入れるか?を、最重要課題としていた。多くのフェミニストが、宗教法人『生長の家』を女性差別団体と見ているのは、この対立にルーツがあるようだ。
1980年代、エイズショックにより、コンドームが復権、ピルの存在は影に隠れてしまう。エイズ蔓延の懸念によって、審議は個人の需要を無視した議論にすり替わってしまった。つまり1970年代は、中絶禁止を許してはならないというところが最大の焦点であったのだけど、1980年代は、ピル認可の是非は、服用する女性個人の身体的、精神的利益とリスクの問題ではなく、社会全体が獲得する利益と負うリスクから検討、決定された。ちなみに、この決定は男性が行っていて、女性は1人もいなかったといわれている。
1994年、国連人口開発会議にて、希望する数の子供を希望する時に享受できることは女性の権利である。という考えが世界の家族計画や人口問題の基本として共有されるようになる。そこでピルが認可されていない日本は、女性が自立していないという風評を流されることになってしまった。
1999年、日本でようやくピルが認可される。国連加盟国では最後の認可国であった。
認可までを追うと、ピルは日本で一度は受け入れられているのである。そもそも受け入れられないのであれば、このような女性解放運動すらなかったはず。女性の主体性を求めて、やっと手に入れた権利のはずなのに、この後、なぜ受け入れられなくなってしまったのか?
答えはその後のリブと中ピ連の対立にあった。リブは、ピルは飲むものより、男に飲まされるものと考えてしまったことにより、ピルに反対し始めたのである。コンドームを付けてと言えない女性がピルを飲む。この状態が自立と言えるのか?という主張である。まぁ飲むか飲まされるかは、各自の解釈に任されるはずなんだが。。。
一方、中ピ連は女の権利を主体に選び、避妊責任を女性が占有することを主張した。ところが、中ピ連の運動は、ひたすら男を排除する向きがあった。日本のフェミニストが、中ピ連の動きをネガティブに捉えたことにより、リブの視点を受け継ぐことになった。つまり日本女性の男女平等は、リブの思想に基づいている事が多いと解釈できる。
リブは、国家・資本が生殖を巡って女性に押し付ける論理に対抗し、利用されることに反対してきた。女は出産・中絶の当事者、なのに避妊まで押し付けられるのはおかしい。2人で作り上げた行為の結果は、2人で責任を負うべきだ。という考え方である。
つまり日本のフェミニズムは、男性を避妊責任から開放する事を許していない。つまり性と生殖の完全な分離が、女性を解放するという論理を受け入れなかったことになる。ざっくりまとめると、避妊という行為を女が占有することを拒否して、避妊責任を男性と共有するという思想である。なるほど。
http://spotlight-media.jp/article/96466997226323648
男性と女性の話が噛み合っていないのが気になるけど、これは典型的な共有願望である。この記事に、女性からたくさんの『いいね』がされる事からも共有願望が浸透している事がわかる。ネットユーザという偏りはあるけど、フェイスブックっていうのは統計データが取れるのでなかなか便利である。
これで欧米の男女平等と、日本の男女平等の差が見えた。男女平等は、欧米では「女性個人の自立」であるのに対して、日本は「男性との共有」である。「子供を産むか産まないかは自分で決めて、政治・経済活動に参加したい」という欧米思想に対して、「産んでからも、政治・経済活動に参加したい」という微妙な違いがある。否定しているわけではない。念のため。
<女性団体の閉塞感>
うっとおしいけどまだ続く。
『男性との共有』を目指しているというのであれば、女性運動に男性が参加していない事には違和感がある。共有する為の活動が全く見られない。と言っておきながら、原因にはだいたいあたりがついている。
女性団体に限らないことだが、組織が閉塞化してしまうことは良くあることだ。目的を持って集まったはずなのに、いつの間にかなあなあになってしまい、楽しくできればいいや。となってしまうあれだ。社会学では、これを「共同体」による「目的性」がクール・アウトすると表現する。つまり目的をもって集まった共同体が、共同体内部だけで承認欲求が満たされるようになり、本来の目的を見失った状態に冷却されてしまう。相互承認だけが残り、社会的承認を忘れてしまっている。つまり、ガス抜きされたのだ。テレビで、女性セミナーに参加したシングルマザーが「同じ境遇の人と意見交換出来て、安心しました。」なんて言っているシーンを見るけど、ちょっと切ない感じがするでしょ?
