本日はなかなか興味深いコンサートを経験できました。
場所はベルリンから、電車と車を使って2時間30分ぐらい離れた所
"Schweinrich"(シュバインリヒ)=人口1000人に満たない小さな村。
湖も近くにある“原っぱ”に設営された野外ステージがコンサート会場です。
ここは第二次大戦後、かつて占領軍のロシア軍駐屯地だったところ。
旧東ドイツ時代を経て、過去17年間はドイツ軍の軍事・射撃練習場として
使われていたそうです。
近年は、戦闘機も時間を厭わず引っ切りなしに飛んでいた所らしい・・・
一時期は"極秘扱い”で地図にも詳しく載せる事を禁じられた事もあった
場所だそうです。
未だに、何万発もの不発弾の眠る立ち入り禁止区域の場所もある・・・
それが、地域住民の粘り強い返還要請、裁判を経て住民の元に返ってくるー
ホントになぁんにも無い空き地。
草が無造作に生えている“原っぱ”でありました。
でも、村の住人(ドイツ国民)にとって大切な意味のある“原っぱ”
特別に保護しなければならない動植物もない”原っぱ”ですが、
そんな”原っぱ”を取り戻す為に、17年もの歳月をかけて
国を相手に戦った人々がいる事に先ず驚かされました。
「自然を愛するお国柄だから」
「人権について真剣に議論が交わされる国だから」
理由は色々考えられますが
「戦争はもうこりごりだ」
「私たちの住んでいる所,子供達を育てた所と同じ土地で
人殺しの練習はさせたくなかった」
そんな声が、今日も立ち話をしている村人の集まりの
あちこちから聞かれます。
「そして、私たちはとうとうやり遂げたのだ」
「冷静に、粘り強く進められた17年間の交渉は
決して無駄では無かった 」
「視察にきた政治家や,当時の制服組(軍部高官)にも
私たちは喜んでお茶とケーキでもてなしたではないか」
村人の1人でリーダー的な働きをしてきた方が、自分の娘の成長と
村の返還要請運動を振り返りながら、重ね合わせた
優しい思いを、自作のゴスペルに合わせて静かに歌う。
「奇跡は確かに起きた・・・私の娘もここで育ち・・・
今年は孫が出来・・・皆この地で暮らして行く・・・」
17年の間、延べ120回以上の住民集会を開催し、人々が集まる所に
出店が建つようになって、まるでお祭りのようです。
お茶やケーキ、ワインやビールを持ち寄って和やかに過ごす1日。
子供も大人も一緒に音楽に合わせて歌ったり,踊ったりして
夏休み最後の日曜日を“原っぱ”で過ごす。
今年も軽く2000人以上の人々が集まり、報道カメラの姿も
見受けられました。
「ドイツ中から関心を寄せられ、訪れた人々は延べ2万人を
下らないだろう。」
「“原っぱ”が返還されても得をする者は誰も居ない。
寧ろ国は使用終了に伴う整地すらしてくれない。」
「今日の集会が最後だ。もう集会をする必要は無くなったのだ。」
「後は家族で、“原っぱ”を楽しめばいい。」
そんな声が、原っぱを流れる爽やかな風と共に
あちらこちらで囁き交わされている。
そんな村人達の選んだテーマ曲が、何故か J,S.バッハ作曲
「ブランデンブルク協奏曲」2番。
デモ行進をしている時に、参加者の持ち込んだCDラジカセから流れ出た
お国を代表する大作曲家の素敵な曲に、参加者はシュプレヒコールを
あげる事すら忘れ、皆黙って音楽に聴き入りながら行進したそうです。
確かに村はブランデンブルク州にあるけれども、“なんで何だろう?’
’こんな事、実際に起ることあるんだろうか?”“なぁんで?”
と私の頭の中で疑問は大きくなる一方でした。
「過去16年間はCDで我慢したけれども、”集会最後の年”になるであろう
今年は是非、生演奏を聴きたい。」
そのような人々の切ない思いを実現させようという経緯で、
私も参加する事になった演奏会でした。
でも、演奏曲目はかの難曲 J,S.バッハ作曲
「ブランデンブルク協奏曲」2番。
トランペット吹きにはあこがれの(超難)曲です。
仕事のお電話を頂いてから約1ヶ月、「準備」
やりましたよもぅってくらい・・
この曲は17、18世紀のバロック時代に、いったいどんなスンゴい
トランペット吹きが居たんだよってくらい音楽的に完成・洗練されています。
(居たんですよ実際、ライプチッヒにかの有名なライヒャさん)
先ずソリスト、ヴァイオリン、フルート(オリジナルはリコーダー)
オーボエ、とトランペットという当時(今も?)花形スター(楽器)
ーに弦楽合奏団というユメの様な形態です。
通奏低音としてファゴット、チェンバロ=野外演奏でしたので
シンセサイザーで代用の編成。
朝、11時に学校の建物の中で始まったリハーサル(合わせ練習)から
弦楽アンサンブルと一緒にマイクを通してバランスを取る
サウンドチエックまで、都合何回演奏したんだろ・・・
「あんなに何度も練習させられて,サウンドチェックでも全部通して。
あんた大丈夫?」って、私のスタミナを心配してくださっているの?
