『あらくれ』 成瀬は常に発見に満ちている
今年は変な年だった。前半は暇で、後半はやたら忙しく、だから3月から5月にかけてはオリヴェイラを観、若尾文子主演作を観ては、ブログを更新してはいたのだが、後半は全く映画を観れなかった。新作も旧作も観ていない。唯一観た三宅唱の新作も、横浜聡子の新作もピンとこなかった。
やれやれと思いつつ、年の瀬。
「シネマリス」なる新しい映画館に行こうと思いつつ、早稲田松竹で成瀬をチョイス。成瀬を映画館で観るのは10年ぶりくらい。今回観たのは『妻』と『あらくれ』。それぞれ2回くらいは観てると思う。
意外にも『妻』にノレなかったのだが、高峰三枝子が操る洋裁装置(子供の頃、ウチにもあったがこれなんて言うんだ?)が出す「ジャッ」という音、上原謙が愛人の子供をあやすおもちゃが出す「ジー」という音が面白かった。絶対、意識的にやってると思うんだが、成瀬って、こういうことするんだ、と。
で、今回、圧倒的だったのが『あらくれ』。命の洗濯をした。素晴らしかった。
高峰秀子と上原謙が宿屋の2階、自室に入ってくる。カメラは二人を窓外から捉え、上原謙は窓枠に腰を下ろしカメラに背を向け、高峰はその傍に立ち、二人は話し出す。
このシーンをまず窓外から捉えるというのが、いかにも昔ながらの映画の作りであって、また成瀬映画には特徴的なシーンの入りだと思う。しかしセットを組まない今どきの映画であれば、この位置にカメラを据えることはまずありえないし、どこか窃視的なアングルであるように感じ、この位置にカメラを据えることを躊躇するかもしれない。
もちろん、成瀬も撮影の玉井正夫もそんなことは感じないだろう。部屋に入ってくる二人を捉えるための、ごく普通のアングルとして、そこにカメラを据えただけのように思う。
それはともかく、続いて、このショットから同軸上の二人のウエストショットを挟み、高峰が上原謙の隣に座り彼にしなだれかかると、カメラは逆に入り、室内から二人を捉えたやや寄ったサイズのアングルとなる。高峰の座る動作によるアクションつなぎがスムーズで心地よい。
そして高峰が立ち上がると、同様のアクションつなぎで彼女のバストショット(よりちょっと引いた感じ)。高峰は室内を歩き回り、上原謙の声は画面外から聞こえ、カメラは彼女をずっとフォローする。
このショットが素晴らしい。
廣澤榮の『日本映画の時代』で、『驟雨』について「使用したレンズのことを玉井正夫に聞くと、バストや七分身は50ミリ、フルサイズも50ミリぐらい、ミディアムバストが75ミリだった」「成瀬サイズというのは着物の合せ目くらい、それ以上寄ったサイズはない」そうだが、50mmレンズは人の視覚に近い標準レンズで、つまり、実にオーソドックス、突出することを好まない成瀬らしいレンズとサイズの選択であることがわかる。「絵の流れが止まるから(玉井正夫)」だそうだ。
その中で、このショットはおそらく「75ミリ」レンズで撮られた望遠っぽいショットで、その空気感が素晴らしい。しかもフィックスを常とする成瀬にあって、ふわりとパンし続けるカメラの動き、その動きの途中からこのショットをつなげることで躍動感が出る、画面展開に活気が出る。
成瀬映画において特徴的なショットとまでは言えないだろうが、思い出せるのは『乱れる』で加山雄三が義姉の高峰秀子に自分の想いを打ち明ける、映画の技巧の全て、演出技術の全てに満ちた超絶絶品最強シーンで、立って話す二人の姿がこの「75ミリ」レンズによるものだったと記憶する。
『あらくれ』では他に、高峰秀子と旧友である中北千枝子が話すシーンでも、同様のショットが用いられていた。
二人が歩きながら話すのを、二人のウエストショットのトラックバックで捉えた後、「鼻緒が切れた」と中北が言い二人は立ち止まる。中北がしゃがみ込むと、いかにも成瀬らしく、そのアクションつなぎでカットを割り、カメラを低く中北を捉える。次のショットが高峰なのだが、これが(多分)75ミリ。高峰は中北の周囲を回るように動き始め、カメラはその動きをパンしてフォローする。