ちょっと話がそれるけど、スポーツの世界でも強豪っていうのは、個々が共同体に甘んじることなく孤独な戦いを続けているチームである。共同体をただの居場所だと考えず、目的の達成のためなら冷徹。だけど対外的にはお茶目なエリートが社会を変える。去年の箱根駅伝における青山学院なんて、バッチリこれに当てはまる。仲間がいて楽しい。それが目的で集まったわけじゃなかろうに。結局は、強い力があれば貫ける。これに限る。
話を戻して、最後に一言。男側の視点からすれば、共有を前提にするならば、共有される側の事も考えなくてはならない。苦痛はごもっともだけど、事前にその苦痛の原因をお互いに合意できているのか?それがないと、ただの押し付けになることは間違いない。
〈VS 社会主義連合国家〉
本題に入る前に、一つだけ質問。世界で一番成功している社会主義国はどこか?するっと出てきた方は、私と同意見だと思います。答えは「日本」。
これは歴史学者を中心として言われる有名なジョークだけど、半分以上は本気。知らない人のために簡単に説明すると、今の日本は政治よりも資本が力を持っていて、「企業という社会主義国家の連合」が日本であるということ。その社会の歯車に過ぎない社員は、社会主義国家の中で統制されてちゃってる感じだ。細かに区分されている社会主義は、副作用が一番少ない。江戸時代の封建制度が、政治・経済の両方を制限している。
これに対して中国は、政治に制限はしているが、宋の時代から自由経済を行っている。日本は近代化すらできていないんだから、中国に勝てるわけがない。中国を下手に見ている限り、永遠に追いつけないだろう。近年の日本は、雇用改革により終身雇用が保証されなくはなったが、ただ企業がようやく資本主義を進めただけに過ぎない。いつまでも終身雇用にすがっている人を見ると、この人は資本主義の中でやっていけるんだろうか?と不安になる。
本題に入るが、これまで書いてきたように、戦後フェミニズムは、個人の利権獲得のために国家と衝突している。民主主義だと思っていた国家は、実は社会主義だったんだからこじれて当たり前。更にぶつかってきたのは社会主義国家の死活的問題である出生率低下であり、この問題の解決は女性個人に自由を与えないことにつながってしまう。共同体の死活問題に、フェミニズムは無関心であることは、フェミニズムの最大の弱点とも言える。だから本当は共同体の利益を重視するフェミニズムが大事なのではないか?
政治学者は、個人の自由と共同体の利益を両立させるための手法について次のように述べている。防衛に例えるならば、兵士の待遇を可能な限り改善した上で、社会的名誉や特権を与える必要がある。そうすれば、防衛は自ずと付いてくる。
気になるのは、ここまでの論争で個人としての男が登場しないことだ。「社会」=「男」という構図になっている。主婦層は取り込まれているのに、男性社畜が登場しない。次の発言は単に男の勘違いなんだけども『女性ばっかり優遇されている』という声に同情できなくもない。会社という社会主義国家に縛られているのだから、みんな自由に憧れを持っている。しかし解放を訴えることは禁じられていることにより、何の運動もしていないのだから仕方がない。少なくとも、男性よりも女性の方が差別に対して長く戦ってきた。フェミニズムに女性優位社会にするつもりか!と言う前に、男性自身も強くならなくてはいけない。もちろん女性差別をするという意味ではない。嫌なら自分で戦えばいいのに、って単純に思うだけだ。男女関係なく強者が上に立つのが、現代日本社会の構造であることは間違いない。
〈最後に〉
当たり前なことなんだけど、ジェンダー、ミソジニーっていうのは歴史的構築物であることもわかった。これが意味する事は、ジェンダー、ミソジニーがない普遍的な世界を創造する事なんて不可能だって事だ。ミソジニーを越える事ができる男性なんて超レアキャラで、ビックリマンに例えるなら背景がキラキラしている。ここにも一つの諦めが出現した。。。
スティーブン・R・コヴィーは7つの習慣で、関係の輪と影響の輪の2つを示す。関係の輪とは、巻き込まれるが自分が影響を与えることができない領域だ。関係の輪に戦いを挑んで、普遍的な権利を主張するのは、理想を諦めきれない人がやればいい。自分が当事者になれるのは、影響の輪の範囲でしかない。そこにあるのが、新自由主義社会における自立だ。
4年前の東日本大震災以降、福島の方々が村ぐるみで助け合う姿は痛々しかった。それは新自由主義社会において、なんとか自立するしようともがく姿に見えたから。大きな犠牲が出てしまったが、処方箋を作ってくれた。あとは己次第だ。
ブラック企業対策だって、社会主義的経営に甘んじるのではなく、資本主義社会で生きる方法を考えればいいだけ。自分流の解釈で民主主義社会(会社)にいると思っているから、的外れな文句ばかりが目立つんじゃないか?集団的自衛権だって、多くの人が過去を知らずに自分流の世界平和と、自分流の世界を受容しているだけだ。