それとも私の頭の中の飽和具合のことですか?
この曲は音楽的に高度なアプローチはもとより
更に体力、持久力を要求される。
伴奏役の市立音楽学校オーケストラの皆さんに
「自己練習しなかったでしょ?」と軽く冗談を飛ばす余裕も無い・・
耐えましたよ。もう・・・(汗
(途中手ェ抜けるとこ、しっかり抜かしてもらいやしたぁ・・・)
おまけに、本番専用のエナメルの靴は、野外ステージ上の余りの暑さに
「溶けるんじゃないか」と本気で思ったし・・・(靴中汗洪水、帰宅後陰干)
催物のメダマの音楽祭が始まって、途中充分休息も取れていよいよ出番です。
でもね,演奏中にお隣のオーボエのおじさん
(マーティン/ブルガリア人50代ヤサ男)とフレーズの応酬をしたり
トリルを掛ける場所の真似っこなど駆け引きを楽しんで頂かせました。
ソロヴァイオリン(クリストフ/ロシア人、40代後半メタボ)の
ステージ上の風に煽られた楽譜との息をのむバトルや
フルート(クリスティアーネ/ドイツ人、50代おかあちゃん)の
どっしりとした肝っ玉振りを横目で観察しつつ、演奏を続ける・・・
徐々にまとまって行くオーケストラ。いいなぁ音楽って・・・
と至福の1日を過ごせました。
美しく完璧な姿で再演するのは、コンサートホールの中でだって難しい。
今の自分の実力じゃ、ハッキリ言うとかなり苦しい・・・。
それでも私を信頼して、お仕事をくださった方々の為に—
一度お受けしたからにはと、気ばっかりあせって空回りのアツい気持ちも
掛け合わせて臨みました。
演奏終了と同時に、ロック・コンサートの様な雄叫び、指笛!
こっちの目頭がアツくなってしまいました。
「音楽を、平和を愛する人たちがこんなに居る。」
素晴らしい事だとは思いませんか?
私の生まれ故郷沖縄も、いつの日かそんな事を心から誇れる日が
来る事を祈って・・・
2009年8月23日 ベルリンにて
トランペット奏者 具志 優
場所はベルリンから、電車と車を使って2時間30分ぐらい離れた所
"Schweinrich"(シュバインリヒ)=人口1000人に満たない小さな村。
湖も近くにある“原っぱ”に設営された野外ステージがコンサート会場です。
ここは第二次大戦後、かつて占領軍のロシア軍駐屯地だったところ。
旧東ドイツ時代を経て、過去17年間はドイツ軍の軍事・射撃練習場として
使われていたそうです。
近年は、戦闘機も時間を厭わず引っ切りなしに飛んでいた所らしい・・・
一時期は"極秘扱い”で地図にも詳しく載せる事を禁じられた事もあった
場所だそうです。
未だに、何万発もの不発弾の眠る立ち入り禁止区域の場所もある・・・
それが、地域住民の粘り強い返還要請、裁判を経て住民の元に返ってくるー
ホントになぁんにも無い空き地。
草が無造作に生えている“原っぱ”でありました。
でも、村の住人(ドイツ国民)にとって大切な意味のある“原っぱ”
特別に保護しなければならない動植物もない”原っぱ”ですが、
そんな”原っぱ”を取り戻す為に、17年もの歳月をかけて
国を相手に戦った人々がいる事に先ず驚かされました。
「自然を愛するお国柄だから」
「人権について真剣に議論が交わされる国だから」
理由は色々考えられますが
「戦争はもうこりごりだ」
「私たちの住んでいる所,子供達を育てた所と同じ土地で
人殺しの練習はさせたくなかった」
そんな声が、今日も立ち話をしている村人の集まりの
あちこちから聞かれます。
「そして、私たちはとうとうやり遂げたのだ」
「冷静に、粘り強く進められた17年間の交渉は
決して無駄では無かった 」
「視察にきた政治家や,当時の制服組(軍部高官)にも
私たちは喜んでお茶とケーキでもてなしたではないか」
村人の1人でリーダー的な働きをしてきた方が、自分の娘の成長と
村の返還要請運動を振り返りながら、重ね合わせた
優しい思いを、自作のゴスペルに合わせて静かに歌う。
「奇跡は確かに起きた・・・私の娘もここで育ち・・・
今年は孫が出来・・・皆この地で暮らして行く・・・」
17年の間、延べ120回以上の住民集会を開催し、人々が集まる所に
出店が建つようになって、まるでお祭りのようです。
お茶やケーキ、ワインやビールを持ち寄って和やかに過ごす1日。
子供も大人も一緒に音楽に合わせて歌ったり,踊ったりして
夏休み最後の日曜日を“原っぱ”で過ごす。
今年も軽く2000人以上の人々が集まり、報道カメラの姿も
見受けられました。
「ドイツ中から関心を寄せられ、訪れた人々は延べ2万人を
下らないだろう。」
「“原っぱ”が返還されても得をする者は誰も居ない。
寧ろ国は使用終了に伴う整地すらしてくれない。」
「今日の集会が最後だ。もう集会をする必要は無くなったのだ。」
「後は家族で、“原っぱ”を楽しめばいい。」
そんな声が、原っぱを流れる爽やかな風と共に
あちらこちらで囁き交わされている。
そんな村人達の選んだテーマ曲が、何故か J,S.バッハ作曲
「ブランデンブルク協奏曲」2番。
デモ行進をしている時に、参加者の持ち込んだCDラジカセから流れ出た
お国を代表する大作曲家の素敵な曲に、参加者はシュプレヒコールを
あげる事すら忘れ、皆黙って音楽に聴き入りながら行進したそうです。
確かに村はブランデンブルク州にあるけれども、“なんで何だろう?’
