非結核性抗酸菌症の記録 -6ページ目

非結核性抗酸菌症の記録

この病気が見つかった2014年7月から、
肺の一部除去手術を経て、現在の経過を記録します。
私と同じように、思わないところで聞きなれない病気になってしまった方の参考になれば。

退院する日。微熱が引き、痛みもなくはないですが、我慢できる程度。
午後14:00に退院です。
やり残したことはないかといろいろ考えていると、、、ありましたウシシ

退院前に外の空気に触れる練習です。
前日に、二階のリハビリルームへ行き、自転車に乗ったり、帰りも休みながらですが、自力で歩けたので、退院する前に、一度体がどんな様子かを見に行くことにしました。

五階から売店まで、近くではないけれど、
大した距離でもありません。
しかし、いざ行ってみると、
まず、空気が違うと感じました。
重くのしかかってきます。

季節は真夏、8月下旬だったので、暑いしムシムシするし、病室は、守られている感じでしたが、外の空気は人が多いからか、流動的です。
たった数日のことなのに、外の空気を懐かしくさえ感じました。

普通になんて歩けないから、ゆっくりゆっくり。シルバーカーを押すおばあちゃんと同じスピードです。

途中、ベンチに休みながらやっとのことで自分の病室に戻り、ベッドに倒れかかりました。

あと数時間で、このベッドともお別れ。
お世話になった看護師さん、担当医の先生、同じ病室のおばあちゃん、隣の病室のおばさまたち、、、
それぞれの人生で、ここで交わった人たちとの出会い。


病気になったから、というよりも、
手術し入院したから、 

今までとは違った考え方や物事の捉え方ができるようになったように思います。

病気はならないほうがいい。
絶対に、健康のほうがいい。

でも、大変な経験や辛い思いをしたからこそ、人間的に他者理解を深めることができるし、乗り越えられた強さを持ち、より優しくなれるのではないかと思います。



話は飛びますが、先週の「情熱大陸」
昆虫学者の丸山宗利さんが取り上げられていました。



人って何事も単純化しようとする。
簡単に見たほうが真理をついているように思ってしまう人がいる。

世の中っていうのは、もっと複雑で
単純に生きるほど危ないことはない。

自然環境も複雑なものとして、
丸ごと受け入れるのが、本当の理解。



丸山さんのおっしゃっていた言葉です。
きっと、人間ってそう単純じゃないし、
言葉で言い表せない気持ちもある。
病気とともに生きることを、本当に自分が理解できるのは、まるごと受け入れられたときなのかな、と思いました。

自分、ひとりじゃない。
日常に流されて忘れがちですか、
ひとりでいきているんじゃなくて、
周囲の人たちに、頂いた命に、出会いに、
生かされていること。

自分が誰かに助けてもらった分、
また違う誰かが助けを求めているときに、
手を差し伸べられる優しく強い心を持っていたい。

退院直後には考えられなかったこと、
今だから話せるのかな。
なんだか、大層なこといってるな、自分ニヤニヤ駄文でごめんなさい。

血液検査、レントゲンの結果、問題なかったため、退院後、基本的に食事運動の規制はありません。
ただし、手術した腕で5キロ以上のものは持てません。また、上半身のひねり運動は禁止です。

次の外来は、一週間後です。
抜糸があります。ひぇー緊張するくるくるドクロ

定期検査は月に一回、内科があります。
術後三ヶ月までは、外科も一緒に見てもらうという話をされました。

最後に、ナースルームにいた担当医の先生にお礼をいい、さらば、病院ニコ
今後の生活や体調への不安7割、子どもとの再会が楽しみ3割、といったところでした。