自分自身に気づいていなさい

 

 あなたが何をしていようとも、絶えず内側でひとつのことをやり続けなさい――それをしている自分自身に気づいていることだ。あなたが食べている――自分に気づいているがいい。あなたが歩いている――自分に気づいているがいい。あなたが聴いている、あなたが話している――自分に気づいているがいい。あなたが怒っているとき、自分が怒っていることに気づいていなさい。怒りがそこにあるまさにその瞬間、自分が怒っていることに気づいているがいい。この絶え間ない自己想起が、ある種のエネルギーを、とても微妙なエネルギーをあなたの中に創造する。あなたは結晶化した実存になりはじめる。

 

 普段、私たちはゆるんだ袋にすぎない。結晶化もせず、実際には中心もなく、ただ流動的で、中心を持たないたくさんの物事のゆるやかな組み合わせに過ぎず、常に入れ替わり変化している群衆であり、内側に主人もいない。気づきという言葉が意味するのは、主人でありなさい、ということだ。そして私が「主人でありなさい 」と言うとき、コントローラーになるということではない。私が「主人でありなさい」と言うとき、それは存在すること、途切れなく存在することを意味する。あなたが何をしていても、あるいは何もしていなくても、常にひとつのことがあなたの意識の中にあるべきだ――あなたが在るということが。

 

 自分自身のこのシンプルな感覚、自分が在るという感覚が、中心を作る――静止の中心、沈黙の中心、内なる統制、内なる力の中心を。そして私が「内なる力」と言うとき、それは文字通りの意味だ。だからこの経文は、気づきの炎と言うのだ。それは炎だ。それは炎だ。あなたが気づきはじめたら、あなたは自分の中に新しいエネルギーを、新しい炎を、新しい生を感じはじめる。そしてこの新しい生、新しい力、新しいエネルギーによって、あなたを支配していた多くのものが、ただ消滅する。

 

Osho, The Ultimate Alchemy, Vol. 2, Talk #1より抜粋

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注意深くあるために、あらゆる機会を使いなさい

 

 禅マスターがあなたを窓から放り出して、「気づいていなさい!」と背後から叫ぶ。あなたは放り出され、あなたは中間にいる、あなたはまさに窓を通り抜けている――そして彼が「気づいていなさい!」と叫ぶ。あなたは地面に落ちてしまい、あなたの顔つきは変わっているに違いない――今や状況はまったく違っている。あなたはある形而上学的な質問をするために来た、そして彼はまったく形而上学的ではない何かをやった――彼は、窓からあなたを放り出したのだ。あなたは、真理があるかどうかをたずねていた。

 

 人を窓から放り出すことに、全く関連性はない。しかし、あなたが顔つきを変え、状態を変えているまさにその瞬間、彼が「気づいていなさい!」と言う。あなたがはざまにいるとき、窓を通り抜けているとき、変化を通過しているのは身体だけではない。あなたの意識の状態が変化を通過している。そして教師は、いつそれが変化するか、正確に知っている。まさにその瞬間、彼は「気づいていなさい!」と叫ぶ。そしてもしあなたが、一瞬彼を聞くことができたら、あなたは中心にいる――周辺から放り出されて。

 

 だから、何らかの変化していく状況があるときはいつも、注意深く内側を見なさい。そこに移動はない。周辺から中心への、そして中心から周辺へのジャンプしかない。その動きはまるで電子のようであり、あるいはまるで夢のようだ。この気づきを深めなさい。これが、あなたが「する」ことのできるすべてだ。これはネガティブだ、なぜなら気づきはすることではないからだ。気づきは行為ではない。

 

 あなたが気づいているときはいつも、そこに行為はない。あなたが気づいているときはいつも、行為は抑えられる。あなたが気づくようになると、そのとき呼吸さえもない。私があなたに短剣を突きつければ、呼吸さえも止まる。あなたが非常に意識的になることで、すべては停止する。あなたは中心に放り投げられる。気づきは行為ではない。行為への依存は、気づきからの逃避に過ぎない。そして、私たち皆が依存症になってしまった――人は何かをやらなくてはならず、人は何かをやり続けなければならない。この依存が、継続を促進している。

 

 注意深くあるために、あらゆる機会を使いなさい――あらゆる機会だ。そして毎日、計り知れないほど多くの機会がある。注意深くありなさい、するとあなたは周辺から中心へのジャンプを感じるだろう。この中心に在るということがあなたにとって容易になる時、この中心に在るということが家の中に入ることや家の外へ出ることと同じくらい容易になる時――あなたが家の外にいて暑くなってきたら家の中に入る、家に入りたい気分の時はいつでもあなたは中に入る、外に出たい気分の時はいつでもあなたは外に出る、難しいことはない――周辺から中心への動きがちょうどこのようになった時、あなたには爆発がある。