報われない努力があることは とうに知っていたんです | グリーフという愛のかたち

グリーフという愛のかたち

2018年秋 20歳の娘が天に還っていきました 

いのちさえあれば。
生きてさえいれば。
大抵のことは
どーにかなるでしょう と
そうやって生きてきたクチです

が。
ここにきて
どーにもならないもの。
を改めて実感する状況が
目の前に広がりました

ご縁をいただいた
新たな夕方の場所は
ヒトが優しいところでした

業務がわからないことや
ついていけないことにも
不安はありませんでした

 初めてなんですもの。
 当たり前。
 と思えました

 そのうち
 出来るようになる。
 とも思えました

ただひとつ
ヒトの顔を憶えることは必須
という業態が
私には致命的だったのです

 相貌失認。

 ヒトの顔を認識して
 記憶に残す
 ということが
 私の最大の難点です

『ヒトの顔や名前を
 なかなか憶えられないの』

そんな声は
ときどき聞くのですけれど
比じゃないくらい
私には困難です

 努力や頑張りで
 どーにかなるもの
 とは違います

例えば
制服など
同じものを纏ったヒトが複数
いたとき
私には個人を判別すること
ができません

例えば
帽子ひとつ被っただけで
目の前のヒトは
知らない初対面なヒト
になります

そんな自分の性質に
気づいたのは
かれこれ半世紀前。
就学前の頃でした

 親とお買い物へ行って
 頻繁に迷子になったのも
 人混みのなかから
 親を見つけられなくなる
 からでした


周囲は仰います
『誰でも最初はそうよ』
『徐々におぼえたらいいのよ』
『大丈夫よ』
 って

 励ましてくださっている
 のでしょう
 応援してくださっている
 のでしょう

いえいえ。
私 知っているんです

エネルギーが枯渇する自分も
その顛末も
 

運動音痴なヒトが
スポーツ選手を目指さない
のとおなじようなことです

 でも。
 ちょっとだけ
 悔しいと思いました
 
 目に見えない類いの困難に
 周囲の理解は及ばない
 という
 ずっと変わらずある現実に

 ちょっとだけ。ね
 ( ̄ー ̄)


私 その部分は
努力したり頑張るところではない
と思っているんです