史実では「坂本龍馬は大したことしてない」「実は織田信長は常識人」という話をSNSで時々見かけますが、最新の歴史学では実際はどういう説になっているのか気になって調べてみたので聞いてください。結論から言うといわゆる「司馬遼太郎史観」が「課長・島耕作」的世界観に立脚していたからこその歪みがこのギャップに繋がっているのだと私は感じました。

 

 

 

1●龍馬伝説はなぜ生まれたのか?

 

坂本龍馬が史実以上に脚色される流れは実は明治時代から始まっていて、当時薩長藩閥政府への反感が高まる中、倒幕に功績があった「薩長土肥」の「土」佐=高知県をはじめとして自由民権運動が盛り上がっていて、「薩長だけでなく土佐にも倒幕の英雄がいたのだ」というストーリーが必要とされていた流れがあります。

 

その他、日露戦争の時に皇后の夢枕に坂本龍馬が立ったという話が流布されるなど、歴史を通じて

 

「今のお上」に日本人が不満を持った時にめいめい勝手に「完璧な思い入れ」を託せる位置にある便利な存在

 

…としてどんどん「幻想」を吸い上げて膨らんできた事情があるわけですね。

 

直接坂本龍馬を知っていた人々がまだ生きていた明治時代の「龍馬ブーム」で色んな人が色んな脚色をしたエピソードを追加したわけですが、そしてそれらを全部史実のように扱って、作家司馬遼太郎が昭和の高度経済成長期に完成させたのが「伝説の中の龍馬」という事になります。

 

 

2●史実の龍馬は全然たいしたことしてないカスみたいなヤツ・・・というのは真実か?

 

SNSでは、

 

「薩長同盟も大政奉還も実は全然関わってない、ぜんぜんたいしたことしてないカスなんだよ。素浪人のリョーマごときにそんなことできるわけないだろ?」

 

…みたいな嘲笑的なトーンでバズってるポストをたまに見ますが、実際のところはどうなのでしょうか?

 

しかし今回調べてみて私が感じたのは、

 

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いやいや、案外すごい活躍してるやん。というか「伝説の龍馬」より「ちゃんと仕事デキる感」あるんちゃう?

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…というぐらいの印象でした。

 

神田外語大教授の町田明広氏の研究をベースに見ていくと、史実の龍馬は

 

・優秀なBtoBの営業マン

 

…みたいな活躍の仕方をした人だったと思われます。

 

薩長同盟にしても、薩摩藩側と長州藩側に、本来「協力しあえたらいいよね」という理解自体はもともと存在しているわけですよね。それがなければそもそも成立しえない。

 

でも第一次長州征伐の頃の恨みとかあって、お互い不信感が渦巻いていて、「提携できたらいいよね」という話だけでは全然話がまとまらない。

 

その状況の中で龍馬はまず薩摩藩の西郷や小松帯刀とちゃんと意思を共有した上で、長州藩側に潜り込んで話を通していく営業マン的な役割を果たしているんですね。

 

「長州藩側の窓口になりえる人」が長州藩内部の情勢変化によって移り変わっていく中で、新しいツテを見つけて色んな経路で話を通してキーマンを動かし、長州藩と薩摩藩の間を結びつけていく実働役になってるんですが、このあたりかなり「BtoBの優秀な営業マン」っていう感じが現代人目線では最も適切だと思います。

 

今SNSで「薩長同盟に龍馬は関わってない」と言われているのは、まさにその「条約」が結ばれる会議とか、条文の細かい検討とかの会議に坂本龍馬は参加してないっていうだけなんですね。

 

「下地ができて実交渉に入ったんだから、もう後は”役職者”の出番だよね」という感じ。

 

一方で、木戸孝允に龍馬が「条文に朱字で裏書き」を求められているのも史実なので、全然関係なかったらそんなものが残ってるはずがないですよね。

 

また、詳しくはリプ欄に吊るしておくこの要約ポストの元になっているウェブ記事を読んでいただきたいのですが、町田氏の研究によると大政奉還に関しても、それなりに全く無関係ではない可能性が高いそうです。

 

え?案外すごい活躍してる人やん?

 

 

3●「司馬遼太郎史観」が歪んでるのはどういう部分なのか?

