私が育った環境については、両親の年齢差がひと回り(干支1周分)離れていて、学年の親たちの平均年齢よりは10歳くらい上だった。両親の仲は良い方だったと思うし、幼いころは、私への愛情も深かった記憶はある。ただ、今思えば両親共に思慮が浅かったような気がするので、学習の事や将来を生き抜く知恵に関して、食卓で話題になった事が、ほぼ無い。
優しくて愛情深くてお人好しで他人への気遣いがあってロマンチストでなんかフワフワした思考のある両親・・・あれっ?なんか私にかなり当てはまる・・・ブログしながら気が付いちゃった(;'∀')。なんか嫌だな(@_@。
↑この性格は父の方が強かったけど、母はちょっとクセありな人。ワガママで、自分だけの物差しがあり、これで測れないと、癇癪を起して私に八つ当たりする人だったので、今で言う「毒母」に近いかも(@_@。こんな事言ったら、天国でめっちゃ怒っているだろな。。。母からの「理に適っていないハラスメント」が強すぎて、私はいつも小さくなっていたような気がする。中高生になった頃は、母の癇癪を宥めるのがめんどくさくなって、少女の頃に必要な母と娘の会話も希薄になって行ったので、女の子にとっては、これは非常に良くない!!たぶん母は、悪い人では無いんだけど、気持ちや暮らしに余裕が無くなると、色々パニックになって、冷静に振舞えなくなるから、そんなイライラの矛先が私に向いてしまったんだと思う。
★タイミング良く物事が言えない点は、恐らく母からのハラスメントが影響している可能性がある。
★お人好しはたぶん父だ!!。
★頭が弱いのは、たぶん両親の思慮が浅かったからかも。
ざっと説明すればこんな感じの家庭環境で、父はモテていたのでは無く、お人好しな性格がなんらかに作用して複数回結婚した事で、親戚から評判悪くなって本家を追い出されて・・・。
それで財力も無くなったから、両親があくせく働かざるを得なくなり、小学校2年生くらいまで愛情だけは貰えていたのに、急にほったらかしのネグレクト状態になって、この頃と私がおかしくなった時期がどうやら一致。
お金で苦労があったので、「ア・テスト」※当時神奈川県の中学2年生が受ける、内申にかなり影響するとても大事な試験。
の前日にも、お金関係で変な人がうちに来て、もう私は試験どころでは無くメンタルが崩壊。
色んなうっ憤があったけど、私は性格的に、誰も恨めずモヤモヤしながらやり過ごしているうちに学校生活が終わってしまい、両親を仕事でムリさせたくなかったから、高卒で就職。
憧れている大学があって受験だけしたけど、塾なんて行くお金も無かったから、赤本だけの独学で的を射ない勉強をして受かるわけも無いし、受かったところで通うお金も無いのは分かっていたけど、学校が違う周囲の友達にエリートが多かった影響もあり、人並みに受験だけでも味わってみたかったんだろうね・・・当時の私は・・・。
危機感は持っていたけど、知恵不足のまま社会に出たお人好しは、経験や年齢を重ねれば、いつか社会の歯車にちゃんとハマって回す力になれる日が来ると希望を持ち続けていたけど、とうとう空回りのまま最終章。
自身の市場価値が益々下がっている事も手伝い、今回の求職活動は、たくさん応募面接して、たくさん落ちた。
ようやく採用された職場の雰囲気は、現場作業の気質がある業界の経理事務。自身の性格で上手くやって行けるか、その他条件を天秤にかけると、まだ何とも言えない部分も沢山あるけど、長年経験のある事務職に就けただけでも良かったと思うしかない。
優しさや理解を求めて色んなタイプの業界に行ってみて、私はたくさんの”恥”をかいた。仕事への負い目があり、挽回するために少しでも何かで役に立つように振舞ったり我慢をして、いよいよダメになったら身を引く事を繰り返して来た私が思った事は、仕事の探し方が下手だったから失敗を繰り返している事を嘆いていたけど、どうやらそうでは無く、
ぶち当たって被りながらも、どうにかメンタルを保って次の居場所を見つけて去る。お給料の数パーセントは、さらした”恥”を我慢する事で稼いだ!!。残念ながら、この方法で凌いでいくしか無かったんだな!!と言う気づきでした(@_@。
ただ、この状況を支えたのは「私は我慢が出来る!!」と言う一見、悲しく思える取り柄でした(;'∀')。
