この家に生まれたからこそ、経営者になった。
…なんて言葉にすると、ちょっと運命っぽく聞こえるかもしれないけれど、
正直、最初からそんな覚悟があったわけではありません。
私が最も影響を受けた人。
それは、やっぱり父です。実の親であり、志の設計者でもある人。
父は地方の県庁職員として定年まで勤め上げ、なんと65歳で病院を創設しました。
それはもう、人生の“第二章”どころか、“本当に生きたかった章”の始まりだったのだと思います。
私は今、その父と同じ年齢になって、ようやく思うのです。
あれって、ものすごいタフな挑戦だったのだと。
改めて、勝てません。あの行動力と精神力には、完全に脱帽です。
しかも医師でも福祉の専門家でもない父が、病院をつくる――
それってどういうこと?と思いますよね。
でも、父には明確な信念がありました。
「医療は生活の一部であり、介護は尊厳を支えるものだ」
その言葉どおり、彼は次々に事業を展開していきました。
制度の風を読みながらも、見ていたのは“人の命の時間”。
3年ごとに生まれる新しい施設。地域を丸ごと包み込むようなビジョン。
父の背中を見ながら、私は経営を学んでいったけれど、
最初は「面白そう」「やってみたい」なんて前向きな気持ちばかりではありませんでした。
むしろ、「自分には無理じゃない?」って、思ってました。
父のように大きなことを成す自信なんて、正直持てなかった。
でもね、ある日ふと、こう思ったんです。
「この親のもとに生まれたことにも、意味があるんじゃないか」
誰も継ぐ人がいない。
でも、組織は成長していた。
きっとこれは“自分の番”なんだと。
そうして私は常務理事として入り、3年後には理事長になりました。
父の“潔いバトンタッチ”に、私の中の何かが動いたんです。
事業戦略も、制度も、人材も、数字も――
どれも甘くない。でも、確かに私はそこで、経営者としての筋肉を育ててもらいました。
父とは20数年、一緒に仕事をしました。
どんなときも味方でいてくれた。見放さず、伴走してくれた。
今もなお、父の理念と方針は、組織の中心で息づいています。
親子で同じ理念を信じて歩めたこと。
それは何よりの誇りです。
***
尊敬って、“すごい人だな”と感じるだけじゃなくて、
**「あ、この人の灯が、自分の中にもある」**と気づいたとき、
本物になるんだと思います。
父から受け継いだその灯を、これからも絶やさずに。
私の経営の物語は、そこから静かに始まりました。