これからの教育に必要なもの・・・?動物園で学べました^^
今日もマカヤブログにお越しいただきまして
ありがとうございますm(u_u)m
昨日は日曜日。皆さんはどんなお休みを過ごされましたか~?
私は久々に動物園に行ってきました~
動物園に行く途中に
『最近の子供たちは動物園とか行くのかな~』
『最近の子供たちが行かなくなったんじゃなくて
最近の親が連れて行かなくなっただけかもね~』
そんな会話をしながら動物園に向かいました。
動物園に到着すると、予想以上に人が多かったので
何だか安心しました=3
動物たちは本当にありのままだから
見ていて楽しく飽きがきませんね~o(^-^)o
そんな中、私が不思議に感じて面白く
人間にも関係あるな~と興味をそそる光景がありました。
それは、オランウータンとサイの違い。
※写真は私が実際見たオランウータンとサイではありません。
私たちがサイを見に行くと
そのサイ君は、自分の居場所の範囲をうろうろしていましたが
そのうち、扉(きっと、寝室となるところ)を頭で押すようになりました。
眠たかったのでしょうか?寝室に入りたそうでした^^
しかし、扉を開けることは出来ず
諦めた様子でまたうろうろしていました(笑
そして、その後オランウータン君に会いに行きました。
オランウータンは寒がりの動物らしく
麻のような布が檻の中に用意されていました。
そして、何とその布を頭から自分で人間のように
かぶせ始めました。
ビックリ((((((ノ゚⊿゚)ノ
しかも、その前に残りの布で足元にも布を敷き、防寒対策万全!
頭いい~~~(・∀・)!!!!!
オランウータンは人間にも近い生き物で手も器用ですし
TVなどでも、計算が出来たり文字を認識する
天才オランウータンを見かけたりしますよね。
オランウータンとサイの違いは確かに一目瞭然。
しかし、同じ動物なのにオランウータンは
自分の願望(寒さから身を守りたいので自分自身で布をかけて温まる)を
達成することが出来、
サイは自分の願望(眠たいから寝室に入るために扉を開ける)を
達成させることが出来なかったのでしょう???
そこで、なぜか私が気になったのは
目の動きでした!!!
どういうことかと言いますと
オランウータン君を見たとき
目が上を向いたり下を向いたりと
人間のような表情で、何かを考えたり想ったりしているような
そんな目をしていたのです
サイ君の目はあまり動いていませんでした。。
気になったので帰って調べてみると
目の動きは脳に影響を及ぼしているということが分かりました!
目の向きで、アクセスできる脳の部位が異なるそうなのです。
その結果、出てくるイメージも異なるものになります。
上を向くと、映像をイメージしやすくなり
横を向くと、音声をイメージしやすく、
下を向くと、体の感覚や感情をイメージしやすくなるそうです。
言い方を変えると、目を動かさなければ、脳にアクセスすることができないのです。
例えば知識に関係ない質問ってありますよね。
『宇宙人っていると思う~?』
いわゆる頭が賢く新しい発想をする人は
『どうだろう~?』と
目を上下左右いろいろな向きに動かしながら
面白い想像をし、正誤関係なく色んな考えを述べます。
逆に
『分からない』などといって
想像することもなく諦める人は新しい発想も出ませんね(+_+)
想像できないということは
実現できないということとイコールですもんね。
まずは、想像することですね。(目を動かしながら)
あんまり動かしすぎて目を回さない様にしましょう(笑
質問や答えの内容はそんなに重要ではなく
楽しく心柔らかに想像することが重要ですね!
目を動かすといっても、落ち着きなくきょろきょろするのではなく
何かを考える時、
最初、目を上に向けて考える。
考えが出てこなくなったら、
同じ事を目を横に向けて考える。
考えが出てこなくなったら、下に向けて考える。
と、繰り返してみるのもいいでしょうね。
そして、これを自然にやれるのが散歩
自然と周囲の景色を目で観察しながら歩いています。
そうすると目をあちらこちらに動かすことで
脳のあらゆる部位にアクセスしているので
新しいアイデアや発想に繋がるのでしょうね。
動物園を散歩するなんてもってこいです(笑
いつも同じことを悩んでいる人は
目が動いていないそうです。
目を動かさない=脳の部位にアクセスしていない=新しい解決が見つからない。
うつの治療に散歩を勧められる理由がこれで分かりましたね。
そして、いつもパソコンとにらめっこで目を動かさないとか
ゲームばかりして目を動かさない
勉強ばかりして目は文字を見るばかり・・・
これでは脳も心も動きませんね。
最近の身近な人間をバラバラにしてしまう悲しい事件や
子供たちの意欲低下など
色んな問題が複雑な現象として表れていますが
きっと、根本はシンプルな原因のような気がします。
教育するは英語でeducate。
educateは本来引き出すという意味だそうです
今は個人個人が持ってる能力を引き出すというより
色んな知識や常識を押し込む教育になってる気がします。
教育が本来の引き出すから遠のいているので
人間も本来の姿から遠のいてしまうのもある意味自然なのかもしれません(・・;)
動物園に来ている子供たちは
目をわくわくさせながら動物を見ていました。
いえ、子供だけでなく大人もそうでした^^
(私たちはサル山でサルに夢中になり過ぎました)
本来持っている力を引き出すのが教育。
想像させ、わくわくした未来を描けるように導く役割。
私はお母さんになっても
必要な環境やきっかけだけを与え
後は自分自身で想像し創造できる子供に育てていきたいな~と思いました!
