肝硬変が進み入退院ホテルを繰り返す直前まで、1年ほど地元町内会の役員をしていた父。
とはいえ、他の役員と考えが合わなかったり、体調が悪いのは伝えて引き受けたのに、
真面目だから雑用ばかりやらされて大変だったのよむかっ、とだけ、母は言っていた。

これは私も覚えている。
正月に家に帰った時、町の寄合所を立て直す話が出ていると父が教えてくれた。
理由はといえば、「古くなったから」「会費が結構貯まっていて、今なら市の補助金と
足せば作れるから」だったので、父が「それは違うんじゃないか」と言ったらしいのだ。
寄合所は、私が小さい頃は子供会などで細々と使われていたが、少子化・高齢化も
進んだ昨今、町内で集まるイベントなどまずない。だけど、慣例として町内会費
というのは集められていて、町内会役員はその使い途を議論していたのだ。

それならば町内会としては、まず人が集まる機会を増やす活動に力を入れた方が
よいのではないか、というのが父の意見だった。まさに「ハコモノ行政」に物申した父
であったが、他の役員はハコモノに固執した。それ以外に、貯まった会費を
消化する途が思いつかなかったらしい(もちろん、使わずに次の代に引き継いでも
良いのだが)。

「お前はどう思う?」と聞かれたので、「私もお父さんの立場だったら同じこと言うよ。
使いもしない寄合所を新しく作り直して、この代の役員はこういう功績を残した、
って言われたいだけでしょ。」と二人でえらく発奮して、
お父さん、がんばれ!負けるな!アップと言って家を出た記憶がある。
父と私は考え方が非常に似ていて、つくづくこの親にしてこの子(私)あり、だと思った。

結局、多数決で、寄合所は建てられることになった。
しかし、父は持論である「もっと人が集まる機会を増やす」を実践するための行動も起こした。
まず、町内の60歳以上の老人を対象とした会を立ち上げ、最初の寄合として、
浅草までの日帰り旅行東京タワーを企画した。
会立ち上げのちらし、旅行の告知などが、古いパソコンに残されていた。

集客、バスの手配、現地での案内なども、母に手伝わせてほぼ二人で実施したそうだ。
母は「バスの手配とか慣れてないから大変だった。」と文句を言っていたが、
結果としては評判が良く、父が亡くなった今でも、近所のおばあさんに
「あの旅行は楽しかったねー。あんなことしてくれた役員さんはあとにも先にも無いよー。」
と言われるそうで、今ではまんざらでもない音譜様子。

また、夏恒例の夏祭り晴れの子供神輿の世話。神輿の練り歩くルートに同行し、
子供の安全確保をするのだが、町内会役員として一人で参加し、町内会便りを作るため、
子供たちの写真もたくさん撮った。
炎天下の中、2時間ほど歩きずくめ、帰ってきた時の顔色の悪さが尋常ではなかった、
と母が言う。

そんなこんなで当時の父の無茶には批判的だった母だが、最近になってしみじみとこういう。

「でもねえ、大変だったけどあれがお父さんの定年後の生きがいだったのかもね。
だからあんなに根を詰めてまで頑張って。好きじゃなきゃできないよ。」
と。

この古いパソコンに保存されていた文書を見れば、母の言う通りだったろうと思う。
入院するからと途中で役員を辞めなかったら、もっともっとたくさんのイベントや
ニューズレターがこのパソコンから作られていたかと思うと、このパソコンには感謝感謝。
最近の薄型パソコンとは違う、押すとポクポクと音がするワープロのようなキーボードも
なにか愛おしい。

パソコンを処分する前に、こんなに父の記憶を呼び起こされることができて、よかった。