ヴィラ・ カレー(ベルリン)活用について考察
1956年、建築家カレーによって
設計された建物がベルリン・
ツェーレンドルフ地区に
活用されずに24時間常駐の
警備員を置く形で
管理されている。
私の自転車通勤や、
散歩の途中に
ある建物でドイツ語で
"コッペルン"と呼ばれる
ドーム型の屋根に
少女像と思われる銅像を
頂いていて、その前を通る度に
気になって調べて見た。
インターネットなどでみると、
その特徴ある外観と
広大な敷地について
(3000平米)幾つかの文献が
見つかる。
1980年代に、在ベルリン映画
プロダクションなどによって
一時使用されていたようで
あるが、現在はカタール王皇国の
ゲスト・ハウスとして
利用する為に、一時再利用の
計画もされたようである
(詳しい経緯は知り様も無いが)
2015年再利用系計画の
基づく工事が始まった。
前述の様に活用には
至っていない様子である。
私がこの建築物に興味を
持ったのは、前述の通り
丸天井・ドーム型の
屋根の上で、辛うじて
バランスを保って立っている
ように見える少女の像に、
ある時気がついたからだ。
裁判所などに見受けられる、
目隠しをした
(公平を期するという
意味があるらしい)
天秤計りと剣を毅然と
両手に持つ女性彫像に
比べて頼りなく、如何にも
はかなげに見えたのが
最初の印象だ。
像の建ててある屋根の
基部の時間経過・劣化に
伴って既に傾いているようにも
見えており、いつ落ちてきても
不思議ではないように
見受けられるのだ。
ココからは、私の勝手な
妄想で有る 😓
ベルリンに17年間住む、
フリー音楽奏者である私の
誇大妄想的な願い(目的)は、
ヨーロッパの中心にある
ベルリンのその"地の利"を
生かしてその邸宅を
青少年のための
劇場を創設できないか
という思いがある。
日頃青少年と"音楽"という
媒体を通してコミュニケーション・
ツールとしての優れた働き、
習得するまでのその
特殊性や、発表の機会を
得る為の準備や、手段を
考える事だけを鑑みても
学校教育の中での音楽活動
全般を通じて学べることは多い。
例えば以前、東京青山に
あった「子供の城」がある。
劇場の経営は簡単ではないが、
諸機関や市政の助けを
借りれば全くの夢物語ではなく、
準備をしっかりとすれば
不可能ではないと思わせる
社会基盤と地域・学校・
教会などを通じた協力体制が、
現在のドイツ社会には今だに
存在する。
私の拙い経験からでも、
できることが色々と見えてくる。
例えば、専門の音楽家や俳優・
歌手の他にも劇に付き物の
家具や舞台装置の考案・
運営する人材を育成・
熟練するまでの必要なことを
学べる教育プログラムを
作る必要がある。
人の集まるところにつきものの、
喫茶店やレストランなどの
飲食関係の経営や人材教育は、
若い人の人格形成には
大切なものと言えると思う。
又マッサージや、ホメオパシー、
アロマテラピー等に見られるような
ニ次医療等も劇場に携わる
事柄として、そのニーズは
幅が広い。
食材の調達や、残飯や
糞尿の処理などにの可也広範で
これからの都市の直面して行く
問題としても、有効と思われ
注目している事に微生物を利用・
活用した土壌改良や
糞尿などの処理技術が
日本人の手で確立されつつあることは、
一縷の救いを見る思いがする。
現在の日本に於ける危急の
問題に核物質の除染問題があるが
これにも微生物・特に乳酸菌による
処理・加工は人間の内部被曝で
損傷してしまった細胞や、
生きて行く上で大切な免疫力の
支援にも、有効だという
研究成果が出つつある。
知人を通じて伺った話にも、
日本の有志大学が協力して
「乳酸菌の研究をベルリンで」と
いう話も聞いたことがある。
人類は、微生物等の自然界の
営みを巧みに利用して食品を
長持ちさせるために加工したり、
医療に活用してきた歴史がある
日本人は特に味噌・醤油・
日本酒などの発酵食品を
自家製作してきた経緯もある。
これが、ドイツの健康食品業界に
広く受け入れられており、
量産でない溜まり醤油や
味噌を初めとする
日本古来の伝統料理や
調味料が、健康に留意する
人々に高価な値段にも
かかわらず、支持を
受けているのは
誇らしい思いもする。
