
このブログもそう思われていることもあるかと思うんですけど、、、、
日本語で書かれた文章って、どこか怒っているように思えるような文面になることが多いんです。
最近、ニュアンスがどうも伝わらなくて、メールで切れられたような文面を見させらると、どうしちゃったんだろうって思っちゃいます。そういうことを考えていると、改めて自分の文章もどうかとね。思うわけですよ。
メールってやっぱりどこか本当のニュアンスだけは伝わらないんじゃないかと。。。。
会話のような双方が作用しあって醸しだす相互理解の部分がないからなのかなぁ。
冒頭にも書いたように、私の書いているここの文章も怒って書いているような印象が多いのかも知れないと読み返して思うことも多いのです。。。。云って置きますけど、かなりニタニタして書いていることの方が多くて、ってこっち側が見えるわけでもないので分かりっこないですよね。。。。
こういう部分が難しい。実際、メールコミュニケーシュンの達人たちは、あの顔文字や絵文字で、そのニコニコ度合いを伝え合っていったのか!と思う向きさえもあります。
特に文字数制限がある場合、文章を簡潔に書くため、曖昧さのある、めだって長くなる表現を断定・体言止めなどにするなどの手段を採ると「キツく」なる。。。。あれに似ているのかな。話す言葉>書く言葉だから、その短さゆえにキツくなるのかとも思うし。。。
じゃあどうするべきか。
私なら、そんなメールをだしたら、相手のところに出向く。
顔を見合わせて、目を見てメール内容にフォローをかけないと、どういうスタンスで書いたのか、相手の気持ちを慮ったなんて絶対伝わらない。
メールではないけど、会議場で発言した後、その場では手短にしか伝えられなかったので、どうしてそういう質問をしたのかを後でフォローして周ることだってする。
メールの場合は実際、怒っていることもあるけど、それだって文章で投げっぱなしジャーマンみたいなことをしていいわけではない。遠隔地なら電話だっていいわけである。声のトーンで真意を伝えないのは、そういうメールの場合、正直危ないからだ。
だからメールしか渡せないならば、長く書いたり、短い方がより伝わるかを推敲したりする必要さえある。
でも、最近受け取るメールは本当にキツい。。。。
意味が通じません、日本語になっていません、無責任ではないか、私にはそれに対する考えはありません!、、、などなどの言葉の羅列はメールだけで書いて「いい場合」と、「そうじゃない場合」があると私自身は思う。どう受け取られてもいいというのだろうか?それはそれで受け取る私に対する冒涜なのではとも思う。
なので、業務的にはメールを送ったら、出来るだけ歩いていって真意を伝える作業を欠かしちゃいけないと思います。
こんな狭い空間なのにそれさえも出来ないなんてことはないようにしたい。
メールというものが、気弱な人が「一方的に言い放てる便利なツール」になんかしちゃいけないんだと思う。気弱なら(相手のところに出向いて真意を伝えられないくらいなら)、メールなんかでそういうことを書いちゃいけないし、書くなとも云いたい。

でも相手にそれを求めるのは。。。。。していかなければいけないんだろうなぁ。。。。
だって自分が目指しているのは・・・・そういうわだかまりがない、意思疎通に不都合がない、翻って云えば、云いたいことがちゃんと云える(マナー前提)状態なのだから。

業務的な愚痴でございました。トホホホホ。