現状の日本を素直に捉えて、自立に対する感度が高い人が増えれば日本は変われるはず、なんて大きな事は言わない。そういう人が日本で幸せに生きていけるというだけ。それはフリーターでもノマドでもない、自分が自分を経営するセルフエンプロイドワーカーだ。これでいったん〆。
希望は『諦めの先にある努力』
これまで書いてきた事は、この前哨戦、すなわち予備知識に過ぎない。だけど日本男児である自分にとっては、女性も欧米も異世界であり超難問。ぶっちゃけよくわからなくなってしまった。しかも下手な感情を入れると、女性差別という声が出てしまうから、自分への言い聞かせを含めて、書く、読むに当たっての注意を前書きとする。
①これから人の主体性について触れるけど、主体性というのは、社会が虚構的に作ったもの。作られた個人の主体性を主張する事に意味があるかは思慮深くあるべき。
②これは自分探しではなく、好奇心と探求心。自分探しとは、今現在の環境における自分の外部評価に不満があるから、誰も自分を知らない場所を目指して外部評価をリセットすること。本当に自分を知りたかったら、親にロングインタビューでもすればいい。一方で、これを書く事により変わってしまうだろう外部評価を嫌と思っていない事は、ある意味で自分探しをしているのかもしれない。
③とにかく否定しまくるので、不快になると思う。勘違いしないで欲しいのは、これから否定するのは男性性、女性性、宗教性であって、個々の男性、女性を否定するわけではない。
④イマイチ筋が通っていなかったり、突っ込みどころ満載なのは、自分でも認識している。こんな本を読んでみるといいよとか、アドバイスがあれば教えて欲しい。だって未知の世界なんだもん。
〈疑問に思ってることは何?〉
歴史上、女性差別があることは誰もが知っている事。だけど単純に考えて、人口構成の約半分は女性なんだから、一致団結すればなんでも解決できちゃうんじゃないの?でもこれは現実に反している。素朴な疑問だけど、よくわからない。
なんでこんな事を疑問視してるのかっていうと、フェミニストと若者(男性を含む)が一致団結できれば、大抵のことは解決できるんじゃないかと思っているから。団結できれば、高齢者に選挙で勝つことだって出来る。でも、今はそれができていない。理由はあるのか?男性による女性卑下?「フェミニストと若者の強調」に希望を持ちたいが、そのキッカケはあるのだろうか?
ちなみに2014年世界男女格差報告書によると、日本の男女格差の世界ランクは104位(142ヶ国中)。かなり不平等だっていう結果だけど、そんなに酷い格差があるようには思えない。根拠の無い漠然とした感覚なんだけどね。うーむ?これは自分が知らないうちに差別感覚を持ってしまっているからなのか?
〈2014年世界男女格差報告〉
って事で、日本の男女格差の世界ランクの推移を調べてみた。
2014年:104位(スコア:65.84)
2013年:105位(スコア:64.98)
2012年:101位(スコア:65.30)
2011年: 98位(スコア:65.14)
※2014年の1位はアイスランドで、スコアは85.94
ちなみに世界男女格差報告書の評価基準は、以下の4つ。
1.経済活動の参加と機会
給与、参加レベル、および専門職での雇用
2.教育
初等教育や高等・専門教育への就学
3.健康と生存
寿命と男女比
4.政治への関与
意思決定機関への参画
メディアはスコアには触れずに順位だけを誇張し、男女格差が広がっていると報道している。だけどスコアを見るとそうでもない。意外と低いとこで安定しちゃってる。ちょっと前の阪神タイガースみたいだ。しかも平成26年度内閣府・国民生活に関する世論調査によれば、現在の生活に対して「満足している」と回答した人は70.3%。男女格差はあっても満足しちゃってるんじゃないか?と思えてしまう結果だ。
ちなみに、日本が低評価を受けているのは「1.経済活動の参加と機会」と「4.政治への関与」なんだけど、見方を変えれば、国際的な男女格差と、日本人の考える男女格差がズレちゃってる可能性だってある。だって大学を卒業しておきながら専業主婦に憧れる人がいるんだから、経済、政治への関与で欧米に勝てるわけが無い。ついでに日本人が卑下しがちな中国にだって大差で負けている(※)。
そういえば、政府は『少子高齢化社会における労働人口の確保』『男女格差の是正』を目的として「女性の輝く社会」を掲げ、女性の管理職を30%にすると言っている。だけどそもそも、女性は管理職になることを望んでいるのか?女性だって社蓄になりたいワケではないだろうに。社蓄になったら、子供を生む権利、育てる権利だって迫害されちゃう。それがマタハラ。本当はハラスメントではなく、過激に言うならば迫害なんじゃないか?男女平等の前にやるべき事があるように思えてならない。
昔から感じていた『欧米の女性権利』と『日本の女性権利』って何か違うなぁってのは、日本の企業風土が権利獲得を躊躇させていたから?いやいや、働きたくても働けない女性はたくさんいる。やっぱり欧米感覚の基準では、日本の男女格差は測れないんじゃないの?って気がしてきた。欧米感覚での女性の自立が、日本女性には受け入れられない理由があるのだろうか?
