演者の素晴らしさ — 役柄との一体化と多層的な演技

 

伊東蒼(原田楓役)の圧倒的な存在感

 

 伊東蒼は本作の要として機能している。大阪出身という出自が関西弁の自然さに直結し、「空白」での寡黙で気弱な少女から一転、気の強い関西女子への変貌は「憑依」と表現されるほどだった。

 

(C)2022「さがす」製作委員会

 

 彼女の演技の核心は、探すという行為の二重性を体現している点にある。表面的には失踪した父を物理的に探しているが、同時に「父とは何者だったのか」という本質を探り続けている。冒頭での必死さ、警察に相手にされない焦燥感、日雇い現場での失意、そして真相に気づいていく過程での複雑な感情—これらを一貫した視点で演じ切っている。

 

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 特筆すべきは、佐藤二朗という大ベテランと「対等に渡り合っている」と評される存在感だ。最後の卓球シーンでの掛け合いは「微笑ましいのに悲しい」という矛盾した感情を同時に観客に抱かせる繊細さがあった。

 

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佐藤二朗(原田智役)のシリアス演技への挑戦

 

 佐藤二朗は福田雄一監督作品での「スベリ芸」のイメージが強く、登場時に一部の観客は不安を抱いたと正直に語っている。しかし本作では「この人が俳優であったことを思い出した」という声が象徴するように、コメディアンではなく俳優・佐藤二朗を再発見させる演技だった。

 

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 智という人物は「駄目父」「だらしない父」として描かれながらも、単なるダメ人間ではない。妻の介護疲れ、「殺して」という言葉に追い詰められる苦悩、善意から始まった行為が徐々に悪へと堕ちていく過程—これらを佐藤は「骨太な印象」で表現している。

 

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 レビューでは「泣くシーンがグッとくる」「真面目に泣く姿」が繰り返し言及される。普段のコメディイメージがあるからこそ、そのギャップが観客の心を揺さぶる。また「ひょうひょうとした感じ」を残しながらシリアスを演じる独特のバランス感覚が、この複雑な父親像を成立させている。

 

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 ただし関西弁については「聞いてられなかった」という厳しい指摘もあり、完璧とは言えない部分も率直に記録されている。

 

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清水尋也(山内照巳役)の冷徹な狂気

 

 清水は「悪役が似合う」「冷たい目がかっこいい」と評され、登場の瞬間から「ザ悪役」とわかる存在感を放っている。白ソックスへの異常な興奮という性癖の表現、市橋や植松死刑囚を想起させるキャラクター設定を、リアルかつ戦慄的に演じた。

 

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 彼の演技は単なる「怖い殺人犯」ではなく、「薄っぺらくてしょうもない人間」としての殺人鬼を描いている。「本当に死にたい人なんて居なかった」と暴露する冷酷さと、それでも人間的な薄っぺらさを併せ持つ複雑な造形だ。

 

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 残念ながら、演者自身の薬物事件が「好きな俳優なのに勿体なさすぎる」と惜しまれている。

 

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森田望智(ムクドリ役)の生命力

 

 終盤で強烈な印象を残すムクドリ役。自殺を望みながらも、飛び降りて骨折するだけで死ねず、首を絞められても息を吹き返すという「生命力が強すぎて本当に死にたいのか疑問」なほどの存在。この矛盾した生と死への執着を森田は説得力を持って演じ、「お着替えを手伝うシーン」では智の視点から見ると涙を誘う悲哀を表現している。

 

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三部構成の意外さ — 視点の転換が生む謎解きの快楽

 

構造的な巧みさと観客の期待の裏切り

 

 本作の構成は、観客の予想を意図的に裏切り続けることで緊張感を維持している。多くのレビューが「シンプルな父探しの物語だと思っていた」と語るように、序盤は娘が失踪した父を探すという一本道の物語に見える。

 

