心を養い、育てましょう  ~その2(ホームルーム その1)~ | ~全ては、あしたの笑顔のために(^-^)~        MAC-21と「ぼちぼちいこか?!」
みんな、今日の給食美味しかったよなぁ(笑)。


・・・はい、再び授業の時間です(先生モードが抜けてない^^;)。


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さて、ホームルームの時間です。


この時間はね、先生が今まで生きてきた人生を、
少しだけ振り返ってみます(^^)。


もし、何か感じるんやったら、先生の生き方も参考にして下さいな。



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幼い頃の僕に、両親はさまざまな“習い事”を与えました。


友達と遊べないくらい、忙しい日々でした。


地元だけではなく、電車に乗って、
梅田や難波(大阪の中心街)まで通う毎日でした。



今思うと、その時の経験が、

「ひたむきに生きれば何とかなる」

という考えを、僕に与えてくれた気がします。



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時は変わって、高校時代。
男子校ですので、恋をする暇などありません(笑)。


よって、勉強勉強勉強・・・な日々。



ここで、ひとつの転機が。

新任の先生と仲良くなり、その方が新たに音楽関係の部を作るコトになったため、
元々、音楽を一通りしていたワタクシも入部。

下手なりにも、部長として、最低限の任務はこなせたハズ(?)でした(^^;。





その頃に、僕に“ある夢”が固まるのです。


それは・・・(以下自粛)。笑


しかし、大学受験した際、
関東にある“その業界”に強い大学を志望したのですが、
現役合格とならず、浪人する気持ちを両親に伝えたところ、
激しく反対されてしまいました。

結局、第三志望の関西圏の大学に進学。
そこで、夢を追うコトになります。



大学時代も、出来る限り講義に出て、
週末と夏や春の長期の休みだけ出勤すれば大丈夫なアルバイトに巡り合え、
空いた時間は、下宿している友人と家で語り合う日々。

3年になると、ゼミナールの幹事として、
さまざまな企画を立てて、更に忙しくなりました。

毎日がくったくたな日々・・・でも、充実してました。



しかし、自分なりの社会修行を積んだつもりやったのですが、
見事にサクラは散りました・・・。



その時に感じたのが、“この仕事に縁が無かった”というコト。



実は、高校時代に生徒会会長をしていれば、
第一志望の大学に推薦入学の枠で受験できたんです。

中学時代も、高校時代も、生徒会をしていた僕。

ですので、演説には慣れていたはずなのに、
その時だけ、演説に“失敗”してしまったんですね・・・。

結局、僕は生徒会会長に落選しました。



どんなに綿密に計画を練りこんで、
ひたむきに夢を追っても、ダメなときはダメだと言うコト、
変えられない“宿命”もあるんだというコトを悟りました。


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きっぱり諦めた僕は、さらに違う方面を目指しますが、
今ほどではないものの、当時もかなり厳しい就職氷河期。

僕の力不足で、全て不採用になってしまいました。


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そして、20代半ばを迎えそうになった頃、
ひとつだけ採用して下さったのが、今の会社だったのです。


しかし仕事も、そして上司も、本当に厳しかったです。

他の部署に配属された同期のハナシを聞いてみると、
僕の上司は、かなり“凄い”人やったそうで、
“くじ運の悪さ”に、落ち込みながら通っていました。



しかし、今にして思うと、当時の僕はまだまだ・・・な人間。
上司としても、顧客の前に僕を出すのが怖かったんだろうと思います。


その後、現在の部署へ異動し、
最近は、ようやく戦力として認められ、充実した毎日を送っています。


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あかん、長くなったんで、ここで休憩にします♪