中学校に入る前改築もでき祖父母が引っ越してきた

私達は自然と2階の生活になった

2階の改築もして4部屋あったのが3部屋になりトイレも作ってあった

大工さんって凄いと思う

これからの事を考えまた 税金の事も考えると

トイレと1部屋減らしそこを 納戸として登記する

専門家の知恵

大きな部屋になった私は部屋の大きさに持て余す事となる

小学校6年生の時には

兄は高校生彼女も出来てきっと楽しい時期だったと思う

小学校5年生 6年生の時はやたらと 兄に女の子がからんでバレンタインの時はチョコ受け付け係は私だった

高校生の兄の彼女何人か女の子が遊びに来ていた中

私には 1人の女の子が何故か懐かしく この人が姉なら嬉しいと思える人がいた後に 義理姉となる人

中学校に上がる私に中学校で使う 文房具をプレゼントしてくれた

中学校ではこういう物を使うのかと学校生活に疎い私は

その文房具が宝物のようにキラキラして見えてとっても嬉しかった

学校に行くかばんも指定などなく手作りかばんの作り方も確か姉に教えてもらったと思う

私にとって姉はある意味 母のような存在でもあったかも色々な事を教えてもらった

中学校では勉強なども 解るはずもなく基礎が出来ていない上に上乗せしても 全く解らない

困った母は 家庭教師をつけてくれた

その家庭教師のお姉さんも母のような存在

色々な事を体験させてくれて優しく厳しい人だった

この2人の女性に私は沢山の事を教わった

母は 知っている事が当たり前と思っていたのかそれとも 色々な事で私にまで 手が回らなかったのかは今となっては 解らない

中学校に上がりまた 有り難い事に兄のやんちゃぶりの おかげか○○の妹と 先生から先輩までが私を知っていて 色々教えてもらった

まず 校則と言うものがあり色々決められている事など

周りの子が 当たり前に知っている事を私は 全く知らなかった

それとも 耳に入っていなかったのか中学生の中に小学生が紛れているように 

この頃から 色々知っていった

かばん作りも 姉から教えてもらった 

姉は手先の器用な人でお裁縫から編み物 兄の物は 姉が色々作っていた

お勉強は 数学も小学生の頃からの重要な所から

そして 1番困難なのは英語だった

耳コピが得意だった私は発音は直ぐ覚えるけれど 

つづりになると全く解らない 

どうやって覚えていいかも知らなかった

家庭教師の先生と泣きじゃくりながらの勉強

なんとなくヘレンケラーみたいな感じ?怒られ 泣きじゃくり 怒られ 泣きじゃくりの繰り返しが続き

宿題やら 覚えると言う事を教えてもらった

下で聞いている 祖父母は面白かっただろう

相変わらず 宝塚は好きで母との観劇も 時々あったが

その頃には 電車に乗って1人でも行けるように

祖父も早くに病院に行けた事もあり後遺症もあまりなかったが再発する事もあるので一緒に暮らし 安心できる  

相変わらず 寡黙で書斎のように1部屋は祖父の空間が出来ていた

祖母は ピアノが好きで時々 弾いているのを横で聞いてくれた

中学生1年生の半ば私は 環境や決まり事 初めての 勉強の仕方などを覚えていった

なんだか やっと人らしくなった気分

宿題のお約束は ちゃんと守る英語の覚え方も教えてもらい家庭教師の先生が大好きになって

それと共に 勉強も好きになった

あまりに大きな部屋にはやっぱり慣れず兄と部屋を交換してもらった

出窓があり 羨ましかった部屋に変われこじんまりとした小さな空間は私の1番の癒やしの場所となった 

納戸が秘密基地だったのが自分の部屋へと変わった

そうやって 少しづつ中学校生活が落ち着きつつあった中

家庭生活ではとんでもない事が起こっていた

今考えても どう考えてもちょっとそれは おかしいでしょっと突っ込みを入れたくなる

この頃に父と母の反抗期が始まったのか?と思うような出来事

兄は 学校生活や やんちゃな生活に逃げていた

私は 部屋へ引きこもるも祖父母の事や家の用事をなんとなく 自然にしていた

お掃除 食事 諸々祖母と一緒に

何故なら夫婦揃って 浮気事件

広島では父がこちらでは母が

母の両親である祖父母達は 見ていてとても心を痛めたのではないだろうか?

学校生活でも家庭生活でもどちらも 心が痛い出来事が起こっていった