私が中学3年生の頃、父は病気で亡くなりました。52歳でした。
当時の記憶はあまり覚えてないですが、
もう余命が長くないと言われた頃、教室で授業中、先生が廊下から歩いてくる姿を見ると「お父さんが亡くなったよ。家に帰りなさい。」と伝えに来たのではないかとずっと怯えていたのを覚えています。
でも、父が病気だということを、自分から誰かに伝えたことは一度もありませんでした。
そして父が亡くなった後も、私は父親が早くに亡くなっているということを、友達に隠してきました。
家族の話になると、話を変えたり、嘘をついたりしていました。我ながら惨めでしたねー。父のことをカミングアウト出来るようになったのは、社会人になってからです。
隠してきた理由、それは
可哀想な子と思われたくないから。
父の葬式で、沢山の人が参列してくれました。涙も流してくれてた。でも、母に対する「可哀想に。これから1人で子供を育てて行くなんて。」と向けられているその場限りの同情が、すごく悔しかったのは強烈に覚えています。
人の不幸っておもしろいんですよねー。
この時、そのことを身をもって体感しました。
息子に障害があることが分かり、私が今1番戦ってある感情は
「子供に障害があって、可哀想と思われたくない」
もちろん、周りの目なんてどうでもいい。我が子が幸せでいてくれたら。て思うんです。
だけどやっぱりこの感情が私の中に根深く残っています。
それによって今1番悩みの種なのが、就学問題。
普通級にするのか、支援級にするのか。
‥恐らく、子供のことを1番に考えて支援級にすると思います。自分のプライドは捨てて。
でもこのことを考えて、今も毎日涙を流しているのも事実。
母に「こんなに汚いプライドが、私の中に強くある」と号泣しながら言うと
「あって当たり前よ。いいじゃない、1番辛いのは貴方に決まってる」と。
1年後の私、どんな気持ちでどんな選択をしていますか。明るい気持ちで覚悟が決まっていたらいいな。