※ちなみに自分は、中国を蔑視する限り、中国には勝てないと思っている。歴史的にも現在も、中国の方が圧倒的に経済の近代化が進んでいる。ところが日本は江戸時代の封建制に基づいたムラが未だに残っている。この順位に対して「先進国なのに恥ずかしい」という人もいるけど、自分の解釈は「日本は後進国である事が証明された」である。それをわかっていない方が恥ずかしいかもしれない。これは後半でもう少し触れる。
〈フェミニストの誕生〉
女性の自立を知るためには、フェミニズムを知る必要がある。社会学者はフェミニストの誕生を次のように述べている。
女性が女になるとき、「女」というカテゴリーが背負った歴史的なミソジニーをいったん引き受ける。その指定席に対して違和感を感じた者、ミソジニーへの適応をしなかった者がフェミニストになる。
注意したいのは、フェミニズムっていうのはちょっと前に流行った『アナと雪の女王「Let it Go」』を勘違いして「ありのままの自分を前面に押し出しても許される、認められる」という主張をすることではない。あれは自分は何者なのかと葛藤している人に向けたメッセージであり、幼稚な大人のワガママを肯定するものじゃない。
では、日本の戦後フェミニズムの論点ってなんだったのか?全部あげたらキリがないので、ざっくりといくつかを時系列で列挙してみた。
①参政権の欠如、雇用機会の男性優遇
②今の憧れのカップル「正社員と専業主婦の構成」は、女性労働者を単なる家系補助要員、つまり生活の面倒は父親、または夫に見てもらえればよい。つまり単身で自活する給与は女性に必要無い。とみなされたこと(※)
③子供を産む存在としての役割を、女性が自らの意思で快適に行えること
④均等法以後、女性は、個人としての達成と、女としての達成。この2つを両方とも充足しなければ、一人前とはみなされないこと
⑤美の基準を設定しているのが男であること
上記の変遷から、フェミニズムの議論が大衆化している事がわかる。実際、戦後フェミニズムは教養のある上流階層の人達から始まったのだけど、上流階層のみのフェミニズムは、主婦層などの一般階層を除外していた。しかし現代は高学歴化が進んだことにより、主婦層を巻き込まずにはフェミニズムが成立しなくなってきている。大学を卒業した人材が、専業主婦だったりするんだから納得できる。国際的に見て、こんなにもったいない事はない。と言いながら、隣の人がサンドイッチを残してるのを見てもったいない!って強く思った。
すると、女性の完全一致団結が困難である理由は見えてくる。単に女性全員がフェミニストではないことである。または思想が違うこと。だから完全な一致団結は、到底困難なのである。当たり前っちゃ、当たり前の結果である。みんなが仲良しなんて事はない。奢ってもらうのが当たり前だと思っている女性だっている。これはミソジニーを受け入れている典型例だ。
①~⑤を眺めていると、日本も欧米のフェミニズムも、求めているものは同じに見える。だけど、一つだけ欧米と異なる傾向を見せているのが「③子供を産む存在としての役割を、女性が自らの意思で快適に行えること」である。これを解放したのは、女性主導の避妊法であり、女性解放の象徴として存在したピルである。しかしピルは日本では受け入れられなかった。どんくさい男性に言っておくが、コンドームは男性主体の避妊法である。
※ついでなので②に少しコメントする。今の時代でも専業主婦を目指す事は、ジェンダーの拡大を受け入れる事にもなりかねない。専業主婦を目指すって事は、夫が亡くなった場合に生きていけないことになる。自活していけなかったらどうなるか?戦時中の大正時代にいい例がある。親子心中がめちゃんこ増えた。。。しかも昔と違って、今の時代はムラのネットワークが薄くなっているので援助が望めない。その結果が孤独死である。ジェンダーの拡大は、他の社会問題を引き起こす可能性があることは知っておくべきである。逆にいえば、男女差別をして男性のみを正社員にしないと「正社員と専業主婦の構成」は難しいのである。
〈フェミニズムにとってのピル〉
ピルとは、人間の身体的・生理的営みを力でコントロールしようという近代西洋思想に基づいている。性という宿命から科学技術の力で解放されようという思想であり、女性の自主性、主体性を育むものとして欧米では受け入れられた。女に任された基本的権利である『子産み選択の自由』をピルが保障する。つまりピルは、女性主導の唯一の避妊法であり、女性解放の象徴として存在した。
