4月21日 火曜日 2015 ベルリン 晴れ



毎週火曜日の午後からは、
子供たちの個人・小人数の
グループレッスン。

月曜日の合奏練習と違い、
大抵は仲の良い友達同士や
実力が近い子達が、1人2人と
時間差を置いて集まって来る。

自尊心の強い子や、特別に
聞いて欲しいものがある子は
大抵1人でやって来る。
(大勢だと今更聞けないことも
あるらしい)
他の子よりも上手く課題を
こなせている子に
ワザと此方から質問して
「どうして、君はそう上手に
演奏出来ているのか」と
本人に説明させると、子供同士の
理解している範囲で
彼らの実感と言葉で、
一生懸命説明してくれる。

私の、余計な専門的な
知識の凝り固まった
頼り無いドイツ語での
説明よりも単純明快。
返ってそちらの方が話が早い。
実際に大抵の子は、素直に
言われた通りに試して
徐々にではあるが、コツを
掴んで確実に以前よりスムーズに
演奏できるようになってくる。

今まで出来なかった事が、
出来るようになってくると
誰でも表情にすぐに変化が
出てくる。

そんな彼らの伸び伸びと、
生き生きとした表情が好きだ。

楽器演奏を伴う音楽表現は、
苦しんで習得できるものは少ない。
特に興味を持ったばかりの彼らの
今にはもっと楽しむ事を
味わって欲しい。

金属を未発達な柔らかい唇や、
小さな手に無理に押し当て続けて
しまったために出てしまう痛みや、
他人よりも上手く演奏できない
ことが恥ずかしい。などという
思いを辛く耐えるような練習よりも
仲間といる安心感や、集中して
練習したり、演奏の後のオヤツの
方が私には、却って価値があると思う。

前回できなかったことが、
今回は出来た。
誰々は今日はよく頑張っていた。
今はこれで充分だ。

苦悩や深い悲しみは人生経験が、
黙っていても望むと望まぬに
関わらず、後で必ず感じさせられて
しまうような時が
来る事もあるだろう。
まだ幼く感情という物を、
よく考えた事のない彼らに
音楽を楽器を使って
「さぁ本当の喜びを(哀しみ)
表現しよう」と
提案しても実感したことがない事は、
表現・体現できない。
むしろ柔らかい感性で、
より多くの喜びを知ってほしい。

願うなら、沢山ある喜びの中に
ホンのチョビットの哀しみで充分だ。

達成感や充実感を得るために、
少し辛抱して楽器を
上手に操れるようになるまでの
時間を丁寧に過ごすしかない。
骨格や歯、筋肉の状態、
時には体と心のバランスが音楽を
思うように表現でき得る状態に
成るまで、楽器をまるで自分の
手足や、顔の表情のように自然に
動かせる様になるまでに
一定の訓練や、繰り返しが必要だ。

子供達に小難しいことを
説明しようと虚しい時間を
費やしようと試みるよりも

嬉しくて自然にスキップや、
口笛を吹いてしまう。
寂しくて独りボッチの気持ちや、
苦手な自転車についに
乗れるようになって思わず
"バンザイ❗️"となった瞬間の
共通の経験を通した感情の例が
解り易いと思う。

乳児が歩けるように成るまで
歩行訓練や、会話を習得する為に
何度もそれらを笑顔で
繰り返すように・・・


結局、私が出来るのは
その彼等の側でオロオロしながら、
自制と忍耐、ユーモアを持って
ドッシリと見守ってあげる事
位しか出来無い。
私の拙い経験から、ほんの少しだけ
手助け出来ることをするだけだ。

ヤンチャ坊主トランペット
二人組のF、P君はと練習の
合間にもゲームの話(おなじみ
スーパー・マリオ)に夢中だ。
私がトランペットでテーマ曲を
演奏すると、途端に目を
輝かせて集中力が抜群に違う。