特段すごいことをしているわけではもちろんない。「絵の流れが止まる」ような突出を成瀬は決して許さない。しかし、これら(多分)「75ミリ」で捉えられたショットが素晴らしいのは、その中で不意に映画が現出したような、映画の仕組みそのものが露わになるからだ。
成瀬が「さぁ高峰さんご自由に演じてください」と言ったかのように、高峰は不意に動き出し開放的になる。カメラも演出も高峰に対し従属的になり、彼女をフォローするしかなくなる。
撮影や演出や役者、ではなく、そこにいるヒトが動き出し、それを捉えることが、映画の撮影であり、映画の演出である、ということ。「映画」にはそれしかできない、ということ。
追記①
『あらくれ』は『おかあさん』『夫婦』(井手俊郎と共作)『あにいもうと』『山の音』『浮雲』『驟雨』と続いた水木洋子との最後の作品。こう書くと、なんかエライことになってて、傑作しか書いてないじゃん、って感じだが、それはともかく、観た多くの人が感じると思うのだが、『あらくれ』は『浮雲』の陽キャバージョンって感じ。
出てる人が皆おんなじ、ってのは日本映画あるあるだが、にしても、岡田茉莉子が出てないだけで(松竹の人だし)、あとみんな「浮雲」と同じ。森雅之がインテリ風の陰キャで、千石規子が出てきた時には驚いた。
追記②
それと今回気づいたのが効果音の使い方。
金魚屋などの物売り(もちろん)チンドン屋などの声や太鼓の音、三味線や長唄を稽古している声などが、全編を通じて流れていて、前述した『妻』のノイズにも近い効果音もそうだが、成瀬って意外にこういうこともするのね、ってのを今回、初めて気づきました。ちょっとマキノっぽいのな。
追記③
マキノっぽいついでに言うと、時々、成瀬って、目線によるトリッキーなシーンつなぎ、カットつなぎをすることがあって、例えば街を歩く高峰秀子が何かを発見したかのように足を止める。次にその主観ショット風に三浦光子を捉えるのだが、カメラが三浦の動きをフォローすると、高峰がフレームインしてくる。つまり主観ショットが客観ショットに変容したわけで、他にも目線の先が違うシーンだったり、ちょっとトリッキーなつなぎがごく稀に入る。マキノっぽいというより、岡本喜八的であって、そういえば『浮雲』のチーフ助監が岡本喜八なのだが、マキノと成瀬って今ひとつ接点がわかんないね。同じ東宝にいて仲良かった感じがしない。
追記④
ただ、こういうこと言うと怒られそうだけど、成瀬って、コメディ向きじゃない気がする。三浦光子とのキャットファイトまであるし、加東大介(「ひげだるま」!)もおかしいんだけど、どうも弾けないのな。どう撮っていいか手をこまねいてる感じ。この辺が川島雄三と違うとこか。
ちなみに川島との共作『夜の流れ』は、共作ってんで全然話題に上らないけど、とってもいい映画です。でも川島雄三とも仲良かった感じがしない。
山本薩夫『私の映画人生』によれば、「PCL(写真化学研究所。後の東宝)の監督のなかでは、成瀬さんは山中さんと一番仲がよかった」そうです。
成瀬が戦地の山中貞雄に送った手紙
追記⑤
ちなみに、10年ほど前に、なぜかツイッターであげた成瀬ベスト。
1/流れる、乱れる、稲妻、女が階段を上る時、妻の心、驟雨
2/おかあさん、石中先生行状記、あにいもうと、まごころ、妻として女として
3/なつかしの顔、秀子の車掌さん、噂の娘
4/めし、晩菊
5/銀座化粧、三十三間堂通し矢物語、娘・妻・母、夜の流れ
『あらくれ』入ってないじゃん。『浮雲』は入れ忘れ。別格だな。
あとこん中には入ってないけど、『女の歴史』とか後年の大作仕立ても全然悪くないし、成瀬って、ホント愚作ってのがないね。
みきちゃん最強伝説。























