あれから20年。。。 | ボンボンの平々凡々生活

ボンボンの平々凡々生活

ビション・フリーゼがやってきた!!
笑顔振りまく ボンボン(2011.12.11生)の日常生活***
オカメインコのグミちゃんも登場♬




1995.1.17 阪神淡路大震災

当時 愛媛県の松山市に住んでいた私は
もうすぐ9ヶ月になる息子と一緒に兵庫の実家へ帰省していました。

息子と二人 布団に寝ていると 
突然の「ゴーーー」という地鳴りで目が覚め
まだ真っ暗な障子越しに 外が『ピカピカッ』と光ったかと思うと
体験した事が無い揺れを身体に感じ 余りの恐怖に 
隣に寝ていた息子の上に 覆いかぶさるのが精一杯。
揺れが収まり 息子の顔を見ると 揺れた事にも気付かずに
「スヤスヤ」と眠っていました。

すぐに 父と母 兄家族の安否を確認しました。
寝ている母の上に 天井から照明器具が落ちてきたり
家具や電化製品が移動したり 食器が壊れたり・・・
家に亀裂が入ったりしましたが 
おかげ様で 家族は皆無事でした。

だんだん外が明るくなってくると 
家の上を ヘリコプターや飛行機が 何基も何基も神戸の方へ
飛んで行き 「いったい何が起こっているのか?」と
情報も無く 恐怖で一杯になりました。

断水で ミルクを作る事も出来ず
断乳を始めたばかりで 出なくなってきている
母乳をいつまでも吸っていた息子を思いだします。

1週間ほど実家にいましたが 
ライフラインも 落ち着き始め
松山へ帰った方が 息子の為ではあるので
地震の心的ショックが大きかった 母を残して行くのは
心配でしたが 後ろ髪引かれる思いで帰路に就きました。


こんな大惨事の中を
翌日の朝刊から 毎朝毎夕 新聞を配達して
情報を伝えてくださった事に驚きと感謝の気持ちで

覚えているはずが無い この地震の記録を
将来息子に伝えたくて 母に保管して貰っていたものを
先日息子に見せる事が出来ました。



18日19日の朝夕刊です。






上段24日23日
下段27日25日



そして
2011.3.11  東日本大震災

我が家は震源地からは 遠く離れていましたが
それでも電車は止まり  停電になりました。

地震の当時 息子と娘は自宅に居り
阪神淡路の時には 赤ちゃんだった息子が
手動充電式のラジオを持ってきてくれたり
ロウソクの下 娘と お話しながらオセロをしたり・・・
励ましあいながら 不安の中 子供の成長が見られ 
家族が一緒にいられる幸せを噛みしめました。



阪神淡路大震災から 20年目の朝 
目覚めて時計を見ると 5時40分
私の左腕には ボンボンがアゴを置き 丸まって寝ていました。
温かいボンボンの温もりを感じながら 5時46分を迎え
改めて 平凡な日々に感謝。


人災 天災・・・
いつ何が起こってもおかしくない この世の中で
何事もなく一日が終わる幸せ。。。

感謝の気持ちを忘れずに
『一日一日を大切にしよう』と思った 20年目の1月17日でした。







ブログに書こうか迷いましたが
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。