「信長の焼兜」のある總見院(愛知県清須市) | マルみのブログ

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愛知県清須市にある臨済宗妙心寺派の寺院「總見院」

創建は天正11年(1583)

元々は本能寺の変後に領主となった信雄が、清洲城下に父親である信長の菩提を弔う為に建てたお寺でしたが、「清須越し」で名古屋大須に移ってしまった跡地に尾張藩主の徳川義直が再建したお寺です


このお寺には「本能寺の変」直後、信長の次男信雄が焼け跡を捜索させて探し当てた信長公の兜が納められているのです


山門

以前から一度その兜を拝見しに行きたいとは思っていたのです

その思いが強くなったのは、今放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」を見始めてからです


お寺のホームページを見ると、法要と重ならないよう、訪問は事前に連絡してほしいとのことでした


鐘楼


誰もいない境内
私ひとりのために本堂を開けていただきました

本堂でお参りをして早速、本堂右手奥の部屋に案内され、信長公の兜を見せていただきました



ガラスケースに納められている「信長公の焼兜」です

飾り物はすべて焼け落ち鉢だけになった焼錆の兜

信雄公はこれを父 信長公用の兜と確信を得たので、遺品として手許に留めたのだそうです



「思ってたより小さく見えます」と私が言うと、「そうでもないですよ」


「この兜を基に複製された兜は十分被れるんですよ」と照れ


平成15年に複製再現された信長公の兜も、隣に展示されてました

なぜこの總見院に焼兜が納められたのでしょうか…

信雄公の手に渡った信長の焼兜

信雄公が秀吉に対立し、那須鳥山城に移されると、焼兜は岐阜城主織田信秀に贈られ、信秀が関ヶ原の戦いで高野山に流されると、信長の遺臣、近江国加山城主小林氏が賜り、天明5年(1785)織田信雄の5男高長の家系が立藩した柏原藩の家老から総見院に贈られたそうです

とても貴重な信長の兜を拝見出来て良かったです

コロナが無かったら、大河ドラマの舞台となる岐阜などを廻る東京からのバスツアーでこの總見院の見学も予定されていたそうです
そのツアーも中止になり、とても残念です



書き置きですが、御朱印もいただきました

私ひとりの為に、とても親切に説明をしていただいた御住職に感謝です



帰りにはやっぱり寄りたくなった清洲城🏯

まだ入城することは出来ません


桜🌸の季節は終わったので、人はまばらでした

🏯に掛かる雲が絵になるわ~爆笑

やっぱりこの景色すきです照れ


楽しい自販機ウインク



愛知県は今日、緊急事態宣言の解除が発表されました

かといって気を緩めることなく、今後も人と人の距離確保やマスクの着用をして他県への外出を自粛していきたいと思ってます