よく「上には上がいる」ということをいうけれど、どういうことか考えてみました。

上というと漠然としすぎているけど、要するに自分が今いる場所より上のステージということ。

物事にはすべてにこのステージがあって、人は一つでも上にいこうと、はたまたてっぺんを目指そうと努力する。


だけど努力して努力して一つステージをあがったとしても、一旦上がってしまえば、元々いた場所と同じように、そこからまた上を目指さなければいけないという無限スパイラルに陥るのです。自分が‘上'を見ている限り。

ところが、努力して努力してようやく上がったステージには、最初から空気を吸うかのように自然にそこにいる人たちがいる。

彼等は何も最初から無理をしていないので、必死に身を粉にして、精神を削って息を切らして、上がってきたものと勝負するには最初から有利というわけ。


例えていうならしがない市民マラソンランナーがフルマラソンをようやく必死の思いで走り終えたあと、準備体操を終えたばかりでこれから走る力を蓄えたオリンピック選手とマラソンで競争をするようなもの。


前者がいくら努力しても対等に戦うのは最初から無理がある。

なんとか対等に勝負しようと努力に努力を重ねても、マラソン選手が一度本気を出して努力すればたちまち敵わないのである。



では、前者が完全に勝ち目がないのかというとそうでもないのが人生のおもしろいところ。

ふとオリンピック選手がこけて起き上がれないことが万が一、本当に万が一の確率であるのだ。もしくはうさぎとかめのように、油断の度を過ぎた場合、その間に抜き去ることができるかもしれない。

大どんでん返しがあるから人生はおもしろいし、どんなに無理だとわかっていても前を向いて走る人はどういう人であれ、やはり美しい。



ただ、ステージを一つ上に上がることと、その結果、満足いくかどうか、幸福感を得られるかどうかは全く別問題。

むしろ満足いかない、幸福ではない場合はけっこう多い。

自分自身の満足、幸福感を追求するなら、どこまでのラインを目指すのかを明確に自覚することが必要。


走りたくなければもう一度オリンピック選手と競争する必要もない。


たった一度のレースをぼちぼち道草しながら走ってもそれもまたありだと思う。

道端の小さな花を見ながら。

隣の人と笑顔を交わしながら。


それも人生という名のマラソンの醍醐味。


どちらを選んでも、
最終的に思い描いた通りにゴールをすることができたならば、その人の人生は‘勝ち'だと思う。

私としては一つ上をいつも目指すこと、これが1番バランスが取れていていいのではと思うわけですがいかがでしょうか。