このメンタルを支えたのは、”音楽だったんだ”と言う事に、改めて気づかされた事がありました。このブログを綴っている最中の先日、たまたま名古屋方面(正確には三重県四日市市)から実家に帰省してきた小学校1年からの幼馴染に久々に会いました。
私もスケジュールパンパン状態だったので、彼女にはちょっとゴメンだけど、私の用事に色々と付き合ってもらいながら丸一日を過ごす事に了解してくれたので、私が今推している、masqueradedejavu(マスカレードデジャヴ、以下マスデジャと呼ぶ)さんの路上Liveを一緒に参戦しました。彼女も、今はヒゲ男とかお嬢さんの影響でスノーマンとかLive行ったりしてるので、基本的には音楽好きです。彼女は、他のファン様ともフランクに挨拶してくれたり、Live終わりに、だだ様・カワモト様に紹介した時も、明るく楽しく対応してくれて嬉しかったです。
彼女とは小学校6年間同じクラスでしたが、以後は進学先の都合で離ればなれになったので、学校時代の私の事は、小学校の記憶までだと思います。なので、その日初めて私のキャラクターを彼女に説明しました。そして、彼女も自身の事をたくさん話してくれました。
その時言われた事、「私は好きな音楽で自分を癒すから病まずにメンタルが強くて、更にそういう音楽を柔軟に探す臭覚があるんだと思う。たくましく生き抜く才能、宇宙1すごい!!」との事でした。
ちょっと照れましたが、そうなんかな~と、しみじみ感じました。
そして、そのメンタルの源だけは、両親から授かった事にも気が付きました。
生き抜く力を直接的に教える事が出来なかった両親。
うちの両親は音楽が好きでした。貧乏だったし、楽器も持っていなかったけど、質のいいレコードプレーヤーとスピーカーだけはありました。加えて、テレビとラジオも大切な神器でした。
父親は、複数回結婚している事もあり、私が生まれた頃、かなり年をとっていたので、大正生まれです。母は、子供を産める年齢だったので、私が存在します。
その父は、年をとっていたものの、音楽や芸術の趣味がオシャレな方だった事もあり、年齢不詳な感じでした。ウイスキーをちびちび飲みながら、レコードでジャズを聴くのが好きだったようで、いわゆる「聴き専」でした。そんな父が好きな、日本のアーティストの中に、古賀政男さんと言うギタリストが居ます。私の学年で、小学校時代に古賀さんを毎日聴かされている人ってかなり希少だと思うし、曲は刷り込まれていますが、古賀さんがどういう人なのかは、全く追求もしていませんでした。
両親は他界しているので、父から古賀さんのメロディーに魅かれた経緯など、とうとう聞けませんでしたが、私の友達に、音大出身のピアニストさんが居て、去年、彼女の知り合いが出る、クラシックギターやマンドリンの演奏会に誘われて行った時に、古賀メロディーを演奏している方が居て、私は曲を知っているので、色んな記憶が頭を巡りました。
古賀メロディーって、確かに昔ではあるんですが、今聴いても全く色褪せていない楽曲です。思い出したのですが、私の記憶にあるたった1枚のアルバムがあって、それはインストゥルメンタル(表記合ってる??(;'∀'))ですが、アレンジが最高なんですよ!!一生懸命ネットで調べたんですが、そのジャケットが出てこない。私は、そのアレンジを今の人に継承したいくらい素晴らしいと思っていて。。。
なんか古賀さんってすごいんですね、代々木上原の方に「音楽博物館」とかあるようなので、近いうちに行ってみようと思うんですが、いつも予定から漏れてしまうので、近いうちに渋谷方面に行くときに行かなくちゃ!!と思ってます。
YouTubeでも曲はアップされていますが、博物館にホールがあるみたいで、そのホールで複数人のアーティストさんが生演奏している映像で曲を知ったほうが、素晴らしいアレンジが再現されています。
なぜか、古賀さんってYouTubeでは、演歌系のアーティストさんが歌っているものが多いので、もちろんそれも良いんですが、
私は、「誰か故郷を想わざる」と言う曲の、歌が入ってないギターアレンジ(特に間奏部分)が絶品だと思っていて、それが私の記憶にある1枚のアルバムでしか聴けないアレンジなんです・・・とても今聴きたい衝動にかられます。
私と同じ学年で、古賀政男が・・・とか言える雰囲気では無いので、ずっと封印していましたが、なんか今なら若者にも言えそうだな(^^♪。
と、まあだいぶ話が逸れましたが、この音楽と強靭なメンタルの関係はもう少し説明したいかな。 続く。