ということは自分がそう在り続けるということですね^^
最後に目の話に戻りますが
目は心の窓と言われるようにとっても重要な役割があるのでしょう・・・
相手を温かく見つめ
本質も見つめれるということは
そういう心を持っているということなのでしょうね☆
想像力は思いやりにも繋がり新しい発想の原点でもあり
脳の活性化にも役立ちます。
究極の想像力を持つことが
複雑な色んな問題を解決へと導き
みんなの幸福へと繋がることも可能だと感じました。
ちなみに、今回のオランウータン君とサイ君の話は
事実関係は分かりませんので、ご了承くださいm(_ _ )m
私が2人から学んだこととして書かせていただきました。
私はオランウータン君もサイ君も等しく
優しい心を持っていることを感じました(^ε^)♪
今回は長くなってしまいましたが
最後まで目(心)を通してくださりありがとうございましたm(u_u)m
皆さんの心の栄養となれば幸いです
心と心が出会うことで円となっていく。
今日から心に愛の炎を!と題したマカヤブログで
自由気ままに感じたことを綴らせていただきます
心プレゼンター紗耶香(さやか)でございますo(^-^)o
今日は1月11日。11日=イイ日です^^
イイ日ということで縁起を担がせていただいちゃおうという想いもありまして
この日をブログスタートの日といたしました!!
私は日々生かされている時間の中で
ご縁の不思議さに感動することが多いのですが
皆さんはいかがですか~~?
この世には現実思考では考えられない
不思議なご縁が存在していると思うのです。
真実の世界の中で。
そして、このご縁というのは
心と心で繋がっていると感じるのです。
類は友を呼ぶという言葉にもあるように・・・。
例えば、
山には木々が集まり
川には水同士が集まり
砂浜には砂同士が集まり・・・と、
小さな小さな存在が集まり大きな1つを作り上げている。
これって不思議じゃないですか??
同じ質を持ったもの同士が自然と集まっている。。
自然ってすごいって驚かされます!!!!
そして、その中でも人間もまた特別な存在でもあるような気がします。
特別というのは優れているとか劣っているとかいう意味ではなく。。
例えば、私は24歳の小さな女の子ですが様々な友達がいます。
(心はまだ少女なので女の子と呼ばせてください^^;)
年齢もばらばら異性もばらばら職業もばらばら見た目もばらばらです(・ω・)
バラバラです(笑
山や川や砂たちとは違って
見た目が違う者同士が集まって人間社会が形成されていますね!
それなのに、出会っている・・・
そして、その何億人という人類の中でも
特別親密に関わる人ができていく・・・・。(仲間・友達・家族・夫婦・・・・・)
でもこれもまた自然と変わることなく
自然の法則・宇宙の法則なんだと思います。
同じ質(エネルギー)を持っているのでしょう。。
共鳴し合い、共感し合ってるということなのでしょう。
呼び寄せあい、引き寄せあっているのでしょう。
人間は見た目にとらわれやすい生き物ですが
心を1つにすれば違ったもの同士でも出会えるって思うのです。
違う国で生まれたとしても
違う学校で学んだとしても
男と女で異なる性を持ってるもの同士でも・・・
自分の心が呼び寄せていることに気づくと
生きることが楽しくなりますね!
ご縁を結び円が出来ていき大きな和となっていく。
この大和精神が私は好きです!
今日からスタートさせたマカヤBLOGですが
どんなご縁を結ぶことができ
どんな出会いに発展していくのか楽しみです(≧▽≦)
マカヤは共感・共鳴して
多くの方と仲間になっていきたいと願っています。
少しでもあなたの心を温めることができていれば幸いです
今日は、最初のご挨拶ブログとさせていただきましたm(u_u)m
最後まで読んでくださってありがとうございます♪
愛する人を亡くした人の為の100の言葉
泣いた分だけ優しくなれる。
大切な人を失ったその瞬間は
優しくなれなくてもいいから
命が蘇って欲しいと泣いたことがあります。
涙も出ないくらい悲しみました。
でも、私はこうやって生きているのです。
そして、見えなくなったあなたも生きているのですね。
出会ってくれてありがとう。
あなたのおかげで愛を知りました。