一般的に、日本でピルが受け入れられなかった理由は、日本の産婦人科医にとって、人工妊娠中絶による利益が莫大であり、ピルの普及はこれを脅かした。または性道徳の乱れ、少子化の進行を懸念したために認可されなかったとされている。しかし医師や政府が一人称となる発言では、一般に普及しない理由にはなりきれない。
もう一つの一般論は、ピルは自然に反するという説。日本人が受け入れやすいのは、西洋医学としての薬より漢方なのだという考えである。でも抵抗感を薬、西洋医学への抵抗感としてしまうのは疑問が残る。だって普段から、花粉症の薬とかじゃぶじゃぶ使ってる。データから見ても、国民総医療費の45%が薬剤率である。どっちかといえば、日本人は薬大好き❤️のイメージだ。
他にも、化学物質への危機意識や健康志向があり、自然なリズムをピルが妨害するという懸念から始まるネガティブキャンペーンなのではないか?という説もある。実際にアンケートでは、ピルに対する副作用が不安であるという回答が一番多かったという。まぁ副作用の懸念がゼロではないだろうけど、副作用があることも実証されていない。ましてや美容に使われているピルもあるのだとか。科学的根拠に乏しいまま語られていることを理由にするには安易すぎる。目玉焼きにはソースやで!と言うくらい根拠が薄い。
だけど確かに日本では、フェミニストを含む多くの女性が、ピルに対して消極的である。男性や保守派の女性たちが、ピルに反対するなら筋が通っている。しかし、女性の自由獲得のために戦っているはずのフェミニストが、ピルの普及に反対するとは、一体どういうこっちゃ?
〈ピル認可と拒否の歴史から見えた思想〉
という事で、フェミニストと日本政府のピルをめぐる闘争を追いかけてみた。日本でピルが認可されたのは1999年6月。国連加盟国では一番遅い認可国である。
始めに頭に入れて欲しいのは、欧米研究者の間では避妊に保守的な国は、中絶にも保守的であるとされている。だけど日本は、中絶に対する規制は緩いのに、避妊に対する規制が強い特殊な国であることだ。だから日本は、国際社会では堕胎天国という汚名を背負っている。感情的に行きにくいってのを考えなければ、産婦人科で中絶するのって普通にできちゃうでしょ。
追っかけは、やはりあの戦争から。ご存知の通り、戦中に生じるはずだった婚姻、出生がずれ込んだ影響で発生したのが、ベビーブームである。この急激な人口増加は食糧難と住宅難を深刻にしてしまう。駄菓子菓子!1940年に成立していた「国民優生法」が中絶を違法としていたため、国民はヤミ堕胎に走ってしまった。しかし人口抑制は、政府の最大課題になっていたので、1948年に今度は人工妊娠中絶を合法化した「優生保護法」が成立。そしてピルが開発されたのは1955年。誰でも簡単に避妊ができるとして期待された。しかし1960年代は、薬害事故が多い時代であり、薬全般にネガティブなイメージがつきまとう。その為、日本国内におけるピル認可は、慎重に検討が進んだが、時間をかけて認可目前までくる。しかし1964年、日本家族計画連盟が厚生省にピル認可の中止を要求。真相は不明とのことだが、日本家族計画連盟は家族計画普及会とともに、コンドームを中心とする避妊具の販売で運営を賄っていたため、ピルのネガティブキャンペーンに熱心だったといわれている。結局、お金か。。。
女性解放思想、フェミニズムの発祥はここからがポイントだ。実は1960年から、政府は堕胎天国の汚名返上を目指して、中絶を規制しようとしていた。この時期、生命の尊重の観点から、中絶を規制しようとする運動もあった。その中心にあったのが、宗教法人『生長の家』である。生長の家はそのメンバーを中心に、1967年に優生保護法改廃規制同盟を結成。1969年、生長の家政治連合国会議員連盟を結成、そして優生保護法改廃に総力をあげて着手した。なぜなら、その教義の根本を形成する二つの思想が人工妊娠中絶と対立したからである。第一に、人間は全て神の子であるという『神性人間観』、つまりお腹の中に宿った子命も、その本質は肉体ではなく、神なる存在そのもの『神の子・永遠生き通し』である。との思想。第二に日本の中心は万世一系三千年の歴史を有する皇室、天皇である。というかなり右翼的な思想である。この第二の思想が、出生率の低下がもたらす国力低下の懸念につながる。そしてこの運動と政府の動きが重なり、優生保護法改定案が上程されたとされる。
ちなみに当団体は、信者向けに女性の生き甲斐なども提示するが保守的な思想が多い。家族崩壊を憂う懐古主義であり、いわゆる女性の自立を促す内容は少ない。もっとも昔の方が、父は戦争に行き、母は銃後で、子供は疎開して超バラバラなので、意味不明な感じもする。例えるなら、M&Mの赤だけを選んで食べている感じ?