これらを総て、まとめられる
可能性があるのが、劇場の
機能を持つ場所に
集まってくる人材を、
教育・支援しながら
お互いに日々を過ごす中で、
一つのモデルと
なるような循環型社会・
システムを構築できないか
ということである。
私には、音楽や芸術にしろ、
研究にしても人間としての
生活感の伴わないことには、
人間の生の営みとして血の
通わない学問・研究一辺倒や
芸術・演奏三昧だけでは
実生活・社会が成り立たないのは、
明白な気がする。
これらのことも含めて、
全てに渡って特別なバランス
感覚を持った人材の育成が
急務と思われる。
次代を担う日本の子供達の
将来も「社会・世界で
求められる本物の
人材になることが出来るか」
という事があるのではないか。
話が横にそれる感も否めないが、
ベルリンにある
ツェーレンドルフ地区と、
ダーレム地区に付いて
私が最近知り得た歴史的な
事について、少し触れておきたい。
第二次世界大戦を早期に
終結させた一因に、原爆投下の
時代考証が盛んであった時期も
あった。
自分の現在生活している
ドイツ・ベルリンの土地の
名前が原爆開発に関連して
出てきた時には、正直驚きを
隠せなかった。
(決して風化させてはいけない
ことであるが・・・)
原子爆弾の基礎は、原子核の
崩壊を利用してそれによって
得られるエネルギーを、
熱風・熱線と爆風に
変えたものである。
原子の崩壊という現象・
事象そのものは、1920年当時
学園研究都市の(ちょうど日本の
1990年代の茨城県筑波市の様に)
様相を呈していたダーレム
研究都市の中にあった。
マックス・インステテュートの
二人の科学者によって発見され、
その様子を観察・研究した結果、
原子崩壊に伴うことによって
得られるエネルギーを、石油・
化石系燃料に変わる次世代の
エネルギー需要に応えるべく
その利用の可能性が期待された。
その特殊性・機密性故に政治・
経済と親密に絡んで膨大な
利益を産むように見せかけて
最終処理法の確立を待たずに
コントロールの効かない
"一度点火してしまうと,
容易に消すことの
出来ない火"にその強力な
破壊力ゆえに、正に我々人類は
魅入られて
しまったのかのようである。
人間の目には見えない・
臭わない原子の核崩壊という
現象は忍耐強い観察と実証・
実験を経て、少なくない犠牲を
出しながらも、次第に裏付け
されて行った経緯がある。
その後、開発に携わった
科学者達のドイツ
国内での政治的弾圧を
背景として、アメリカに
避難した。
当時、世界的にも著名であった
アインシュタイン博士の進言を
受ける形で、アメリカ大統領で
あったアイゼンハワーの決断と
アメリカ軍需産業界の
思惑も伴って原爆は(ウランと
プルトニューム)と言う二つの
異なった性質を持つ起爆剤を
伴って、その破壊力を
確かめるべく、実際に人間が
生活している日本の二都市、
広島と長崎に投下された。
その威力を見せ付けられた
日本は、一億玉砕の覚悟を
棄てて完全降伏に調印・
東京裁判を経て一応の戦後処理の
手掛かりをつけて、戦後に
向かうことになる。
ベルリンで発見された
原子核崩壊による
人類への脅威をベルリンで
その対抗手段を、人間が
見つけるのも運命のような
気がする。
私が生まれ育った沖縄県は、
未だに全アジアの40パーセント
以上をも超える米軍の駐留基地
として存在している。
(在沖米兵と現地住民との
トラブルも絶えない地域
としての認識に、
何時も震感・憤慨する思いに
かられる・・・・)
又近年は、高まる中国との
緊張にも特別の配慮を
配らなければならない
地域として注目されている。
沖縄県は未だに解決を見ていない、
日本の戦後処理の象徴的・
特殊な地域となっている。
これらの事を私が自分で
いろいろと調べて改めて
知るのに至ったのは、
2011年3月に東日本大震災を
契機に起こった
人類未曾有の原子力発電所・
爆発事故に起因している。
現在も、原発内で文字通り
命を賭けて働いている方達には
感謝と慚愧の念が絶えない。
戦後日本が、ひた走って
築き上げて来た日本の存在意義と
未来に直接関わってくる問題
としてもデリケートな対応を
迫られていて、日本の政治家も
経済界をはじめ一般市民も、
