5月のはじめ、いわきブルーの青空の元、母(91才)が、老衰で、安らかに旅立ちました。




連休があり、葬儀が遅くなってしまいましたが、無事、納骨も終わり、少し落ち着きました。



疲労も溜まっていたせいか、家族全員で次々と風邪になってしまいましたが、それも、やっと治りつつあります。




突然というわけでもなく、段々と衰弱してきていたので、家族とラインの映像を通してや、直接会ったりして、皆とお別れの挨拶もできました。



最後の1週間くらいは、夕方、デイサービスが終わった時間に、施設に訪ねて行き、YouTubeの動画を2つ一緒に見て、フルーツジュースを少しだけ飲む、というのが日課でした。




私が好きなフィギュアスケートや、角野隼人さんのピアノ、4月末の娘のダンスステージの動画、姉のピアノの演奏、母が好きだったフォレスタという合唱団の歌などを、じーっと見て「綺麗〜」だの「すごい」だの言っていました。



スケートの中井亜美ちゃんの動画は「もっと」と言っていました笑。




認知症でしたが、最後の方は何故か普通の母に戻っていた感じで、表情も柔らかく、意識がなくなる直前、最後に交わした言葉も、

「あんた、(付き添ってるの大変だから)もう帰りな」

「あんた、寒くないの?」

「東京は?(東京の娘のところに行かなくていいの?)」

と、最後の最後まで、自分のことより私のことを心配していて、「母は相変わらず、最後まで母だったなぁ」と思いました。




午後の明るい太陽が差し込む中、癒しの音楽をスマホで流していましたが、10分くらいすると、何か美しいものを見て、とてもびっくりしたように、目を大きく見開いて、天井を眺めていました。



目を開いたまま、気がつけば意識がなくなっていて、呼吸だけは、酸素マスクをしながら、大きくしっかりしていました。



数十分がたち、開いていた目が、急に閉じたかと思ったら、酸素マスクに吐く息がかからなくなって、それが最後となりました。



最後の一呼吸まで、私が手や頭をさすりながら、施設の母の部屋で、静かに看取ることができて、これ以上無い大往生でした。




母は、施設に入った頃は、拒否が強く、施設のお風呂も嫌がり、その上、人工肛門で認知症という、スタッフの皆様にとっては、本当に大変手がかかって、苦労が多かったと思います。



それでも、最後の最後まで、あたたかく、大変良くしていただきました。



「お母さんは、可愛らしかったですよ」と施設のスタッフの皆さんが、同様におっしゃって下さいました。



『メディケア悠中央台』の皆様、本当にありがとうございました。




そして、年末年始や休日など、度重なる入院の際も、毎日母を診てくれて、最後、施設を出る時も、軽トラック🛻で家具や荷物を運んでくれた夫にも、心から感謝したいと思います。

(※記事中の庭の花の写真も夫が撮影)



葬儀の後、父が亡くなった時と同じように、虹🌈や蝶々を見ました。

 


今頃、お空の上で、父や、子供の時に亡くした母のお母さんとも会っていることでしょう。



姉が旭川の自宅に帰る途中、飛行機から撮った、大雪山連峰



これからは、母は、魂だけになって、自由に好きなところを飛び回っていけるので、私も父と母がいつも見守ってくれていると、安心していようと思います。



そして、自分のお迎えが来るその日まで、存分に私の人生を味わいつくせるよう、日々を大切に生きて行こうと思います。



 ※  亡くなる前日、母と見た最後の動画です。美しいものが好きだった母は、荒川さんの衣装を見て「綺麗〜」と言って、終わりまで熱心に見ていました。


荒川静香 祈りの舞