冗談はさておき、政教分離を基本とする近代国家に反していることは間違いない。同時にこの時期、1970年に日本で「ウーマン・リブ(リブ)」、1972年には「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連)」が誕生。そして、この優生保護法改悪阻止のもと、リブと中ピ連が一致団結して女性解放運動が隆起した。両団体とも、生殖コントロールの手段を、女性がいかに手に入れるか?を、最重要課題としていた。多くのフェミニストが、宗教法人『生長の家』を女性差別団体と見ているのは、この対立にルーツがあるようだ。
1980年代、エイズショックにより、コンドームが復権、ピルの存在は影に隠れてしまう。エイズ蔓延の懸念によって、審議は個人の需要を無視した議論にすり替わってしまった。つまり1970年代は、中絶禁止を許してはならないというところが最大の焦点であったのだけど、1980年代は、ピル認可の是非は、服用する女性個人の身体的、精神的利益とリスクの問題ではなく、社会全体が獲得する利益と負うリスクから検討、決定された。ちなみに、この決定は男性が行っていて、女性は1人もいなかったといわれている。
1994年、国連人口開発会議にて、希望する数の子供を希望する時に享受できることは女性の権利である。という考えが世界の家族計画や人口問題の基本として共有されるようになる。そこでピルが認可されていない日本は、女性が自立していないという風評を流されることになってしまった。
1999年、日本でようやくピルが認可される。国連加盟国では最後の認可国であった。
認可までを追うと、ピルは日本で一度は受け入れられているのである。そもそも受け入れられないのであれば、このような女性解放運動すらなかったはず。女性の主体性を求めて、やっと手に入れた権利のはずなのに、この後、なぜ受け入れられなくなってしまったのか?
答えはその後のリブと中ピ連の対立にあった。リブは、ピルは飲むものより、男に飲まされるものと考えてしまったことにより、ピルに反対し始めたのである。コンドームを付けてと言えない女性がピルを飲む。この状態が自立と言えるのか?という主張である。まぁ飲むか飲まされるかは、各自の解釈に任されるはずなんだが。。。
一方、中ピ連は女の権利を主体に選び、避妊責任を女性が占有することを主張した。ところが、中ピ連の運動は、ひたすら男を排除する向きがあった。日本のフェミニストが、中ピ連の動きをネガティブに捉えたことにより、リブの視点を受け継ぐことになった。つまり日本女性の男女平等は、リブの思想に基づいている事が多いと解釈できる。
リブは、国家・資本が生殖を巡って女性に押し付ける論理に対抗し、利用されることに反対してきた。女は出産・中絶の当事者、なのに避妊まで押し付けられるのはおかしい。2人で作り上げた行為の結果は、2人で責任を負うべきだ。という考え方である。
つまり日本のフェミニズムは、男性を避妊責任から開放する事を許していない。つまり性と生殖の完全な分離が、女性を解放するという論理を受け入れなかったことになる。ざっくりまとめると、避妊という行為を女が占有することを拒否して、避妊責任を男性と共有するという思想である。なるほど。
http://spotlight-media.jp/article/96466997226323648
男性と女性の話が噛み合っていないのが気になるけど、これは典型的な共有願望である。この記事に、女性からたくさんの『いいね』がされる事からも共有願望が浸透している事がわかる。ネットユーザという偏りはあるけど、フェイスブックっていうのは統計データが取れるのでなかなか便利である。
これで欧米の男女平等と、日本の男女平等の差が見えた。男女平等は、欧米では「女性個人の自立」であるのに対して、日本は「男性との共有」である。「子供を産むか産まないかは自分で決めて、政治・経済活動に参加したい」という欧米思想に対して、「産んでからも、政治・経済活動に参加したい」という微妙な違いがある。否定しているわけではない。念のため。
<女性団体の閉塞感>
うっとおしいけどまだ続く。
『男性との共有』を目指しているというのであれば、女性運動に男性が参加していない事には違和感がある。共有する為の活動が全く見られない。と言っておきながら、原因にはだいたいあたりがついている。
女性団体に限らないことだが、組織が閉塞化してしまうことは良くあることだ。目的を持って集まったはずなのに、いつの間にかなあなあになってしまい、楽しくできればいいや。となってしまうあれだ。社会学では、これを「共同体」による「目的性」がクール・アウトすると表現する。つまり目的をもって集まった共同体が、共同体内部だけで承認欲求が満たされるようになり、本来の目的を見失った状態に冷却されてしまう。相互承認だけが残り、社会的承認を忘れてしまっている。つまり、ガス抜きされたのだ。テレビで、女性セミナーに参加したシングルマザーが「同じ境遇の人と意見交換出来て、安心しました。」なんて言っているシーンを見るけど、ちょっと切ない感じがするでしょ?
