伝えて行くということ・・・

音楽に限らず、人間の生活がある所には必ずと言っても良い程、
何かしらを『伝えて行く』と云う“テーマ”がある様に思われます。

不謹慎だと、怒られるかも知れませんが、〈聖書〉だってあの日あの時、
何があったのか、書かれている事全てが、本当にあった事なのか、
(史)事実かどうかの審議はともかく、膨大な時を経て間違いなく、
沢山の人に読み継がれている(生き残っている)
”人類の負”の記憶でもある訳ですよね。

石に刻んでまでも、残そうとした事、暗い洞窟の奥に、
人知れず保管されていた事、口伝のみで、その部族にしか伝わらない
秘事など、想像するだけでも憶測が憶測を呼んで、
ロマンに(想像の産物)過ぎないのかと、疑心暗鬼に陥りそうになっても、
それでも、私たちの心の奥底に眠っている

『いや、これは確かに正しい(あった)事だ。次へも是非、
伝えて行かねばなるまい』

という様な、説明の付かない“確信”の根拠は何処から来るのでしょう?

大袈裟なオオゴトではなく、些細な生活の中に幾らでも見つけられる事。

ー家族にはこれだけは理解して欲しいこと。
私の拙いトランペットの個人レッスンに、通ってくる生徒さんに
これだけは解って今日のレッスンを、いつの日か振り返って欲しいこと。
今日の私の演奏を、聴きにいらしてくださった方々に是非とも伝えたいこと。

こんなにも伝えたいことがあったのか、と改めて自分の足許を思わず
見据えてしまいますが、伝わらないもどかしさ、理解して欲しい遣る瀬なさに
身をよじる思いは、誰にだって大小の差はあるものの、
真剣さは皆同じだと思う。

一生懸命な姿に、思わず顔を背けるよりも、寧ろ一緒に
その、痛み/苦しみすらも、分かち合える様な人間に成長したい・・・

そして、確実に次へと伝えて行きたい・・・


トランペット奏者
具志 優