今のところ2人の目標は、
スター・ウォーズのテーマ曲を
数曲モノにすることになったようだ。

彼等より少し年長だが
初心者のLさんは、感情の
起伏がハッキリとしている。
(今日もやって来て、イキナリ
23年間可愛がった飼猫が
死んでしまったと言って)
大きな目から涙をボロボロ流す。
彼女にとっては、お兄ちゃんの
ような存在だったのかも知れない。
だって彼女はたった10歳だもんなぁ。

それでもレッスン後のオヤツの
事は気になるらしい(少し安心😚)

やっぱり少人数の方が私も含めて、
生徒もお互いリラックス
出来ているようだ。

昨日は後半集中力が途切れてしまった
C君も、今日は快調で
毎日レッスンに来たいと言い出した。
(エサのやりすぎかとも思ったが、
本人はマジで演奏出来る事を
楽しんでいる)
細く長く続けて欲しいと思う。
今日も自分の演奏を録音、
昨日の演奏と真剣に聞き比べている。

両親がウクライナ出身のK君は、
慣れない大きなチューバに挑戦中。
最初はまだ体の小さい彼には、
トランペットを渡してあった。
ある日楽器庫にあるチューバを
発見してコンバート。
楽器が椅子に独りで座っているような
有様で、小学校3年生の本人は
楽器よりも本当に体が小さい。
(ドイツ人は小学生低学年までは
痩せっぽちが多い。
普段何を食べているのだろうか?
そして何時あんなにデカく
育つのだろうか)
彼のガッツに敬意を表して、
演奏経験者のお父さんに
(彼がチューバに挑戦したい理由が、
ここにあったかもしれない)
教会所有のもう一台のチューバを
貸し出す話を勧める。
私も最近は彼の側で並んで
チューバを吹く。
やはり目の前で自分の耳からも
実際に音が入ってくると
理解度が断然違う。
私は自分の大事なコンサート前には、
このようなレッスンは
中々して上げられないけれども、
出来るだけ機会を増やす方が
彼のためには大切だと感じる。

何よりも親子で一緒に練習できれば、
微笑ましく思える。
(隣近所との関係が大事だけれども・・・)




小学校卒業間近で、5月以降
ポザウネン・コアーを続けるか
迷っているLさんはトランペットから、
トロンボーンに楽器を
変わった。

最近の子どもは、体に芯の入って
いないようなグニャッとした
姿勢で椅子に腰掛ける子が
多いような気がする。
(学校での授業は、どのように
過ごしているのだろう)

彼女も体格は良いのに
(十分に使いこなせるサイズの
楽器を与えてある)
足をブラブラさせたり、腰が
演奏を支えるポジションに
成って居なくて燃費が悪い。

無駄な力が妙なところに
入っている様で
息遣いに気を付けて豊かな音で
確り演奏する練習を
中心にシツコク繰り返させる。

彼女は最近ギャラリーを
連れてくる(自分の勇姿を
披露したいらしい)
今日は教会の中に設置されている
グランド・ピアノを弾きに
自分のトロンボーンのレッスン後、
エキストラにもう一度やって来て
3、40分も弾いている。
私が聴いても簡単な曲をおかしな
調性で、無理矢理弾こうとするので
つい手と口を出してしまう
(彼女はそれをどうも狙っているようだ)
暫く放って好きな様にさせて
置く事にする。

トロンボーンは、伸び縮みする
スライドで音の高さを自分の耳で
聴きながら調節しなくてはいけない。

ピアノで正しい音を探す訓練は、
彼女が好きになった楽器を
続けていく上で必ず助けになる。
何事も、集中して根気よく仕上げて
行けば何時の間にか
形になっていく。

トロンボーンの練習もそれ位
シッカリやって欲しい。
最近は彼女のトロンボーンを
持ち帰る為に、お母さんが
自分お仕事を終えて下校時間に
併せてやって来る。


仲良しグループのM、Lさんは
グループの中でも主戦力。
楽譜も読み替えで演奏できる。
楽器も基本的な操作と演奏歴も
他のメンバーよりも長い。
楽器演奏もだいぶ手慣れて来ている。
Lさんは、お母さんが頑張って
個人用の楽器を6ヶ月前に
購入した。折れそうなくらい体の
線の細い子だ。
Mさんに誘われてトランペットの
レッスンを受け始めたが
見かけによらず元気いっぱいだ。