ちょっと話がそれるけど、スポーツの世界でも強豪っていうのは、個々が共同体に甘んじることなく孤独な戦いを続けているチームである。共同体をただの居場所だと考えず、目的の達成のためなら冷徹。だけど対外的にはお茶目なエリートが社会を変える。去年の箱根駅伝における青山学院なんて、バッチリこれに当てはまる。仲間がいて楽しい。それが目的で集まったわけじゃなかろうに。結局は、強い力があれば貫ける。これに限る。
話を戻して、最後に一言。男側の視点からすれば、共有を前提にするならば、共有される側の事も考えなくてはならない。苦痛はごもっともだけど、事前にその苦痛の原因をお互いに合意できているのか?それがないと、ただの押し付けになることは間違いない。
〈VS 社会主義連合国家〉
本題に入る前に、一つだけ質問。世界で一番成功している社会主義国はどこか?するっと出てきた方は、私と同意見だと思います。答えは「日本」。
これは歴史学者を中心として言われる有名なジョークだけど、半分以上は本気。知らない人のために簡単に説明すると、今の日本は政治よりも資本が力を持っていて、「企業という社会主義国家の連合」が日本であるということ。その社会の歯車に過ぎない社員は、社会主義国家の中で統制されてちゃってる感じだ。細かに区分されている社会主義は、副作用が一番少ない。江戸時代の封建制度が、政治・経済の両方を制限している。
これに対して中国は、政治に制限はしているが、宋の時代から自由経済を行っている。日本は近代化すらできていないんだから、中国に勝てるわけがない。中国を下手に見ている限り、永遠に追いつけないだろう。近年の日本は、雇用改革により終身雇用が保証されなくはなったが、ただ企業がようやく資本主義を進めただけに過ぎない。いつまでも終身雇用にすがっている人を見ると、この人は資本主義の中でやっていけるんだろうか?と不安になる。
本題に入るが、これまで書いてきたように、戦後フェミニズムは、個人の利権獲得のために国家と衝突している。民主主義だと思っていた国家は、実は社会主義だったんだからこじれて当たり前。更にぶつかってきたのは社会主義国家の死活的問題である出生率低下であり、この問題の解決は女性個人に自由を与えないことにつながってしまう。共同体の死活問題に、フェミニズムは無関心であることは、フェミニズムの最大の弱点とも言える。だから本当は共同体の利益を重視するフェミニズムが大事なのではないか?
政治学者は、個人の自由と共同体の利益を両立させるための手法について次のように述べている。防衛に例えるならば、兵士の待遇を可能な限り改善した上で、社会的名誉や特権を与える必要がある。そうすれば、防衛は自ずと付いてくる。
気になるのは、ここまでの論争で個人としての男が登場しないことだ。「社会」=「男」という構図になっている。主婦層は取り込まれているのに、男性社畜が登場しない。次の発言は単に男の勘違いなんだけども『女性ばっかり優遇されている』という声に同情できなくもない。会社という社会主義国家に縛られているのだから、みんな自由に憧れを持っている。しかし解放を訴えることは禁じられていることにより、何の運動もしていないのだから仕方がない。少なくとも、男性よりも女性の方が差別に対して長く戦ってきた。フェミニズムに女性優位社会にするつもりか!と言う前に、男性自身も強くならなくてはいけない。もちろん女性差別をするという意味ではない。嫌なら自分で戦えばいいのに、って単純に思うだけだ。男女関係なく強者が上に立つのが、現代日本社会の構造であることは間違いない。
〈最後に〉
当たり前なことなんだけど、ジェンダー、ミソジニーっていうのは歴史的構築物であることもわかった。これが意味する事は、ジェンダー、ミソジニーがない普遍的な世界を創造する事なんて不可能だって事だ。ミソジニーを越える事ができる男性なんて超レアキャラで、ビックリマンに例えるなら背景がキラキラしている。ここにも一つの諦めが出現した。。。
スティーブン・R・コヴィーは7つの習慣で、関係の輪と影響の輪の2つを示す。関係の輪とは、巻き込まれるが自分が影響を与えることができない領域だ。関係の輪に戦いを挑んで、普遍的な権利を主張するのは、理想を諦めきれない人がやればいい。自分が当事者になれるのは、影響の輪の範囲でしかない。そこにあるのが、新自由主義社会における自立だ。