「的確な対策の決定打を
出せずにいる」
というのが現状・実情では
ないだろうか・・・・。
産業・科学技術立国として
自動車産業やコンピュータ、
ゲーム等のハイテクを、
売りにしてきた祖国日本にとって
「未来を掛けた本当の危機が
迫っている」
というのが、海外に住んでいる
私の偽りのない感想だ。
日本屈指の穀倉地帯でるもある
東日本からの残留核物質を含む
膨大な食品や工業製品は、
もはや事故以前の安全基準では
対応できずに、済し崩し的に
図さんで暫時的な対応で
凌いでいるのが現状だ。
海外に生活していて、日本に
家族のあるものにとって歯痒い
思いが拭えないが、欧州や
他国では既に輸入禁止に
なってしまっている食品や、
製品を自国内で流通・
消費またはアジアの貧しい
近隣諸国へ輸出し続ける姿勢は、
(欧州では、放射性廃棄物扱いの
ものがあり特に最近のドイツ・
第二国営放送による告発的・
報道番組は衝撃的で)
ハッキリ言って恥ずかしい
という感覚を凌駕するものだ。
近い将来、内部被曝と食物の
関係が証明された暁には、
悔やんでも悔やみきれない、
大きな犠牲を強いられる事になる。
日本に住んでいる人々、
特に放射能の感受性や影響の
強く出てしまう子供達に、
大変な影響があることが
既に予想される。
17年在独歴のある私にとっても、
ドイツ人に「日本人とは何ぞや」
と訪ねられて、同胞であるはずの
日本人について、説明するのに
苦慮し、また自分を見つめ直す
厳しい機会に向き合って
いかなければならない。
ドイツの積極的な社会参加、
問題意識の高さと、その真剣な
取り組みに感心してばかり
してはおれない。
現在地球・北半球全域に
脅威となる可能性を秘めている
福島原発を始めとする核に関わる
政治・世界情勢は、日本政府の
緩慢に見える事故対応に、
微力ながらも
"私が日本人として出来ること
は無いか"と
心休まる思いがしない日々を、
地震速報と天気予報を確認しつゝ
日本に居る家族に大事のないように
祈るような気持ちで、過ごしている
のが偽りのない気持ちだ。
何処かに、10億円程
落ちていないかなぁ・・・😇

1956年、建築家カレーによって
設計された建物がベルリン・
ツェーレンドルフ地区に
活用されずに24時間常駐の
警備員を置く形で
管理されている。
私の自転車通勤や、
散歩の途中に
ある建物でドイツ語で
"コッペルン"と呼ばれる
ドーム型の屋根に
少女像と思われる銅像を
頂いていて、その前を通る度に
気になって調べて見た。
インターネットなどでみると、
その特徴ある外観と
広大な敷地について
(3000平米)幾つかの文献が
見つかる。
1980年代に、在ベルリン映画
プロダクションなどによって
一時使用されていたようで
あるが、現在はカタール王皇国の
ゲスト・ハウスとして
利用する為に、一時再利用の
計画もされたようである
(詳しい経緯は知り様も無いが)
2015年再利用系計画の
基づく工事が始まった。
前述の様に活用には
至っていない様子である。
私がこの建築物に興味を
持ったのは、前述の通り
丸天井・ドーム型の
屋根の上で、辛うじて
バランスを保って立っている
ように見える少女の像に、
ある時気がついたからだ。
裁判所などに見受けられる、
目隠しをした
(公平を期するという
意味があるらしい)
天秤計りと剣を毅然と
両手に持つ女性彫像に
比べて頼りなく、如何にも
はかなげに見えたのが
最初の印象だ。
像の建ててある屋根の
基部の時間経過・劣化に
伴って既に傾いているようにも
見えており、いつ落ちてきても
不思議ではないように
見受けられるのだ。
ココからは、私の勝手な
妄想で有る 😓
ベルリンに17年間住む、
フリー音楽奏者である私の
誇大妄想的な願い(目的)は、
ヨーロッパの中心にある
ベルリンのその"地の利"を
生かしてその邸宅を
青少年のための
劇場を創設できないか
という思いがある。
日頃青少年と"音楽"という
媒体を通してコミュニケーション・
ツールとしての優れた働き、
習得するまでのその
特殊性や、発表の機会を
得る為の準備や、手段を
考える事だけを鑑みても
学校教育の中での音楽活動
全般を通じて学べることは多い。
例えば以前、東京青山に
