もう1年…早いものです
いつも一緒にいたわけではないから、今も施設にいる…錯覚をしたり、夢を見てるんだ!って思いたい時もあります
少し迷ったけど、納骨もすませました。
父と最後に交わした言葉は、亡くなる1週間前で、頼まれていたヤクルトを持って行き、飲ませてあげたら、美味しそうに飲んで「また今度来る時も、ヤクルトを持って来て!」でした。
その時も食欲が無くなってきてるので、覚悟を…と言われていたけど、私の事もわかっていたし、そんな感じには見えなかった。
亡くなる2日前に施設から電話📱が入り、「来てほしい」と言われ、駆けつけた時は、私の顔を見て、何も言わず手を伸ばして握手を求めてきたので、「何なんだろ?」と思いながら私も手を出したら、結構力強く握ってきたので、そんな力があるのかと驚いた😱❕
妹にも電話📱したが、体調悪くしてて、とりあえず危篤状態ではない様子を伝えたら、「治ったら明日行く」と言って、翌日行ったら、やはり父が握手を求めてきたそうだ!
そしてその翌朝、父は旅立った
妹が来るまで待っててくれたね!
あれは私達にお別れの握手だったんだろうか…
不思議なことに、いつも父の部屋にはあんまり入らない母が覗きに来てじっと父を見つめてた
父の最期に立ち会ったのも母だった
「兄さん、可哀相に…」と言った母
いつからか父の事を兄だと言い出してた母だった!
何かもう悲しくて悲しくて仕方なかった
父は一人っ子で3歳位の時に母親と生き別れ、男手ひとつで育てられたそうなんです。
きっと寂しかっただろうな
愛情不足で荒れた生活もしていたようです。
父は娘の私や妹には自分の生い立ちを何も話さない人だったので、全て母から聞いた話なのですが、苦労したんだと思います。
定年後すぐに直腸がんの手術、そして人工肛門になり、ショックだったと思う。
その後、腎臓結石、腎盂、腎炎
大腿骨骨折でボルトを入れる、腹部大動脈留のステント手術…と大きな手術を何度もするが、いつも前向きで、元気な父だったから、私達は「父は死なないんじゃないか」といつも冗談で話してたものでした。
わがまま言って、母を困らせてた父を憎んだこともあったけど、認知症になった母をとても心配してたし、本当は寂しがりやで、照れ屋な父だったんだと思う
今日は父を偲び、そして母の事を見守ってて!と手を合わせました。
妹とこうして元気でいられるのも、父のおかげ…
寂しいけど、前を向いて生きていこう!
父のように何事もポジティブにね✌️

近くの道の駅にちょっと寄り道


夕方になっちゃったので、野菜も残り少くなってました。
蓮根と銀杏を買って帰ります
「道の駅」またゆっくり来ます

















