38年前の今日、ジョン・レノンが凶弾に倒れた。
当時、俺は生後8ヶ月。勿論、ジョンのことなんて知らないし、当時の記憶などない。
物心が付いた頃には、ジョンが居ないのが当たり前の世界だった。
 

 

これといった趣味も無く、特技もなく、成績が良いわけでもない。

”ただなんとなく”生きていた俺が、ジョンを好きになったキッカケは『ギター』だった。

 

中学一年生の時だった。

NHK(だった気がするけれど)の番組で、”障害のある少年が一生懸命にギターを練習している”といった特集を観た。その姿が格好良くて、とても感動的で、「俺もギター弾きたい!!」と強く思った。番組を観た翌日、学校から帰ると急いで大倉山にある港北区役所に自転車を走らせた。区役所の入り口には「譲ります/探しています」的な掲示板があって、無料で掲示することができた。そこに「ギターください」の張り紙を出させてもらった。

 

数日後、隣町の方から連絡があった。母親の運転する車で、菓子折りを持ってその方の家に行った日のことを今でも鮮明に覚えている。到着までの言葉に表し難い”ワクワク感”が今も胸には残っている。

 

「息子が学校で使っていた物なんです」と古いクラシックギター(ガットギター)を手渡してくれた。メーカー物でもなく、ケースなんて付いていない。ほんとに、何の変哲も無いギターだった。それでも、ほんとにほんとに嬉しかった。

 

俺の人生が変わった日だった。

 

両親の影響で無意識の内にビートルズはよく聴いていた。なので、ギターを手にして「さぁ何を弾いてみうよう?」となった時、ごく自然にビートルズの曲をかけた。そしてギター初心者の俺はまずコードを弾こうとしてみる。ビートルズでコード弾きを担当するのは、たいがいジョン・レノン(※曲によって違いはあるけれど)。

これが俺とジョンの、ファーストコンタクトだった。

 

 
話が少し逸れちゃった。
今日はジョンの命日。俺はビートルズが大好きで、その中でも特にジョン・レノンが大好きだ。幼い頃に両親が離婚し、俺には父親が居なかった。思春期になり、”どうしても父親が必要”な時期が来た。そんな時、知りたいことは全部ジョンに教えてもらった…と俺は思っている。「ジョンならこうしたかな」とか、ジョンの人生や流儀から色々学んだ気がしている。
 
なので、ジョンは俺の憧れのヒーローであり、父親であり兄であり、親友であり、そして仲間でもある。ジョンが居なかったら、今の俺は居ない。断言できる。
 
 
 
凶弾に倒れて38年目の今日も、ジョン・レノンに思いを馳せています。
そんな今日から、ブログを始めます。
 
 

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