あった「子供の城」がある。
劇場の経営は簡単ではないが、
諸機関や市政の助けを
借りれば全くの夢物語ではなく、
準備をしっかりとすれば
不可能ではないと思わせる
社会基盤と地域・学校・
教会などを通じた協力体制が、
現在のドイツ社会には今だに
存在する。
私の拙い経験からでも、
できることが色々と見えてくる。
例えば、専門の音楽家や俳優・
歌手の他にも劇に付き物の
家具や舞台装置の考案・
運営する人材を育成・
熟練するまでの必要なことを
学べる教育プログラムを
作る必要がある。
人の集まるところにつきものの、
喫茶店やレストランなどの
飲食関係の経営や人材教育は、
若い人の人格形成には
大切なものと言えると思う。
又マッサージや、ホメオパシー、
アロマテラピー等に見られるような
ニ次医療等も劇場に携わる
事柄として、そのニーズは
幅が広い。
食材の調達や、残飯や
糞尿の処理などにの可也広範で
これからの都市の直面して行く
問題としても、有効と思われ
注目している事に微生物を利用・
活用した土壌改良や
糞尿などの処理技術が
日本人の手で確立されつつあることは、
一縷の救いを見る思いがする。
現在の日本に於ける危急の
問題に核物質の除染問題があるが
これにも微生物・特に乳酸菌による
処理・加工は人間の内部被曝で
損傷してしまった細胞や、
生きて行く上で大切な免疫力の
支援にも、有効だという
研究成果が出つつある。
知人を通じて伺った話にも、
日本の有志大学が協力して
「乳酸菌の研究をベルリンで」と
いう話も聞いたことがある。
人類は、微生物等の自然界の
営みを巧みに利用して食品を
長持ちさせるために加工したり、
医療に活用してきた歴史がある
日本人は特に味噌・醤油・
日本酒などの発酵食品を
自家製作してきた経緯もある。
これが、ドイツの健康食品業界に
広く受け入れられており、
量産でない溜まり醤油や
味噌を初めとする
日本古来の伝統料理や
調味料が、健康に留意する
人々に高価な値段にも
かかわらず、支持を
受けているのは
誇らしい思いもする。
これらを総て、まとめられる
可能性があるのが、劇場の
機能を持つ場所に
集まってくる人材を、
教育・支援しながら
お互いに日々を過ごす中で、
一つのモデルと
なるような循環型社会・
システムを構築できないか
ということである。
私には、音楽や芸術にしろ、
研究にしても人間としての
生活感の伴わないことには、
人間の生の営みとして血の
通わない学問・研究一辺倒や
芸術・演奏三昧だけでは
実生活・社会が成り立たないのは、
明白な気がする。
これらのことも含めて、
全てに渡って特別なバランス
感覚を持った人材の育成が
急務と思われる。
次代を担う日本の子供達の
将来も「社会・世界で
求められる本物の
人材になることが出来るか」
という事があるのではないか。
話が横にそれる感も否めないが、
ベルリンにある
ツェーレンドルフ地区と、
ダーレム地区に付いて
私が最近知り得た歴史的な
事について、少し触れておきたい。
第二次世界大戦を早期に
終結させた一因に、原爆投下の
時代考証が盛んであった時期も
あった。
自分の現在生活している
ドイツ・ベルリンの土地の
名前が原爆開発に関連して
出てきた時には、正直驚きを
隠せなかった。
(決して風化させてはいけない
ことであるが・・・)
原子爆弾の基礎は、原子核の
崩壊を利用してそれによって
得られるエネルギーを、
熱風・熱線と爆風に
変えたものである。
原子の崩壊という現象・
事象そのものは、1920年当時
学園研究都市の(ちょうど日本の
1990年代の茨城県筑波市の様に)
様相を呈していたダーレム
研究都市の中にあった。
マックス・インステテュートの
二人の科学者によって発見され、
その様子を観察・研究した結果、
原子崩壊に伴うことによって
得られるエネルギーを、石油・
化石系燃料に変わる次世代の
エネルギー需要に応えるべく
その利用の可能性が期待された。
その特殊性・機密性故に政治・
経済と親密に絡んで膨大な
利益を産むように見せかけて
最終処理法の確立を待たずに
コントロールの効かない
"一度点火してしまうと,
容易に消すことの
出来ない火"にその強力な
