娘はナニを知ったのだろう | グリーフという愛のかたち

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2018年秋 20歳の娘が天に還っていきました 

居酒屋で働いていた娘の接客は

『その人のさいごに会った人が
 自分になるかもしれないから』
という想いが元になっていました

一期一会。


それは
次に繋げたい営業戦略でもなく
心の底から
その想いだけでの行動でした

語っていたのは
若干19歳の頃。


娘は
いつのときか
ナニかを知ったような気が
するんです

 儚さ。
 脆さ。
 尊さ。
 
 戻せないとき。


娘と話ができていた時間。
訊くことができた時間。

 いつか
 訊いてみよう

 と思ってた「いつか」


私も
ナニかを知った
のかもしれません

ときが経つほどに
娘に伝えたいごめんねを
見つけるのが得意になった
みたいです

 でも
 ごめんねは
 娘の目をみて
 伝えたいから

 今は
 ありがとう。 だけ





美容院へ行きました

オーダーは
いつも娘の写真から

「こんな感じで」


カットしている最中
美容師さんが
『今 一瞬
 娘ちゃんに見えた!』

と仰ってくださって
ワタクシ
なぜか 合掌( ̄人 ̄) 笑

なによりも嬉しい
有難し

 
 娘の面影を
 私はずっと追っている