 しかし物語は突然、自殺志願者と殺人犯のカップルの場面へと転換します。観客は「これは社会派ドラマなのか」「自殺願望の話に移るのか」と混乱しながらも引き込まれていく。そして第一の被害者が父の妻であることが判明し、「あ、こうつながってきて、こうひっくり返すのか」という驚きと納得が訪れるのだ。

 

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楓編・山内編・智編の三層構造

 

 この映画の核心は、楓視点→山内視点→智視点という三つの視点が、それぞれ異なる時系列で語られ、最終的に一つの真実へと収束していく構造にある。

 

 楓編では、娘の目から見た父の失踪と捜索が描かれます。警察の「大人の失踪は結末が決まっている」という冷淡な対応、日雇い現場での発見と失望、指名手配犯との遭遇—これらは全て楓の限られた視点からの断片的な真実だ。

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 山内編では、13ヶ月前から3ヶ月前へと時を遡り、連続殺人の実態が明かされます。品川徹演じる「絶品の変態ジジイ」を殺す場面での性癖の露呈、徐々にエスカレートする殺人行為—ここで観客は山内という人物の異常性を目の当たりにする。

 

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 智編では、妻の介護、「殺して」という懇願、山内との出会い、共犯関係への堕落、そして裏切りの計画—父親の視点から見た「善意から悪への転落」が描かれる。

 

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時系列の操作と伏線の配置

 

 「13ヶ月前」「3ヶ月前」という字幕が示すように、時系列は自由に行き来する。この構成により、序盤で何気なく映された場面が後半で重大な意味を持つという伏線回収の快感が生まれている。

 

 具体的な伏線として挙げられているのは:

  • 冒頭のハンマーの素振り(なぜ素振りをしているのか、後に意味が判明)

  • クーラーボックスの大量のプレミアムモルツ

  • 卓球台の上のパソコンとキーボードにあったアカウントのコースター

  • 複数の潰れたピンポン玉、手からこぼれ落ちて踏み潰される球

  • 20円の万引きで警察沙汰になるシーン(映画の結末で繰り返される)

 これらは一見すると日常の些細な出来事だが、全てが物語の核心と結びついている。「不必要と思われる色々なシーンが最後にしっかり伏線回収される」構成の緻密さが、ミステリー映画としての完成度を高めている。

 

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「誰を探しているのか?」という問いの深化

 

 楓と警察官の会話にある「誰を探してるのか?」というセリフが、この映画のメッセージを象徴している。楓は物理的に父を探していますが、真に探しているのは「父とはどんな人間だったのか」「母の死の真相」「自分が信じていた父親像」。

 

 そして探し求めた先で見つけたものは、望んでいたものではなく、「見つけたくないものまで見えてくる」という残酷な真実だった。楓は「父という人間の正体を探し続けていたことに自分自身が驚愕する」—これが本作の核心的なテーマだ。

 

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倒叙ミステリーとしての革新性

 

 予告編では娘と殺人犯の対決がクライマックスのように描かれているが、実際にはそれが「プロローグに過ぎなかった」ことに観客は戦慄する。そこから過去へと遡り、なぜそこに至ったのかを解き明かす倒叙(インバーテッド)ミステリーの手法が採用されている。

 

 この構成により、観客は犯人が誰かを知りながらも、「どのように」「なぜ」という過程に引き込まれ、最終的に娘が真相に気づく場面で全ての謎が解けるカタルシスを味わう。

 

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重い世相を推理劇として昇華する秀逸さ — 日本映画の新境地

 

扱われる重層的な社会問題

 

 本作が扱うテーマの重さは尋常ではない:

  • 介護疲れと嘱託殺人 — 寝たきりの妻の「殺して」という懇願と、夫の苦悩

  • 安楽死問題 — 「生きることが辛くて自死できないから誰かに手伝ってもらう」ことの是非

  • 自殺幇助サイト — 座間9人殺害事件を想起させる、ネット上の闇

  • 歪んだ性癖と殺人 — 白ソックスへの執着など、サイコパスの異常性

  • 貧困と格差 — 新今宮・西成という下層社会の描写

  • 死の軽視 — 「死にたい」という言葉が軽く使われる現代社会

 座間事件や自殺サイト殺人事件など、実在の事件をモチーフにしており、「なかなか重い作品」「R12だけど大丈夫?R15にすべき」という声が上がるほど、衝撃的で目を覆いたくなるシーンが多数ある。

