
これは先日読んだ島田荘司さんの『龍臥亭事件』の元となっている
実際に起きた事件を描いたものです。
事件関係者、証言者の記録によって構成されています。
津山という地名は、この村を包括する町の名前で
事件が起きたのは、岡山県苫田郡西加茂村大字行重部落。
全23戸という小さな村で起こった壮絶極まる事件でした。
23戸中12戸の家を襲撃し、即死者29名、重傷者3名、難を逃れた者数名という
(本によっては死者の数が30名とされるものもある)
まさに阿鼻叫喚地獄(見たことはないけれど)と言った惨状だったと言います。
時は昭和13年5月21日未明
前日の午後5時頃、同村に送られる電気を止めるために
電柱に上り変圧器を操作して、村中を暗闇にしたという用意周到さ。
黒詰襟の上下、足にはゲートルを巻き地下足袋を履いた。
頭には手ぬぐいで鉢巻きをして左右に懐中電灯をくくりつけ
自転車用のナショナル箱型前照灯を首から紐で胸の前に吊り下げたものを
別の紐で固定。
薬莢入り雑嚢を左肩から右脇に斜めがけし、その上から紐で巻き
さらに皮ベルトを巻いて締め、右手で引きやすいように日本刀と匕首を左腰に差し
ポケットには実弾実包約100発、手にはブローニング猟銃一挺を抱え
深夜、村中が寝静まった中を都井睦雄はこのような格好で襲撃開始したといいます。
これだけ用意するのにかなりの時間を要したはずです。
身繕いしながら、どうやって覚悟を決めていったのでしょう。
都井睦雄は幼い頃に両親を相次いで結核で亡くし、姉と共に祖母に育てられました。
小さい頃から真面目で学力優秀で、村でも評判の子供だったと言います。
ただ幼少時から体が弱く、16歳で肋膜炎を発症したことが彼の人生を
大きく変えてしまったのでしょうがが、それだけではないように思います。
この村では(村人は否定していますが)夜這いが公然と行われていたといいます。
娯楽の少ない時代、まして山奥の村ではあったら不思議ではないでしょう。
この村だけの話ではないようにも思います。
万が一、夜這いが発覚され問題になったときは、一升瓶と肴を持参して
相手のの家へ出向き、和解の一献を酌み交わすと言います。
果たして、そんなことで仲直りなんてできるのか私にとっては疑問ですけれどね。
しかし、娯楽がないからイコール夜這いって・・・あまりにも考えがなさすぎない?
人口の少ない狭い村であるから、顔を付き合わす機会も多いのだろうし
今後のことを考えてそういう策(どういう策よ!)がとられているのだろうけれど
あまりにも『性』に対する考え方がオープンすぎる。
しかし、それが昔からの風習なのだから仕方がないと割り切れるのか?
夜這いを受けた方には拒否権もあるような話も聞くが
状況にもよるだろう。堪ったもんじゃない!
その上、この地区には鍵をかける習慣がなかったという。
夜這いが行われることを前提にしているためか?
田舎で犯罪が全くなかったからか?
どちらにしろこのようなことが、都井睦雄にとっては
襲撃を行いやすかったという残念な部分ではあったのでしょう。
話を元に戻します。
真面目な青年が何故このような凶行に及んだのか。
18歳頃、この村出身の大阪で売春(淫売と言った)の客引きをしていた
同じ年頃の青年と仲良くなったことがきっかけだったといいます。
それまで真面目だった睦雄が初めて経験し、どんどんその世界の深みに
嵌ってしまうのは当然の事だと推察します。
村の淫風にも助けられ(?)、多くの女性達と関係を持っていったけれど
肋膜炎が再発し、それが公になったことで拒否されるようになったといいます。
拒否だけならまだしも、あることないこと噂をばらまかれ
村でつまはじきとなってしまった睦雄です。
この噂も、女性達は自分を守るためにとった行動だったのでしょうが
都合が悪くなると自分を守るために相手を平気で貶める
都合の悪いことから逃げ出すのは昔も今も変わらないのかもしれません。
確かに狭い村でのことですから、性的関係を暴露されるのは
女性にとっては耐えられないだろうけれど、結局は関係を受け入れたのだから
子供でもあるまいし、自分も矢面に立つくらいの覚悟はしなさよ!と言いたい。
自分で噂をばらまいて疑いから逃れようなんて、なんて卑怯なの。
決して理解できない訳じゃないけれど
あまりにも短絡的な行動ではなかったか?
女から見ても覚悟が足りない卑怯者としか思えないですよ。
睦雄の狭い世界においては怨恨の思いが膨らむばかりだったのだろうと思う。
その昔、結核は不治の病と思われ忌み嫌われていたと言います。
少し前まで、水俣病やハンセン病に関しても間違った知識を持っていたし
エイズに関する知識だって似たり寄ったりなのですから
昔の人だけを悪くは言えないですけれどね・・・・・・・・・・・・・
祖母の元を離れられず進学を諦めたことで将来の夢が絶たれた絶望、
そして孤立、病気 ・・・・・・・・・・・・・
昭和9年18歳から書き続けた『雄図海王丸』という作品を読む限り
睦雄は青年らしい夢を抱いていたはずです。
確かに当時の村社会にも問題はあったと思います。
当時の村はきっと閉鎖的だったのではないでしょうか。
一人でも意見の違う人間がいると後ろ指を差されたり
要するに人と違ってはいけない暗黙のルールも存在していたと思います。
大昔ですが、住人ではない私でも肌で感じたことがあります。
狭い地域の怖さです。
もちろん睦雄自身にも問題はあります。
女性と関係を持ちたいからと言って、あまりにも・・・です。
今の時代なら犯罪です。
でも睦雄一人を糾弾するだけでは解決しないように思います。
彼が最期に何を思ったか、もし生きていたら何を語ったか。
しかし、どちらにせよ
何がここまで彼をこのような殺人鬼と変えてしまったのか・・・
人と人の問題は簡単に割り切れるようなものではないのでしょうが
人間同士関わらなければならない以上、どこかで線引きしながら
相手の立場になっての物言いを心がけなければ
必ずどこかで歪が起こり、取り返しのつかない状態になるのは当然だと思うし
誰でも一度や二度は経験して、自分なりに思ったことがあると思います。
人付き合いは面倒だぁ~・・・って。
きちんと伝えたつもりでも相手次第で、全く解ってもらえないこともあるし。
ホント・・・人の心の中はブラックホールだわ。
書いているうちにどんどん纏まらなくなってしまいました。
今日はこれにて退散します!
書いているうちに、先日起こった長崎県佐世保での
散弾銃乱射事件とダブってしまいました。