4年前の東日本大震災以降、福島の方々が村ぐるみで助け合う姿は痛々しかった。それは新自由主義社会において、なんとか自立するしようともがく姿に見えたから。大きな犠牲が出てしまったが、処方箋を作ってくれた。あとは己次第だ。
ブラック企業対策だって、社会主義的経営に甘んじるのではなく、資本主義社会で生きる方法を考えればいいだけ。自分流の解釈で民主主義社会(会社)にいると思っているから、的外れな文句ばかりが目立つんじゃないか?集団的自衛権だって、多くの人が過去を知らずに自分流の世界平和と、自分流の世界を受容しているだけだ。
現状の日本を素直に捉えて、自立に対する感度が高い人が増えれば日本は変われるはず、なんて大きな事は言わない。そういう人が日本で幸せに生きていけるというだけ。それはフリーターでもノマドでもない、自分が自分を経営するセルフエンプロイドワーカーだ。これでいったん〆。
希望は『諦めの先にある努力』
当の本人が一番諦めていない気もするけど、ほっといてw
そういえば、これは自転車ブログだったwww
★参考文献リスト(2015/1 - 2015/4)★
賛同の程度からランク付けしています。理論が飛躍する本や、事実確認に留まる本は低評価になりがち。ただし事実確認の為でも、有益な情報が得られたものは高めにしている。考え方、モノの見方を重要視しているため、著者による傾りが出たのかな?
【A】
真実の近現代史 田原総一郎
40歳以上はもういらない 田原総一郎
絶望の国の幸福な若者たち 古市憲寿
誰も戦争を教えてくれなかった 古市憲寿
一億総ガキ社会 『成熟拒否』という病 片田珠美
われ日本海の橋とならん 加藤嘉一
中国化する日本 與那覇潤
フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 開沼博
日本に絶望している人のための政治入門 三浦瑠麗
【B】
ジャーナリズムの陥し穴 明治から東日本大震災まで 田原総一郎
誰も言えなかった戦後史 田原総一郎 宮崎学
ナショナリズムの復権 先崎彰容
子育てという政治 猪熊弘子
女ぎらい -ニッポンのミソジニー- 上野千鶴子
上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 上野千鶴子 古市憲寿
ピルはなぜ歓迎されないのか 松本彩子
希望難民御一行様 古市憲寿
だから日本はズレている 古市憲寿
頼れない国でどう生きようか 加藤嘉一 古市憲寿
イギリス人は『理想』がお好き 緑ゆうこ
【C】
3.11後の建築と社会デザイン 三浦展 藤村龍至
ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 今野晴貴
欲望のすすめ 古谷経衡
僕たちの前途 古市憲寿
ニッポンが変わる、女が変える 上野千鶴子
上野千鶴子の選憲論 上野千鶴子
神国日本のトンデモ決戦生活 早川タダノリ
ニッポンの大問題 池上彰
日銀を知れば経済がわかる 池上彰
【D】
ドイツ環境都市モデルの教訓 竹ケ原啓介
原発再稼働で日本は大復活する 三橋貴明
世界一幸福な国 デンマークの暮らし方 千葉忠男
フランスに学ぶ国家ブランド 平林博
ハンガリーを知るための47章 羽場久浘子
ドナウ河紀行 東欧・中欧の歴史と文化 加藤雅彦
統計データはおもしろい!相関図でわかる経済・文化・世相・社会情勢のウラ側 本川裕
理系バカと文系バカ 竹内薫
世の中が見えてくる統計学 川又俊則
察しない男 説明しない女 五百田達成
英霊に送る手紙 靖国神社
21世紀の資本 トマ・ピケティ
憲法9条を世界遺産に 太田光・中沢新一
我が闘争 堀江貴文
インターネット・ゲーム依存症 岡田尊司
【E】
命が踏みにじられる国で、声を上げ続けるということ 雨宮処凛
この世の欺瞞 金美齢 長谷川三千子
東電国有化の罠 町田徹
ベーシックインカム 原田泰
『当たり前』をひっぱたく 赤木智弘
神想感はすばらしい 谷口清超
女の生き甲斐 谷口雅春
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