【ダークツーリズム】ハンガリー王宮の丘
出張前から必ず行こうと思っていたのが、ブタペスト王宮の丘のすみっこにある軍事歴史博物館。王宮の丘と言えば、ブタペスト観光の中心地で、世界各国から人が集まっています。だけど軍事歴史博物館にいるのは、ほとんどヨーロッパ人。ヨーロッパという不安定な情勢を生きるためには、外交に対して意識が高くならざるを得ないのかな?と感じます。一方で、日本の靖国神社の遊就館には、単なる歴史マニアが多かった。ここは入場者の雰囲気が日本とはちょっと違う。ちなみに歴女はいないようだ。ちなみに、あくまでウチの感想なので、そのつもりで読んでもらえるとありがたいです。
〈栄光の中世〉
入館してすぐに自分の知識が不足している事がわかった。だって自分が注目しているのは、第一次世界大戦以降だから。展示は主に『栄光の中世』と『敗戦の近代』に分かれている。確かに教科書でも、ヨーロッパの歴史は中世が多かったような気がする。しかしその頃の日本は、鎖国をして国際社会と距離を置いていたから、現代を知るためには明治維新以降で十分だったりする。だって大繁栄した江戸時代という社会主義体制には、外交なんてなかったんだから。
しかし『栄光の中世』は、淡々と軍服が展示されているだけで特徴がない。印象に残ったのは、中世の軍服はとにかく鮮やかだということ。派手な軍隊は国力の現れであり、攻め込まれた時に相手が感じる脅威は凄いものであったのではないだろうか。
ちなみに中世時代にかけて侵略を続け、今のハンガリー地方にまで拡大してきたハンガリー人は、ロシア地方からの遊牧民がルーツとされている。その為、どことなくアジア系に近い雰囲気があるが、体格はヨーロッパ人である。当時の面影を、今もなお残しているように思える。
〈敗戦の近代〉
メインはここからだ。日本にいると、ハンガリーという東欧の国を中心にした近代戦争を知るのは難しい。どうしてもドイツ、アメリカなどに情報が偏る。逆にそこが好奇心を駆り立てるところでもある。ハンガリーは、第一次世界大戦で敗戦し、その後は世界恐慌に巻き込まれ、ドイツ経済に依存して立て直すも、今度は第二次世界大戦で敗戦。更にロシアの支配下に置かれる。この動乱の国は、いったいどういう事を考えているのだろうか?
ついでに自分への警鐘を書いておく。実は日本には2012年まで展示論というものがない。その背景の元で靖国神社の遊就館などが作られているのだけど、それを偏向、危険施設だと糾弾する事にそもそも意味はない。偏った考えの人が、偏った展示をしていると捉えた方が良いくらいだ。しかしヨーロッパの展示は違う。そのつもりで見ていこう。
さてさてサーっと見ていくと、意外に第一次世界大戦の展示は少なかった。どちらかと言えば中世の展示の中に含まれてしまっている。ハンガリーにとって第一次世界大戦は、第二次世界大戦のきっかけにしか過ぎないようだ。要するに、ハンガリーは第一次世界大戦で失った領土の奪還と、取り残されたハンガリー人の救出の機会を常に伺う理由にしかなっていない。実際、歴史を調べてみたところ、第一次世界大戦後のオーストリア=ハンガリー二重帝国の解体と、その後に締結されたトリアノン条約で、ハンガリーは多くの領土を失い、多くのハンガリー人が国外に取り残されてしまった。その数は約300万人。ハンガリー系だけではないけど、当時の人口が1800万だった事を考えるとかなりの割合。今もなお、1400万のハンガリー人のうち、400万が国外のマイノリティーとなっているらしい。ハンガリーの歴史を一箇所で切るならば、第一次世界大戦なのだろう。そしてベルサイユ体制の崩壊という点で、ドイツと利害が一致することで、ハンガリーにとっての第二次世界大戦が始まる。
一方でイギリス等の西欧は、ドイツの行動に反発して枢軸国と対立する。しかしハンガリーという東欧では、ドイツとロシアを天秤に掛けたら、ドイツを選択するしかなかっただろう。
