日本人の「合い」「合わい」第2段 ◇◇◇
合いは西洋的からの愛とは異なる。日本人に愛という漢字は「愛しい」=いとしい かなしい その両方の意味をもっていたようです。
ですから明治となってLOVEの訳語として愛という漢字をあてて訓読みを「アイ」としてのは正しいのかどうか…疑問です。むしろ誤っていたのではと思うのですね。
日本人として本来持っていた「アイ」いう訓読みからの本質はまさに「合い・合わい」であった。精神的な領域を捉えています。
合わい=間あわいであったようです。まさに「間」だったのですね空き処という意味だそうです。その間・空間は重なる、交わるということの間・ま。AとBとの間のに空間があったり、あるいは重なっている状態のようです。
そこで面白いのは 合いと合わい このあわいは当然に合いが語源。そして文字的に解釈すると あらゆる「和」ということに。感覚的に言えば「あわい」とは、それぞれが独立して存在するのではなくしてすべてを含んでいる状態。どのような状態であろうとも 大きな視点で「ひとつ」であること。その中に個々の合うA―Bが統合されてひとつとなっている領域を指しているような感じです。
簡単に言うと ひとつの村 例えば100人の村人。個々では知らない人・関係ない人であったとしても みんな仲間である。家族である。兄弟である。みんなでひとつという感覚。その日本人が持っている感覚が「合い」であり「合わい」なんだという解釈になります。その豊穣たる精神文化は 西洋的なLOVE愛とは異なるということをある学者さんが言っていた。
逆に言えば 愛という概念を深堀していくと それは合いであり合わいであり 規模や次元は異なるけれども「ひとつ」同じという意識・観点はとても大事だなあとわたしは思ってしまっています。
そんな事から 愛とは何だろうか?を追求していく中で 合い・合わいを知って そうか「ひとつである」「同じである」という視点が生まれたのは事実でした。
その「あわい」の解釈、まだまだ面白い観点がありまして日本人て凄いなあと追っかけていってます。次の展開行きますね~~~。随分と勝手な解釈かも知れませんが感覚的に受け取って下さると嬉しいです。
愛が難しい わたし。恥ずかしいですがホントです
画像はわたしが描いた地球さんお月さんとわたしのつもり(笑)