’こんな事、実際に起ることあるんだろうか?”“なぁんで?”
と私の頭の中で疑問は大きくなる一方でした。
「過去16年間はCDで我慢したけれども、”集会最後の年”になるであろう
今年は是非、生演奏を聴きたい。」
そのような人々の切ない思いを実現させようという経緯で、
私も参加する事になった演奏会でした。
でも、演奏曲目はかの難曲 J,S.バッハ作曲
「ブランデンブルク協奏曲」2番。
トランペット吹きにはあこがれの(超難)曲です。
仕事のお電話を頂いてから約1ヶ月、「準備」
やりましたよもぅってくらい・・
この曲は17、18世紀のバロック時代に、いったいどんなスンゴい
トランペット吹きが居たんだよってくらい音楽的に完成・洗練されています。
(居たんですよ実際、ライプチッヒにかの有名なライヒャさん)
先ずソリスト、ヴァイオリン、フルート(オリジナルはリコーダー)
オーボエ、とトランペットという当時(今も?)花形スター(楽器)
ーに弦楽合奏団というユメの様な形態です。
通奏低音としてファゴット、チェンバロ=野外演奏でしたので
シンセサイザーで代用の編成。
朝、11時に学校の建物の中で始まったリハーサル(合わせ練習)から
弦楽アンサンブルと一緒にマイクを通してバランスを取る
サウンドチエックまで、都合何回演奏したんだろ・・・
「あんなに何度も練習させられて,サウンドチェックでも全部通して。
あんた大丈夫?」って、私のスタミナを心配してくださっているの?
それとも私の頭の中の飽和具合のことですか?
この曲は音楽的に高度なアプローチはもとより
更に体力、持久力を要求される。
伴奏役の市立音楽学校オーケストラの皆さんに
「自己練習しなかったでしょ?」と軽く冗談を飛ばす余裕も無い・・
耐えましたよ。もう・・・(汗
(途中手ェ抜けるとこ、しっかり抜かしてもらいやしたぁ・・・)
おまけに、本番専用のエナメルの靴は、野外ステージ上の余りの暑さに
「溶けるんじゃないか」と本気で思ったし・・・(靴中汗洪水、帰宅後陰干)
催物のメダマの音楽祭が始まって、途中充分休息も取れていよいよ出番です。
でもね,演奏中にお隣のオーボエのおじさん
(マーティン/ブルガリア人50代ヤサ男)とフレーズの応酬をしたり
トリルを掛ける場所の真似っこなど駆け引きを楽しんで頂かせました。
ソロヴァイオリン(クリストフ/ロシア人、40代後半メタボ)の
ステージ上の風に煽られた楽譜との息をのむバトルや
フルート(クリスティアーネ/ドイツ人、50代おかあちゃん)の
どっしりとした肝っ玉振りを横目で観察しつつ、演奏を続ける・・・
徐々にまとまって行くオーケストラ。いいなぁ音楽って・・・
と至福の1日を過ごせました。
美しく完璧な姿で再演するのは、コンサートホールの中でだって難しい。
今の自分の実力じゃ、ハッキリ言うとかなり苦しい・・・。
それでも私を信頼して、お仕事をくださった方々の為に—
一度お受けしたからにはと、気ばっかりあせって空回りのアツい気持ちも
掛け合わせて臨みました。
演奏終了と同時に、ロック・コンサートの様な雄叫び、指笛!
こっちの目頭がアツくなってしまいました。
「音楽を、平和を愛する人たちがこんなに居る。」
素晴らしい事だとは思いませんか?
私の生まれ故郷沖縄も、いつの日かそんな事を心から誇れる日が
来る事を祈って・・・
2009年8月23日 ベルリンにて
トランペット奏者 具志 優