 

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日本映画の「不幸自慢」からの脱却

 

 ここで重要なのは、レビューの中で繰り返し指摘される「日本映画批判」との対比だ。

 

 ある詳細なレビューは、日本のクリエイターが「不幸自慢型」であり、「俺の窮状はおまえより酷いんだぞ」とアピールする傾向があると指摘する。多くの日本映画監督は「悲惨や下層を描いて自らの創作活動が寄り添ってきたという立脚点を訴える」が、そこに感じるのは地獄そのものではなく「俺は地獄を知っているんだぜという承認欲求」だと。

 

 瀬々敬久、白石和彌、大森立嗣、熊切和嘉、阪本順治といった監督たちの「シリアス演歌」は、「シリアスムードへもっていくだけはもっていく。が、スリリングにはできない」と厳しく評されている。

 

 片山慎三監督の前作「岬の兄妹」も、当初は「悲惨や下層といった不幸が誇らしげで日本映画らしい悲惨誇示感"スゲーだろ"感がある」「常套な日本映画」と受け止められていた。

 

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「面白い」と言える日本映画の稀有さ

 

 しかし「さがす」は違った。「日本映画で面白かったという感想をもったのが超珍しかった」「はっきりいってよく解らないが、なにしろこれは面白かった」—この率直な驚きが、本作の達成を物語っている。

 

 重要なのは、重いテーマを扱いながらも「面白がらせる」ことに成功している点だ。「しっかりとした謎解きをやって面白がらせる」「かえりみて面白いという尺度で見ることができた」という評価は、社会派ドラマとミステリー・エンターテインメントの両立を意味する。

 

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軽快なテンポと推理劇への昇華

 

 重苦しいテーマを「次々に重ねて肩が凝りそう」でありながら、「あまり深く突っ込まずメリハリのついた場面転換を行うことで重さが後を引かない」工夫がなされている。介護、安楽死、自殺志願、殺人という重いテーマを、推理パズルの要素として機能させることで、観客は社会問題の重圧から解放されつつも本質的な問いに向き合えるのだ。

 

 最終的に「納まりのよい推理ドラマ」「軽いタッチの推理モノにまとめる監督の手際の良さ」として完結させる構成は、まさに「重い世相を軽い推理に昇華する」手腕と言える。

 

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韓国ノワールとの比較と日本映画の可能性

 

複数のレビューが「韓国ノワール映画群と比べても遜色ない」と評している。近年の日本映画が韓国映画の影響を受けて「猫も杓子もみんなそういうのをつくる」中、本作は単なる模倣ではなく独自の達成を成し遂げている。

 

吉田恵輔監督の「ヒメアノ〜ル」に似た感触があるという指摘も、日本映画の中で「演出がうまい」作品として位置づけられることを示している。片山監督は「岬の兄妹」から「洗練されて来ている」と成長が認められ、「粗削りな面」から脱却しつつある。

 

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「得体の知れない力強さ」という謎

 

 最も興味深い評価は、「映画自体が嫌悪を発している」「暗くて悲惨で嫌だ嫌だと感じるような奈落に落とされる」「ホラーよりも効果てきめんに落とされる」「最後までいっこうに晴れない」—それでもなお「何か力強い手ごたえがある」「得体もしれない力強さがある」という矛盾した感想だ。

 

 この「得体の知れなさと面白がらせるのを両方やっている」感覚こそが、本作の本質かもしれない。予定調和に落ちず、しっかりものの楓のまともさも物語を救わない。「夢も希望もない暗黒」でありながら、なぜか力強い—この説明困難な手応えが、観客を魅了している。

 

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生と死のボーダーラインの問い

 