Mさんは6才でトランペットを
始めた。
全くの0から始めた
私にとっても全く未知の領域の
生徒の1人だ。
姉のAさんの影響か、小学校付属の
合唱でも歌っていたり
ガールスカウトをLさんと一緒に
参加していたり、ピアノの個人教授を
受けたりしていて、エネルギッシュな
生活を送っている。

2人はこれからも是非仲良く、
小鳥のように賑やかに
子猫のようじゃれ合いながら、
グループを引っ張って行く様な
存在に育って欲しい。


因みにポザウネン・コアーの
ポザウネンとはドイツ語での
トロンボーンの事。

アメリカでは同様な形態の
金管バンドのことをトランペット・
コアーと呼んでいる。

ドイツのポザウネン・コアーでは
伝統的に、ピアノ譜から
そのまま移調しながら演奏する
習慣がある。

中年以降の世代だとトランペット用に
移調された楽譜で
演奏できないという人もあって、
理論上は正しいのだけれども
将来的に移調読みのできない
演奏者になってしまう可能性があり
指導者の看過できない問題だと思う。

ここに少し、頑固なドイツ人気質を
見るような気がする。

金管楽器は移調楽器と呼ばれる
ものも多い。
実際にホルン、チューバは、
Fの楽器。その他にはC、Bbもある。
トランペットと、トロンボーンは
Bb管が主でほかに
Es、G、A、Cがトランペットには
有り、専門的になるほど
使用度が違ってくる。
それぞれの音を基音に異なる管の
長さで、音色もかなり
変わってくる。

管に息を吹き入れることで
演奏することのできる管楽器は
一般的に、長く径が大きなほど
暗めで低い音が出る。
短く小さな径ほど、明るくて
高い音が出る。
材質も金属は硬め、木は柔らかい
音がする傾向にある。

将来本格的に、オーケストラ等でも
アマチュアやプロの音楽家
活動として演奏活動を経験する
可能性のある子供達は、
最初から金管楽器の宿命として
複数の楽器の操作と、楽譜の
読み方に音楽理論の初歩としても
(移調済みの楽譜と実音で書かれた
楽譜以外にも)
低音部記号と高音部記号
(ピアノの右手と左手)は
読めたほうが良い。
間違いなく正確に演奏できると
いうよりも、慣れ親しんだ、
違いがわかる状態になって
おいたほうが良いと思う。

あとは体の成長と自分の感性に
従って楽器を生涯の
友の1人としてくれたら嬉しい。

音楽を、学校教育の場で余り
真剣に教えて貰えなくなったのは
非常に残念だ。

又、金管楽器の演奏は、
子供達に体力的に高音域の演奏が
まだ無理な場合もあるので、
指導者の的確な判断が必要だ。
今は手軽な楽譜作成プログラムを
利用して、誰でもコンピューターを
使って作成できる。
指導者は是非それらを活用するべき
だと思う。

Aさんは昨日に引き続き風邪で
お休み。
替わりというか、お父さんの
W氏もトランペットのレッスンを
1年ほど前から受け出した
(普段は月曜日のレッスンを親子
3人で受ける)
今日はやはり仕事を終えて、
かなり遅い時間に来たが
少しの時間を惜しみながら、
愉しんで楽器で音楽を演奏する事に
取り組んでいる。
薬学を収めた後、医療事務に
従事していて子供の送り迎えと
家事の多くを彼が担っているようだ。
奥さんは共働きだが、拘束時間の
長いやはり医療関係の
専門職をされているようだ。

色々な家族の様子も、
子供達を通して垣間見えたりする。

大人のリアクションを子供は
真剣に観ている。

火曜日のレッスンは、
細かい所まで目が届き
一人ひとりの要求や話を
じっくりと聞いてあげられる。

フンボルト大学のオーケストラ・
リハーサルの様子は金曜日に。