 

昨今の「坂本龍馬は大したことしてない」という機運の盛り上がりは、そもそも「龍馬的なものがうさんくさい」という風潮が高まっている事が背景にあるように思います。

 

ただ、個人的に今回調べて思ったのは、「うさんくさい」のは「司馬史観による竜馬」の方なのでは?ということでした。

 

この「司馬史観」自体が現代社会とズレていて、結果として「司馬史観の竜馬がうさんくさい」→「坂本龍馬(特に坂本龍馬が好きだと言うヤツ)はうさんくさい」という印象に繋がってしまっているのではないかと。

 

司馬遼太郎がもてはやされた時期の「かっこよさ・優秀さ」と、現代の「かっこよさ・優秀さ」に隔たりがあって、司馬遼太郎世界のかっこよさは漫画でいうと「課長島耕作」とか「サラリーマン金太郎」みたいな世界観だったと言えるんじゃないかと。

 

これは大作家司馬遼太郎の能力の問題というより当時の社会の受け手のキャパの問題と言えそうで、むしろ、現代社会における組織の動き方を実態として知っている人ほど、史実の龍馬を知れば、

 

「全然うさんくさくなくて、ちゃんと組織の間を取り持って実際の盟約に結びつける優秀なネゴシエイターじゃん」

 

…的ないわゆる「仕事デキル感」が湧いてきて、「うさんくさい印象」が払拭されるところがあるのではないかと思いました。

 

 

4●「司馬史観」が現代に合わない部分はどういうところか?

 

全体的に、司馬史観の現代に合わない部分は、以下のA〜Dのようにまとめられるかと思います。

 

A・組織が嫌いすぎる(小松帯刀のような優秀な組織人の貢献を無視しがち)

 

B・組織の仕組みを理解した上で利害関係を調節し物事を動かした史実の龍馬の「優秀なBtoB営業マン」的な要素が評価できない

 

C・結果として「鈍重で物わかりが悪いアホな組織人ども」を、「何者にもとらわれない自由人同志の気概の共鳴」だけで一喝してぶち破り、巨大な山が動く・・・という展開になってしまう。

 

D・「色んな人のアイデアが折り重なって一つの流れになり、物事が実現する」という理解が薄く、ハグレモノの個人が脳内でひねりだした「ぼくのかんがえたさいきょうのアイデア」が、「規格外の度量を持つ例外的に素晴らしい上司に取り立てられて無双する」話になってしまう

 

むしろこういう↑「司馬史観」の「島耕作テイスト」が剥げ落ちた方が、現代人は坂本龍馬の強みを偽りなく理解できる環境になってきているようにすら思いましたね。

 

 

4●信長の例も簡単に紹介

 

詳しくはリプ欄に吊るしたウェブ記事版で詳述しますが、似たような話として、「織田信長は実は常識人」というSNSでたまに見る話が「どういう事」を意味しているのか?という話も考えてみます。

 

「長篠の戦いの鉄砲三段打ちはなかった」「楽市楽座は信長の発案ではない」など、色々と「定説」は覆されていくわけですが…

 

ただ、普通に社会経験のある現代人からすれば、詳しく知れば知るほど

 

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「いやいや、こっちの信長の方がよほど”本質的な革新性”がある感じやん?室町幕府とか天皇に無意味にタテついて攻撃的であれば”革命的”と思われてた時代がお子ちゃま世界観やったんやろ」

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…という気持ちになるのではないかと私は感じました。

 

これも「伝説の龍馬」のイメージが変遷してきたのと同じように、

 

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「島耕作レベルの社会観」の限界が更新されてきて、より「本当の革新者」としての信長の実相が見えてきた

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…という話なのではないかと。

 

 

さいごに●ぜひウェブ記事本文をお読みいただければと!

 

リプ欄に吊るしたウェブ記事版では、坂本龍馬の場合、織田信長の場合ともに、もう少し詳細に新しい研究で明らかになった実相を解説したうえで、

 

「現代日本社会で彼らの評価が変わってきた”理由”とは何なのか?」

 

…というテーマを深堀りしています。

 

そうすると、

 

大河ドラマ「龍馬伝」が大人気だった2010年頃と今の日本の間に、私達日本社会は大きな「成熟」を積み上げてくる事ができており、そしてその「成熟」があってこそのこれからの実社会において「本当の改革」を実行していく事も可能になるのだ

 

…という話にまで繋がります。

 

ゴールデンウィークのお暇な時に、ぜひお時間いただいてお読みいただければと思います。

 

歴史の話をしているようで、日本社会の「今」と「これから」に重要な示唆となる話になっています。決して損はさせません!

 

 

 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

倉本圭造さんのX(旧Twitter)から引用しました。

 

この時代、個人的には興味なかったのですが

こういうのを見ると、なかなか面白そうですルンルン

 

 

 

 

 いわゆる司馬史観の歪み

 

 

 

“司馬史観”の歪みはどこにあるのか?