私はMIRAIZが始まってからの利用者第1号になります。

 

 

 今回,その始まりについてお話します。

 

 

私は長年一般の量販店の青果バイトで働いていました。

 

 

15年もバイトで勤務していたのですが、私の勤務時間が2時間だけなので雇用保険に入れなかったところで、どうしょうかなぁ〜と考えていたときに、私の兄の事で相談に入ってもらっていた、Ⅰさんと出会いました。

 

 

 Ⅰさんと兄の支援の方向性など話をする中で,障害者雇用のことなどを良く聞いていました。

 

 

初めは障害者雇用の仕事のことを聞いて,私の中で良いなと軽く考えていて、これなら給料や雇用保険などの条件も良いだろうと甘い考えながら、これまで働いていた青果バイトを辞めました。

 

 

そこから、Ⅰさんに私の仕事探しなどの相談支援を受けるようになりました。Ⅰさんは市外にある相談支援事業所でやっていて、私は長年勤めていた青果バイトを辞めてから後は就職活動が上手く行かなく気持ちが落ち込んで,新たに心療内科に行き始めました。

 

 

このままではまずいと焦り,何とかしなければと思っていた時、Ⅰさんが新たな事を始めると別の支援機関の関係者から聞き、Ⅰさんを追っかけてたどり着いたところが、地活と言われる事業所の立ち上げの準備をしていたところでした。 

 

 

そうです!「MIRAIZ」の始まりなのです。立ち上げの準備をしているⅠさんに私の就職状態を話して、「就労支援機関」のSさんという方が当時兼務していたハローワークのトータルサポートの名刺をいただいていたのをⅠさんに見せたら,「直ぐハローワークに連絡して、就労支援機関Sさんに動いてもらいなさい」と言ってくれて,そこから私の就職活動が始まりました。

 

 

ハローワークでSさんに会い、仕事探しが始まり、ハローワークの一般求人を見ながら、行けるかもと言われる仕事を探して、面接に行く時はⅠさんに同行を何度かお願いしたり、就労支援機関Sさんとハローワークの方とⅠさんに同行してもらったりして、面接の時に聞いては良くないことなどを教えてもらうこともありました。

 

 

私は障害者の職業訓練機関にも行っていないので、面接時に気をつける点を習っていなかったり、履歴書の書き方もあまり良くなかったので失敗続きでした。

 

 

 その中で,初めて着いたのが大学清掃業の仕事でしたが、あまりにも困難になる点もあったので、数日で辞めて振り出しに戻り、次に着いたところは青果パートでした。

 

 

こちらは一般求人から障害者求人になったので、勤務していましたが、上司が問題ある方で困惑しながらもⅠさんに相談していたら、Ⅰさんから「半年勤務しなさい、そしたら勤務歴を履歴書に書くことが出来ます」と言われて,何だかんだ働いて半年で退職しました。

 

 

そして、ハローワークが主催する障害者合同面接会を初めて受けてみませんか?というハローワークからの話を受けて、私にとって受けたい企業があまりにも少なく一社しかなかったのですが、エントリーして、Ⅰさんに同行をお願いしてもらって、合同面接会に来ていただくことになっていました。 

 

 

 
しかし会が始まってすぐに私は呼ばれたので、その時はⅠさんを探したけれど居なかったので,会場に居たSさんに同行をお願いして、面接は無事に終了しました。

 

 

面接を終えて就労支援機関Sさんと話しながら、Ⅰさんを発見して面接を受けた内容を伝えたら、「後は待つだけですよ」とⅠさんから言ってもらい,合同面接会は終了しました。

 

 

私は,一社だけしか受けていないので通らないだろうと思っていたのですが,その会社から電話が有り,「採用です」と言われて、私は驚いたことでした。

 

 

それが現在働いている仕事で,内容は量販店の青果パートでした。長年の青果バイトの経験を買われた事が一番やったと言ってもらいました。

 

 

そこは,支援機関も入ってもらっても良い企業さんでしたので、私の就労支援機関の正式な利用者として就職し、就労支援機関先やⅠさんとハローワークが支援に入る形で働きました。

 

 
仕事のトラブルなどの悩みは,就労支援機関先の定期面接、ハローワークの定期面接とMIRAIZのⅠさんの定期相談の三ヵ所で聞いてもらいながらやっていました。

 

 

続きは後編となります!