クラスの皆も 

学年全体も進学 就職が決まり

中学生3年生も後わずか

卒業写真を取りにあちこち出かけたり

高校の準備など

各々が新しい始まりに向けて不安と期待が混ざった 複雑な気持ちに 

3年生と言う特別な時を共に過ごした仲間達との別れの時間が1日 1日と迫ってくる寂しさにその日を大切に過ごしていた

卒業式の練習も寂しさを増す要素の1つ本当に密な関係を持った中学生3年生卒業式には嬉しさと寂しさが混ざり 涙が止まらなかった 

この時間のまま楽しい日々を過ごせたらそんな想いまで感じた皆とは お別れなんだと

新しい高校生活の不安友達は出来るかなとドキドキの前のお休み期間に入った

相変わらず家では ドロドロとした雰囲気が漂い

家族がバラバラになってしまったたった

1人の欲望が1つの大切な家族を壊していく私のトラウマはこの何年間で積み重なり今でも捉えられているよう

父と知らないおじさんは自営業をしようとしていた

そんな事は子供の私でも解る馬鹿な計画だった

家を抵当に資金を作りなど 

そんな話を聞いていると明らかに お金目当てと解るだろうに父と母は感覚がおかしくなっていた

あちこち物件を見に行くのに私は保護者のようについて行く暇を持て余しているのと父と母の監視

知らないおじさんの話の間に痛い1言を 何度も入れていた知らないおじさんにしたら

嫌な存在だ


祖父母はどう感じていたのだろうとても心配だったと思う

そんな事をしている間に高校生活が始まった

友達を作る事が解らない私はオリエンテーションの中で話しかけられた

それは それは可愛い女の子に憧れた

女姉妹のその子は大人びた 顔立ちの可愛い目の印象的な女の子

どう接していいのか解らないまま

途切れ 途切れの話だけれど嬉しかった

進学校だけあって勉強だらけの毎日

1年生の間に3年生までの基礎を覚えてしまう

予習や復習では追いつかない

塾へ行く子達だらけだった

朝の小テストで赤点だと 放課後 再テストがある

途中までは なんとかついて行けたけれど 

家庭教師のお姉さんはもういない全て自分でなんとかしなければならなかった

何故なら母から 家庭教師のお姉さんどうする?と聞かれたどうする?はやめてくれの合図だったから

勉強に追われる毎日で父と母の事も気にかけている間もない


そんな時母と知らないおじさんの関係が父にばれた

父は激怒していた

当たり前だ何年間か信じていたのだから

喧嘩の声が聞こえてくると

同時に私の部屋に母が入ってくるその度に勉強は中断

父が手を上げるのを阻止する

怒りはマックス超え

私は「お母さんを殴るなら 私を殴れ」と

その度 何発かのビンタをくらう

父の気持ちも解るからとりあえず発散してもらう

そんな母は自分は悪い事をしていないのに…

そんな風を装い

全て父の浮気が悪いのだと私に言うが

全て見てきた私に 

通用する事もない


「これは お互い様 でもお母さんの方が悪い」とはっきり伝える

(なんで そんな事言うの 私がなんで悪いの?)どうも理解出来ていないらしいのか

それとも 自分は何をしても悪くない人と思っているのか


ただでさえ 勉強で苦戦していて時間がないのにこんな 

喧嘩の仲裁までさせられる

高校でも 友達作りなども手探りなのに

それでも 周りの子は優しかった

クラスの中に 障害者がいたその子は なんでも自分でするからと頑張ってる

私も頑張らないとと勇気を貰える

体育の時間は 休み時間から着替えをしてやっと間に合うくらいなのに本当に凄い

だから自然に体育の時間前は皆が 

次は体育だよ~と声かけしていた

彼女に勇気や沢山の事を学ばせて貰えた

本当に凄い子だった


女子校だからなんだか安心感と色々なおしゃれも教えてもらえる

放課後になると皆 お化粧をしている

そんな事にも疎い私は「何してるの? これは何?」と色々見た事もないキラキラしたものに興味津々だった

私にも お化粧してくれて鏡を見せてくれた少し大人になった気分

私は 幼い子のように周りからは見られていたかもしれない皆が当たり前に知っている事を知らないから

高校は大阪 滋賀と遠い所からも通学している子が沢山

電車通学なんて楽しそうと思っていた

知らない事だらけの高校生活

勉強だらけの高校生活に加え

家の事

もう私には 大きな荷物だらけだった

毎日が必死

友人に誘われ演劇部に入部した時など夏の体育館の練習に 身体がついて行かなくて倒れた

診断結果は 栄養失調練習後 

夕飯など食べれる力もなく帰ってくる朝も疲れが残り 一口くらいしか食欲もない

加えて勉強が追いつかないし解らない

その間に夫婦喧嘩

元々 死ぬと言われていた身体だ

喘息も治癒していない体力は 人よりも無いから倒れて当たり前

ただ バレエのおかげでなんとか 保っていたのだろう

地味に疲れが積み重なり部活は辞める事にした

その時の体重は小学生の体重になっていた色々 追い詰められていた事から開放したくていや 逃げたくて久しぶりに1人 宝塚へ行く事にした

何もかもからと言うか家の事から逃げ出したかったから