 本作は「人の死に対するボーダーラインを越えている人間、越えてしまった人間の悲哀」を描いている。智は善意から始めた行為が、徐々に境界線を越えていく。「初めは善のつもりだった。でもだんだん境界線が薄くなって、気づいたら悪人になってた」—この過程を丁寧に描くことで、観客は問われる。「私はどうだ、あそこまで追い込まれたらどうなってしまう?」

 

 あるレビューは、赤ん坊を蹴って殺した事件に触れ、「その人の頭の中はどうなってしまったのだろうか?同じ体験をしたら私も蹴ってしまうのだろうか?私は絶対にそうはならないと言い切れるのか」と自問する。「蹴る以前にもっと些細なことから始まっているはずではないだろうか。多分そこが人から獣に変わる瞬間なのだと思う。私はその線を越えたくない。この作品にはその線がはっきりと見える」—この洞察が、本作の社会的意義を示している。

 

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象徴としてのラストシーン

 

 最後の卓球シーンは、多くのレビューで「印象的」「涙もの」「虚しい」と言及される。父と娘がラリーを続ける中、ピンポン玉が落ち、そこからエア卓球(CGで描かれた球のない卓球)が続く。

 

「そこにあるはずのものがない。なければ成り立たない。あったと思っていたものが消えていた」—球は「楓の中から失われてしまった父の象徴」だ。物理的には父は目の前にいますが、娘が信じていた父親はもう存在しない。それでも卓球を続ける二人の姿に、失われた絆の悲しみと、それでも続く関係性の複雑さが凝縮されている。

 

 遠くに聞こえるサイレン。「迎えに来たで」という大阪人のギャグが「ギャグになっていない寂しさ、切なさ」を生み、言いようのない余韻を残す。

 

 ただしCGの球については「明らかにわかるCG」「不要だった」「ミスしても普通に続けていても良かった」という批判もあり、演出の是非は分かれています。素振りのスピードと角度のズレが父娘の想いのズレを表し、CGを消すことで想いが重なる—という解釈もありますが、技術的な違和感を指摘する声も無視できない。

 

(C)2022「さがす」製作委員会

 

結論:新しい日本映画の可能性

 

 「さがす」は、重い社会問題を真摯に扱いながらも、それを「不幸の誇示」や「承認欲求」に終わらせず、エンターテインメントとしての面白さと両立させた稀有な作品だ。三部構成の巧みさ、伏線回収の快感、倒叙ミステリーとしての完成度—これらが、観客に「面白かった」と素直に言わせる力を生んでいる。

 

 同時に、生と死の境界線、人間の弱さと悪への転落、失われた信頼の痛み—といった本質的な問いを投げかけることも忘れていない。「語り過ぎないのがまた気持ち悪くて気持ちいい」という評価が示すように、全てを説明せず観客に委ねる姿勢も、作品の深みを増している。

 

「R12だけど鑑賞してその夜寝れなくなった」「色んな台詞、映像が頭の中にこびりついて、ずっと脳内が静かに興奮してる」—この強烈な余韻こそが、本作が単なる娯楽を超えた何かを達成している証左だ。

 

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(C)2020映画「小説の神様」製作委員会

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2021年7月22日にkindleで出版した 「信玄の巫女〜ミシャグチ篇〜」

 

 

武田信玄は諏訪大明神が古層の神ミシャグチと同体であることに着目し、諏訪神社神事の再興などを餌に諏訪地方への侵略を企んでいた。 姉の禰々が諏訪頼重に嫁いだばかりなので、信玄は村上氏と諏訪氏と協調してして佐久小県の攻略に矛先を変えた。 中ッ原に住む謎の巫女初音、諏訪大社上社神長官守矢氏の娘彩芽、韃靼人の血を引く鷹匠の娘鏡音が武田信玄に取り入り、矢沢、禰津、望月などの滋野一族の調略を行う様を描く。彩芽はミシャグチと同体の異形の神を出現させることに成功するが。