2026年2月、猫のマー坊が22才と26日の生涯を閉じた
ここまで長生きしてくれるなんて
どこかで「もしかしたらまだ大丈夫かも」と思っていた
でもその日が来る時は、やっぱり来てしまうのだと知った
亡くなる前の2日間、マー坊は食事をほとんど口にしなくなった
大好きだったごはんも、そっと顔を背ける
最後は水さえも飲まなくなった
目はうっすらと開いているのに身体は確実に力を失っていく
その様子を見守るしかない時間は、とても長く感じられた
亡くなった日の午前中、バルコニーで大好きな日向ぼっこをさせた
冬のやわらかい光の中
弱々しいながらも
自分の好きな場所へ、自分の足で歩いて行き、ベターっと横たわった
その姿はいつものマー坊で
「まだ大丈夫かもしれない」と一瞬思わせるほどだった
ベッドから数歩の場所にある水飲みボールにも自力で歩いて行った
すぐそばに水やエサ台を置いてあげても
なぜか その場所へ向かおうとする
身体は弱っているのに、記憶はしっかりとそこにある
だから、そういう時は元の場所に水を戻してあげた
マー坊の「いつも通り」を、できるだけ守ってあげたかった
その夜、酸素室の中で突然、手足をばたつかせた
驚いて酸素マスクを顔にあてた
呼吸が止まりそうになり
思わず抱き上げたその時
「ウォン」と3回、小さな声を出した
まるで何かを伝えるように
そして、静かに逝った
覚悟はしていたつもりでも
あまりにもあっけなく、あまりにも静かだった
家か、病院か、葛藤の日々
亡くなる2週間前
胸に溜まった水が呼吸を苦しくさせていると言われ 水を抜いてもらった
往復2時間の車移動、さまざまな検査でほぼ丸一日病院で過ごした
高齢の身体には、どれほど大きな負担だっただろう
帰宅後、回復するまでに2日かかった
それから1週間後の受診予定日
再びあのストレスをかけるのは、あまりにもかわいそうに思えた
息子に電話で病院へ確認してもらうと
「水を抜いても劇的に回復するわけではないので、ご家族の判断で」とのこと
受診をキャンセルした
少しでも呼吸が楽になるようにと
酸素室のレンタルに切り替えたばかり
ここ数週間、気持ちはずっと揺れていた
家で静かに看取るのがいいのか
でも、日に日に弱っていく姿を見るのはつらくて
病院に連れて行った方がいいのか
「猫は何も言えないから」と言う息子の思いと
「最後は静かに家で見送りたい」という自分の思い
そのせめぎ合いの中で 何が正解なのかわからなくなっていた
9年前、犬のモモが亡くなった時は病院だった
最後を看取ることができなかった
その経験もあり
22才というマー坊の年齢を考えた時
今回は自宅で静かに
そばで見送りたいという気持ちが強かったのかもしれない
朝、目が覚めて、マー坊がベッドの中にいないことに気づいた
いつもなら、「おはよう、今日はどうかな~」と声をかけると
「ニャー」と返事をしてくれたのに
今朝は、どんなに待っても返事がない
身体も、ベッドも、水飲みボールも、小さなものばかり
でも、家族としての22年間、その存在はとてつもなく大きかった
がらんとした部屋は、まるで引っ越し前のようだ
そして、心の中にも大きな空き部屋ができてしまった
22年、よくがんばったね
本当にありがとう ![]()
でも――
やっぱり会いたい
声が聞きたい
あの小さな身体をもう一度抱きしめたい
叶わぬ願いとは知りつつ… ![]()