そして第二次世界大戦のドイツ敗戦が濃厚になった1944年、ハンガリーは連合国との講和を進める。だがそれをドイツに反発され、ハンガリーは矢十字党に占領されることになるのだが、1945年に皮肉にもソ連に解放される。日本の展示ほど強い主張はしていないが、枢軸国とソ連に挟まれた悲劇の国である事を訴えている。
それを象徴するように、連合国の展示にソ連は含まれていない。つまり、ナチスとした事は反省しつつも、あくまでハンガリーの敵はロシアであったという視点のようだ。つまり要点は2つ。ロシアとの戦いと、領土奪還。
だけどちょっと気になるのは、ハンガリー系共産主義の存在には触れていない事である。それは1989年まで社会主義体制が続いていたからかもしれない。
そのハンガリー政治の中心にあったのが、この王宮の丘。丘の地下部には迷宮が作られていて、時代によって監獄だったり、防空壕だったり、ワインセラーだったり用途が変わっている。
病院だった事もあったそうだ。
本物かはわからないが、処刑用の椅子があったりして結構不気味。
〈近代から現代〉
せっかくだからもう少し調べてみた。ハンガリーの社会主義化は、第一次世界大戦後の秋薔薇革命。社会民主党が政権をとり、若干の制限とともに社会主義と化したのだとか。具体的には、経済的な面では、国有化、協同組合経営などの社会主義的方策の適用領域を明確に限定して、それ以外では市場経済の機能を保障した。日本とちょっと似ている感じの社会主義体制だ。
そして前に書いた通り、ハンガリーの社会主義体制崩壊は1989年。けっこう最近の話で、冷戦の終結後、軍事競争を経済的に支えきれなくなったソ連からの撤退する形で、共産党改革派と反体制知識人の間での交渉が契機となりデモクラシーが成立。しかし現在のハンガリーは、社会民主党と農民政党の二大政党制政治なんだけど、社会民主党も農民政党もデモクラシーにおいて重要な役割を演じることができなかった。
政府よりも国民権利が強い起源はここにあるのだけども、これは日本と大きく違うところ。そういえば面白い例がある。日本人って、上がなんとかしてくれる、他人の作った道に乗っかってやっていこうとする癖がある。つまり、お上は自分達をなんとか管理して、リードしてくれる人達だと勘違いしている。昔から日本のヒーローは水戸黄門や暴れん坊将軍のようなお上で、欧米のヒーローはスーパーマンのような市民。市民の手で解決する事を日本人はあまり夢見ない傾向があると言われている。本当に民主主義を求めているんだろうかなんて疑問すら思えてくる。
〈敗戦国の共通点?〉
日本、ハンガリー共に、あの戦争の敗戦国である。そのせいなのだろうか?日本も、ハンガリーも、明るい戦争をしていた時代は明るみに出さない。明るい戦争なんて言うと変かもしれないけど、日本だって太平洋戦争の本土空襲が始まり戦局が悪化するまでは、明るい戦争をしていた。はしゃぎっぷりは当時の雑誌や、広告から見てもわかる。主婦之友なんて、アメリカ人をブチ殺せなんて言っちゃってる。
となると、次に興味を持つのは戦勝国。明るい戦争を前面に出しているんじゃないか?っていう好奇心が出てくる。知ってるところだと、例えばイギリスは『第二次世界大戦でドイツと戦いヨーロッパを救った』と考えているし、8/15は『victory over Japan』という戦勝記念日であり、イギリスでは毎年お祝いしている。あまり知られていないのは、日常的に反日ムードがある訳ではないからだと思う。これらは、どちらかといえば明るい戦争の印象だ。自分が日本人である以上、知らずにいられない戦勝国はアメリカ。次は『パールハーバー アリゾナメモリアル』に行ってみたい。
そういえばもう一つ気がついた。
ここの博物館って、お土産が売っていない。。。アミューズメント性は全くない重々しい博物館だったなぁ。










