ブログ、光透波と体のスピリチュアルさんから記事を転載させていただきます。
自身の思惑に見合うように現象や相手を変えたい=引き寄せたい。
この観点を掘ってみたい。
引き寄せたいことは
自身の思惑=固定観念=自我がゆるぎない正義だからで
その範疇から外れるものは問題になり
現象や相手がその中に納まることが問題解決となる。
つまりそのスタンスは自身の思惑=固定観念=自我が正義であり
問題はそれに見合わない現象や相手にある。
本当の問題とは何か
現象や相手が問題なのか?
注意深く観ると
問題にする自身の思惑=固定観念=自我にこそあることが解ってくる。
自身の思惑=固定観念=自我が狭く固いほど問題が多いのである。
狭さ固さは何が原因か
恐れ不安である。
それが強いほど自己防衛しもっとこうあらネバベキと自己否定するからで
ネバベキの思考と感情が自身の思惑=固定観念=自我と言える。
例えば自身の固定観念が5としよう
5の範疇でしか許せないし調和が連鎖しないと解ると思う。
4のレベルの問題を抱えていたら1しか余裕が無い。
だから忍耐努力我慢し命を削って間に合わせようとし
相手を力ずくや恐れ不安をあおり抑圧コントロールする。
もうそんなのしんどいから
引き寄せの法則ってものがあるとなれば
シッポ振って引き寄せの法則に躍起する。
自身の固定観念はそのままであることに全く無自覚だ。
さらに言えば固定観念=自身の思惑=自我を強めてしまう危惧がある。
the 引き寄せの法則の落とし穴
もし固定観念が5から10に広がったらどうだろう
広がった分、許せるし間に合ってくるし
問題の4はそのままでも広がった分、問題は小さくなる。
つまり固定観念が解放されるほど
調和の連鎖で間に合ってしまうし問題は小さくなってしまう。
さらに言えば固定観念が無くなれば
無限という宇宙空間において自身を限定する枠が無くなれば
どこに居ようが宇宙の中心に存在することになる。
宇宙は1/∞秒で無限大を回る絶対速度
シンクロタイムリーで充満する調和の連鎖のど真ん中に存在するから
何の忍耐努力我慢なく自然と間に合ってしまう。
本来性は調和連鎖の完璧なのに
固定観念で限定している範疇でしか連鎖せず間に合わないことが解ってくる。
更に宇宙は愛と感謝イタワリと許しであるから
歓喜と安らぎに包まれることになる。
引き寄せいらない法則
引き寄せることにエネルギーを向けるのではなく
固定観念の解放に向けることだ。
自身を限定する枠が無くなれば
宇宙の中心=調和の連鎖のど真ん中に存在し
歓喜と安らぎに包まれる。
それにはネバベキのコトバの使い方を止めることだ。
それを必然した恐れ不安を手放すことだ。
それには自分を客観する理知力が必要である。
それが無いと自身の正義に固執し続けるからだ。
(フィジカルで言うと
自身の正義に固執=交感神経過多=逆気
客観力は副交感神経優位=丹田力)
何を我慢した、恐かった、イヤだった、寂しかった?・・・
アナハタに押し込め凍結麻痺した自身の正直な気持ちを問いかけ
「そうだったね」と寄り添い
「ソウカソウカ 無理なかった」とどこまでも深くイタワルことで
手放せて本来性の調和が連鎖する間に合っている世界が広がる。
モンダイナイ
本当の問題は自身の固定観念
それをぶっ飛ばす音のエネルギーが「モンダイナイ」
これは現象や自身の感情に取っ捕まっていたら回せない。
「モンダイナイ?冗談じゃない大問題だよッ、何とかしなきゃシノゴノ!」
問題は無くなりようがない。
その問題解決は蓄積してきた知識思考=固定観念を基にシノゴノだ。
その固定観念が問題を生み
忍耐努力我慢し命を削って間に合わせようしてきたものに無自覚ではないか。
だから引き寄せに躍起し目先はなんとかできても
問題は無くなりようがないのである。
固定観念を解放せずシノゴノするほど
本来性とのギャップが因縁として蓄積先送りされていく。
「モンダイナイ」が究極の問題解決エネルギーである。
本来性は何一つ問題ない、自身の固定観念が問題にしている。