破壊力ゆえに、正に我々人類は
魅入られて
しまったのかのようである。
人間の目には見えない・
臭わない原子の核崩壊という
現象は忍耐強い観察と実証・
実験を経て、少なくない犠牲を
出しながらも、次第に裏付け
されて行った経緯がある。
その後、開発に携わった
科学者達のドイツ
国内での政治的弾圧を
背景として、アメリカに
避難した。
当時、世界的にも著名であった
アインシュタイン博士の進言を
受ける形で、アメリカ大統領で
あったアイゼンハワーの決断と
アメリカ軍需産業界の
思惑も伴って原爆は(ウランと
プルトニューム)と言う二つの
異なった性質を持つ起爆剤を
伴って、その破壊力を
確かめるべく、実際に人間が
生活している日本の二都市、
広島と長崎に投下された。
その威力を見せ付けられた
日本は、一億玉砕の覚悟を
棄てて完全降伏に調印・
東京裁判を経て一応の戦後処理の
手掛かりをつけて、戦後に
向かうことになる。
ベルリンで発見された
原子核崩壊による
人類への脅威をベルリンで
その対抗手段を、人間が
見つけるのも運命のような
気がする。
私が生まれ育った沖縄県は、
未だに全アジアの40パーセント
以上をも超える米軍の駐留基地
として存在している。
(在沖米兵と現地住民との
トラブルも絶えない地域
としての認識に、
何時も震感・憤慨する思いに
かられる・・・・)
又近年は、高まる中国との
緊張にも特別の配慮を
配らなければならない
地域として注目されている。
沖縄県は未だに解決を見ていない、
日本の戦後処理の象徴的・
特殊な地域となっている。
これらの事を私が自分で
いろいろと調べて改めて
知るのに至ったのは、
2011年3月に東日本大震災を
契機に起こった
人類未曾有の原子力発電所・
爆発事故に起因している。
現在も、原発内で文字通り
命を賭けて働いている方達には
感謝と慚愧の念が絶えない。
戦後日本が、ひた走って
築き上げて来た日本の存在意義と
未来に直接関わってくる問題
としてもデリケートな対応を
迫られていて、日本の政治家も
経済界をはじめ一般市民も、
「的確な対策の決定打を
出せずにいる」
というのが現状・実情では
ないだろうか・・・・。
産業・科学技術立国として
自動車産業やコンピュータ、
ゲーム等のハイテクを、
売りにしてきた祖国日本にとって
「未来を掛けた本当の危機が
迫っている」
というのが、海外に住んでいる
私の偽りのない感想だ。
日本屈指の穀倉地帯でるもある
東日本からの残留核物質を含む
膨大な食品や工業製品は、
もはや事故以前の安全基準では
対応できずに、済し崩し的に
図さんで暫時的な対応で
凌いでいるのが現状だ。
海外に生活していて、日本に
家族のあるものにとって歯痒い
思いが拭えないが、欧州や
他国では既に輸入禁止に
なってしまっている食品や、
製品を自国内で流通・
消費またはアジアの貧しい
近隣諸国へ輸出し続ける姿勢は、
(欧州では、放射性廃棄物扱いの
ものがあり特に最近のドイツ・
第二国営放送による告発的・
報道番組は衝撃的で)
ハッキリ言って恥ずかしい
という感覚を凌駕するものだ。
近い将来、内部被曝と食物の
関係が証明された暁には、
悔やんでも悔やみきれない、
大きな犠牲を強いられる事になる。
日本に住んでいる人々、
特に放射能の感受性や影響の
強く出てしまう子供達に、
大変な影響があることが
既に予想される。
17年在独歴のある私にとっても、
ドイツ人に「日本人とは何ぞや」
と訪ねられて、同胞であるはずの
日本人について、説明するのに
苦慮し、また自分を見つめ直す
厳しい機会に向き合って
いかなければならない。
ドイツの積極的な社会参加、
問題意識の高さと、その真剣な
取り組みに感心してばかり
してはおれない。
現在地球・北半球全域に
脅威となる可能性を秘めている
福島原発を始めとする核に関わる
政治・世界情勢は、日本政府の
緩慢に見える事故対応に、
微力ながらも
"私が日本人として出来ること
は無いか"と
心休まる思いがしない日々を、
地震速報と天気予報を確認しつゝ
日本に居る家族に大事のないように
祈るような気持ちで、過ごしている
のが偽りのない気持ちだ。
何処かに、10億円程
落ちていないかなぁ・・・😇
