元プロボクシング
WBC,WBA世界ミニマム級王者で
指導者として
井上尚弥さんら
数々の世界王者を送り出してきた大橋ジムの
大橋会長(55)に
見知らぬ女性から突然
SNSメッセージが届いた。
4月下旬の早朝。
コロナ禍で延期された世界バンタム級
統一王者
井上尚弥選手の
世界戦に関し
ネットで情報収集していた
大橋会長は
女性からの言葉に
胸を熱くされた。
💌 ほぼ毎朝、彼と同じ車両にいた
当時の女子高生です。
私と同じドアから乗るようで
いつもカッコいいなと思っていました。
何度も痴漢されるのを
守ってくれました。
・・・・・・・・・・・
……… 報道される写真を見て腰を抜かし
事故のあと
間違いであって欲しいと
いつも車内で探しました。
どうしても会えなくて
でも現実を受け入れるまで
たくさん泣きました。
私のような、友達でもなんでもない
ただ同じ電車で
よく会うだけの存在だった者にも
優しかった
富久くん
本当にありがとう
ごさいました 💌
「痴漢から守ってくれた」
同じ電車で
恋心を抱いた女性から
事故で亡くなった
富久 信介さんへ
🍂
日比谷線脱線衝突事故
2000年3月8日午前9時1分
東京・目黒区の中目黒駅付近で
走行中の地下鉄日比谷線上り線
電車の5、6両目が急カーブか
ら直線に移るところで脱輪。下
り電車と衝突し、乗客5人が死
亡(63人が重軽傷)。富久さんは
期末試験に合わせていつもより
遅らせての登校だった。
── ほぼ毎朝、彼と同じ車両にいた
当時の女子高生です。
いつもカッコいいなと
思っていました ───
東京・麻布高2年だった富久さんは
横浜市の自宅から高校まで
東横線と
地下鉄日比谷線を利用。
彼女はいつも同じドアから乗り込む彼が
気になっていた。
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高校で自らボクシング部を創部するほど
行動派だった富久さんの
夢の一つが
プロボクサーになること。
夕方には大橋ジムで鍛練した。
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「文武両道という感じ。
『会長、将来は事業を興して
ジムのスポンサーになります』
とも言っていた。
ボクシングでもプロに
なれたと思う」
と大橋会長。
正義感にあふれ、電車内で何度か
痴漢に遭う彼女を
助けたという。
─── 彼が守ってくれました。
とても優しい。
話したこともないけど
優しさを向けてくれた ───
だが、事故が彼女の目の前から富久さんを
奪った。
─── 間違いであってほしい ───
と連日、車内で探し続けたが
─── どうしても会えなくて
現実を受け入れるまで
たくさん泣きました ───
彼女のメッセージを大橋会長はすぐに
富久さんの父・邦彦さん
母・節子さんに転送した。
両親はうれしくて涙が
止まらなかったという。
「武骨でシャイでプライドが
人一倍高く
口数の少ない奴でしたので
彼女は
いないんだろう、できないだろう
と思ってました」
という邦彦さんと節子さんは
彼女に返信を送った。
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「お優しい心遣いに何度も
読み返し
うれしくて少し悲しくて読むたびに
涙が止まりません。
・・・・・・・
中高は男子校で全く
異性の影すらなかったのです。
武骨でシャイでプライドが人一倍高く
口数の少ない奴でしたので
彼女は
いないんだろう、できないだろう
と思ってました。
・・・・・・・
恋愛の一つも知らずに旅立った
と思うと当時は
不憫で悲しくて、その思いは
今でも
変わりません。
あなたのお便りを拝読して
あいつにも
『守ってやる』
女性がいたんだと。
お互い名前も知らなくても毎朝
電車に乗り合わせる
女の子
彼奴は時間も車両も合わせていたのでしょう
間違いなくあいつの
『初恋』
です。
少しでも恋する心、愛する心を知って
旅立ったと思いたいのです。
あいつの短い生涯に
最後に花を添えていただいて
ずっと涙が止まりません。
近い将来あの世であいつと再会
できたら
あなたのことは
必ず伝えます」
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と思いをしたためた。
5歳の息子さんを持つ母となった彼女は
返信を受け取り
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「ありがとうございます。
お返事を頂き
私も涙が止まらなく、クラクラして
しばらく立って
いられませんでした。
・・・・・・・
楽しそうに参考書を広げてる彼のこと
私は大好きでした。
今でも
その姿が思い出せます。
5歳の息子にも
彼の話はずっと前からしていて
本物のヒーローは日常にいる
と伝えてます。
真の意味で
かっこいい男になりなさいと。
(電車で)中目黒を通る時は必ず思い出し
ありがとうって
心の中で
言い続けてきました。
やっと、やっと、彼の
素敵な姿を
伝えられ
ご両親に聞いていただけたこと
うれしくて
ほんとうにうれしくて。
・・・・・・・
事故のあと、たくさんの人に
彼の話を
してきました。
これからも伝えていきます」
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と感激に浸った。
「コロナで悲しいニュースばかりの中
とても感動したお話なので
公表させていただきます」
と
20年後のラブレターを
"配達"
された
大橋会長。
節子さんには少し早くて、とてもうれしい
母の日
の贈り物となりました。