入館から8年 一歩一歩ステップアップして

Press Sectionには1983~1999までの16年間在籍

Senior Secretary兼Administrative Assistantとして

4人のすばらしいPress Attache(報道官)に仕えた

① ② ③ 

 

少しオーバーかもしれないけど…

日々 世界の動向とリンクしている仕事だなぁなんて思ったものです

今 思い出してもなつかしく、刺激的で楽しかった~

 

報道官はスポークスパーソンとして本国の声を伝えたり

本国からの要人来日時のメディア対応などを行います

グランマが在籍した16年間に3人の米大統領が7回来日しています

ロナルド・レーガン:1983 & 1986(G-7サミット)

  「ロン・やす」と呼び合い 中曽根首相の別荘、日の出山荘で昼食会  

  レーガン大統領とナンシー夫人が「ちゃんちゃんこ」を着て

  囲炉裏を囲んで抹茶のおもてなしを受けている姿が微笑ましかったですね

 

ジョージ・H・W・ブッシュ:1989 & 1992

  パパブッシュですね

  一回目は昭和天皇の葬儀参列のため来日

  二度目の来日時に晩さん会で倒れて騒然としましたが

  バーバラ夫人の物事に動じるない毅然とした態度と

  「皇太子さまと午後テニスをやったのが悪かったのかも」という

  機転の利くコメントがすごく賞賛されました - さすがファースト・レディー!

 

ビル・クリントン:1993(G-7サミット)、1996 & 1998

  日課のジョギングを欠かさず 

  来日時もシークレットサービスを従えて皇居周辺をジョギングする姿が目撃されました 

  宮澤、橋本、小渕と三回とも異なる首相と会うことになりましたね

 

大統領が動くとホワイトハウスも動くと言われるように

大統領に同行する閣僚、スタッフの数も多く相当数にのぼります

特に同行記者は 近年では予算の関係もあり数も減っているのですが

当時は500人を越える記者団がチャーター機で乗り込んできた

彼らは 飛行機のタラップを降りた時には

日本政府発行のcredential(記者証)を首にさげていなければならない

グランマは そのcredentialの受付から引渡しまでの業務を総括していました

credentialの取り扱いには正確性かつ迅速性が求められ

500人分という数の多さもさることながら

カウンターパートの日本政府との連携作業には神経を使いました

 

もう一つの重要な業務として

24時間シフトで稼働するPress Filing Centerの運営・管理

世界各国の同行記者が出入りするのはInternational Press Centerで

記者たちはここで記事をまとめ配信したりする作業場所です

一方 Press Filing Centerでは

ホワイトハウスの発表や記者会見、背景説明後のテキストなどを提供する

このPress Filing Centerに詰めるスタッフのスケジュール作成や管理

記者対応、ホワイトハウススタッフ対応などストレスを感じる仕事でした

ご一行様が離日して やっとWheels up

ストレスからの開放感を味わったものです

 

1997年にはCOP-3 気候変動に関する国連会議京都で開催

メディア対応で2週間京都へ

手作りのボードを掲げ練り歩くグリーンピース団体のデモ活動にビックリ

 

 

この他にも副大統領、議員団、政府要人が訪日するたびに

日常業務以外のことに対処しなければならず

柔軟性や積極性、統率力、協調性が問われる仕事でしたが

linchpin、indispensable、outstanding、stellar assetなど

自分の仕事への向き合い方が認められていると感じて嬉しかったですね~

 

とりわけ 

 

上司や同僚に恵まれ すばらしいチームの一員として働けたことに感謝しているんです

 ダン・クエール米副大統領 モンデール駐日大使

 

日米は貿易摩擦でギクシャクした関係が続いていたが

世界に目を向けてみれば

東西ドイツが統合され

米ソ冷戦時代が終結し

ゴルバチョフの「ペレストロイカ」がニュースを賑わしていた頃

日本では

昭和天皇が崩御し 時代は「昭和」から「平成」

そして阪神淡路大地震や地下鉄サリン事件と

いろいろありました~

 

職業人として第4コーナーを走り抜け 次の16年は領事部へ - そして定年

 

グランマの挑戦は続く - リスキリングについては次に書いてみようかな