ドイツへ帰って来てからの、ハイ・テンション/躁状態、ブログ書きまくり
熱も、小康状態(普段の)ロー・テンションへと戻りつつあります。

帰って来てから、たった2週間で13件も有ったドイツで契約している
携帯電話の留守番電話への用件も、一通り事後処理を済ませる事に
集中出来た週末でした。(充電器の取り違えというお決まりのポカですが、
皆さんにはご迷惑をおかけしました。ごめんなさい)

決算報告書、関係者へのお礼状、必要なら国際電話で直接お礼を述べつつ、
今後のサポートをさりげなく(シッカリと)お願いする事は、
優秀な営業マンとしては、忘れては成らない事。
まだまだ多くの方々のお力を、お借りしなくては成り経たないシガナイ
ラッパ吹きの妄想/プロジェクトですが、皆さん暫しお付き合いを
お願い致します。

沖縄で出会った素晴らしい音楽家の一人に、ジャズシンガーの
与世山澄子さんが、いらっしゃいます。
勝手に聴きに行って、勝手にファンに
成ってしまった訳ですが、本当に素晴らしいと思いました。
こういう風に書くと、ヤスッぽく成ってしまってどうもイヤなのですが・・・

こんな私ですが、ジャズに寄せる並み成らぬ憧れ/熱望はこんな風です。

例えば、コンサートの後余りにも感激して、つい強請ってしまった
ウイントン・マルサリス氏の直筆サインを持っていたり、
一昨年のNY滞在中も、マンハッタンの黒人バーに入り浸ったり、
同じ年のボストン滞在中は、往年の黒人女性歌手の家にステイ(居候)
したり、1992年から、翌93年までの、アメリカ/インディアナ州立大
留学中も、ジャズ教育界/大御所、デイビット・ベイカー氏のクラスを
絶対に無理だ(本当に無理だった・・・しょぼん
と云われつつも、1年間通い通してみたり、
“ベアーズ・プレイス”と云うブルーミントン唯一のジャズ・バーに通ったり
と、とにかくチャレンジだけは続けて居る、憧れのジャズを身直に聴く事の
出来る幸せを堪能できたのでした。

1960年代に、沖縄の基地周辺に有った豪華なジャズ・クラブでデビューを
飾る事で始まった与世山さんのキャリアは、戦後の揺れる沖縄と同様に
一筋縄では、とても説明の付かない人生を歩まれたようです。

迫り来る台風の影響の為か、降りしきる雨と電線にあたる突風の音が
店内にも聞こえて来る様な夜、予定時間を過ぎ颯爽と現れた彼女・・・
たった3人の若造の為に肩肘の張らない、しかし本気が充分に伝わるステージ
こじんまりとした、与世山さん個人経営のクラブ「インターリュード」に響く
ソウルフル・ヴォイスとピアノの寄り添い、支え合う様な演奏に
私はこれからも沖縄へ帰る度に、彼女の “ 生の歌声を心に刻むために ”
通い続けたい場所と、決めたのでした。


トランペット奏者
具志 優