「丸いこと」について考えてみました。
川の上流にある石って大きくってごつごつ角張っているんですが
下流になるにつれて角が取れて丸くなっていきますよね。
それは急流で押し流され、たくさんの岩にぶつかりながら
長い長い川を時間をかけて流れてきた証拠。
私ももう人生を3分の1くらいは生きているのですが、
たった3分の1の中でも自分はかなり丸くなったなぁと思うんです。
体がじゃなくて(苦笑)
以前よりも確かに今は丸いけども!
それは置いておいて・・
苦労は買ってでもしろってよく言います。
苦労した分、やっぱり感じることができる部分って確かに大きい。
人の気持ちになって考える
とか
人の痛みを知るとか
実際に経験してみないとその本当の辛さや厳しさってなかなかわからないもんです。
でもたくさん苦労という経験をしていると
自分の経験した何かに置き換えて想像することができるようになる。
つまりいろんな人と気持ちを共有することができるんです。
理解ができるから納得できる。
納得できるから共感できる。
共感できるからわかちあえる。
だから必要以上に腹も立たないし
怒ることもなくなるんです。
これをつまり「丸くなる」というんじゃないかと。
では、ここで疑問が浮かびます。
はたして丸いことの方がいいのかどうか??
考えてみたところ
やっぱり丸いことがすべていいわけではないと思うんです。
ずっと尖ったままでいるのはとてもしんどいし、
上流の冷たい水は刺さるように痛い。
でもその分澄んだ水と豊かな自然を味わうことができる。
最高の眺めを見ることができるんです。
誰かと共感しあうことがたとえ少なかったとしても。
私はこの問題でよく悩みました。
10代の頃は私は激流のど真ん中にいました。
もっともっとどっしりした岩ならもっと自分を守れたかもしれないけれど
それはそれは鋭利な形をしていてもろかったんです。
20代の頃は鋭利すぎたためにたくさんの岩にぶつかってしまい
半分に割れ、小さくなった。
小さくなったときはすごく泣きました。
今30歳なんですが、20代の頃さんざん削られて今はすっかりまん丸になった(笑)
私は今も小さいままで、もう一人では大きくなることはできないけれど、
その変わりたくさんの同じようにもまれてきた人たちと気持ちを分かち合えるんです。
私は今はこの方が自分に合っていると思っています。
“このまま丸いままでいいの?”
そう問いかけるもう一人の自分もまだやっぱりいます。
まだあと3分の2の人生が残っています。
もう一度くらい割れてみて
小さいけれど鋭利な部分も持って見てもいいかなと。
川の上流にはもういけないけれど
海の底の魚たちには出会えるかも!なんて。
・・・・・・・
と、いうようなことを丸い丸いあじさいの花を見ながら考えていました![]()
連想して飛躍しすぎた(笑)