どーも、外は10℃を超えているのに、室内は2℃とかのままで震えているクズです。いやまぁ自分のいる部屋は暖房つけてるので寒いとは思わないのですが、それ以外は寒すぎますね。台所に置いてある食器洗い用洗剤がシャーベット状になるほどです。全然そのまま洗えるので何の問題もありませんが。


さて、恒例になりつつある「自主休業中に過去を振り返っておこう」なんですが、今回は大学時代の話です。まぁですね、卒業できなかったってこれまでにも書いているので、碌でもない学生生活だったんだろうなと簡単に予想できるでしょう。本当に酷かったですね。今となってはあの時間も必要だったのだろうと、無理矢理自分に言い聞かせています。肯定的に語れる思い出ではありませんが、暗くなるほどでもないぐらいにはなっていますね。


まず何が卒業できなかった理由かと言いますと、一番は大学で学ぶということはどういうことかというのを理解していなかったことですね。そして、コミュ障ゆえに誰かに教えてもらったりできず、気づいた時には遅かったということですね。

詳しく思い出していきますが、これは私が経験したというだけで、もちろん大学によって違うでしょうし、時代によって変わるものかもしれません。あくまで体験談として笑ってもらえればと思います。まず私が進学したのは国文学科でした。頭は悪い方でしたが、日々使っている言語だからなのか、国語だけはそこそこでした。で、他の教科はそこそこに国語一点集中みたいな勉強の仕方をして、ずっと模試でE判定とかだった志望校に奇跡的に入学できてしまったんですね。当時は嬉しかったんですが、今考えればこれがもう失敗だったんですね。身の丈に合わない大学に入れてしまった。これってついていくのがかなり辛いんですよね。

まぁ、そうは言いつつ自分で受ける授業を選択して時間割を作るというのにも慣れていないし、とにかくあくせくしながら授業の登録なんかをしたんですね。問題はその直後の漢文の授業で早くも発覚します。

外国語に関して、2カ国語が必修だったんですが、基本的には基礎ができている英語と、もう一カ国は自由に選ぶというのが一般的だったのですが、国文学科の学生は中国語を選択するのが当然だったんですね。入学から授業の選択までの間に友達もできませんでしたし、誰もそんなこと教えてくれないんですよ。だけど周りは先輩に聞いたとかでほとんど知っていて、嫌々だろうと中国語を選択している。サークルとかに入ろうなんて余裕もないから、先輩から話聞く機会なんかも無く、知らぬ間に取り返しのつかないミスをしてしまっていたんですね。

どのぐらいのミスだったかと言うと、教授にはどの言語を選択したかまでは知らされないものの、中国語を選択したかどうかをまとめたリストが渡されていて、「中国語を知らない人間に漢文は理解できないから、単位はあげられません」とはっきり言われる始末。それだけが原因ではないのでしょうが、一年目は他の教授が担当しているものも含めて、全ての漢文の授業で単位が取れませんでした。あと同じ授業でも担当する教授によって単位の取得難易度が変わったりもありましたね。そういうのを知らなかったのは大きかったですね。


そしてもう一つ、こっちがより大きかったと思っていますが、高校までと大学では学ぶということの意味が全く違うということを知らなかったんですね。例えば古文の試験で「源氏物語について書け」という問題が出たとします。本当にこういう出題のされ方をします。A3の試験用紙に問題文はこの一行のみ。それに対して「紫式部が記した物語で~」などと書き出すともう不正解になります。「何を根拠に紫式部が作者だと判断したのか」が書いてないとダメなんですね。「今のところ紫式部が作者だというのは通説であって、絶対的な事実というわけでもないから」らしいんですが、そこまで書くのかとかわからないじゃないですか。「○○には紫式部が記したと記載されており~」とか、中には「○○が□□に宛てたとされる書簡には~」とか直接的にこの人が書いたとは言われていないけど、いくつかの記録を積み重ねていくとどうやらこの人が書いたと推測できるみたいなね。そういうのを持ち込み不可の試験で書いていかねばならんのですよ。で、内容や異同についても記していかねばならんのですが、これもいちいち根拠が必要なんですね。それにプラスして自分の考えも述べなければならない。そういうことをやっていると、問題文一行に対して解答はA3では収まらない。裏面まで使用するのが当然となり、表面だけで終わっているものはその時点で「不可」という評価になり単位は取得できない。

まぁそんなことも知らずに進学した私が馬鹿だったのですが、こんなの知らなきゃどうしようもないですよ。高校までで習う源氏物語って一つじゃないですか。源氏物語と言えばこれって固まってしまっている。ところが当時は人の手で書き写すものなので、写本によって少しずつ違ってたりする。それを比較して「こっちにはこう書いてあって、あっちにはこう書いてある。研究者Aは著書『○○』の中でこっちが正しいとしていて、その根拠を○○と述べている。研究者Bは著書『△△』の中であっちが正しいとしていて、その根拠を○○と述べている。仮にAの説を正しいと仮定すると、こういうところでは納得できるが、こういう矛盾も生じる。Bの説を正しいとした場合、ここの意味が繋がりにくいがそれ以外は概ね納得できる。ただし双方の説に生じる矛盾は無視できるものではなく、私としてはここは○○と読むのではないかと考える。その根拠は~」などと気の遠くなるようなことをレポートではなく、試験でしなければならなかったんですよ。

一年目の単位はかなり壊滅的。二年目以降何とか取り返そうとしましたが、裕福な家庭でもなく静かにタイムアップを迎え、大学を去ったことに一人か二人は気付いてくれたかなって感じでした。

学力以前にそういうシステムというか、そういうものを知らず、教えてもらえる相手に出会うことも出来なかった自分が悪いのですが、私にとって完全な暗黒時代ですね。


もう進学が決まっている方も、今まさに受験に向けて努力している皆さんも、受かったら終わりじゃないので、その先の準備をお忘れ無く。下調べは本当に大事ですよ。それと友達はすぐには作れなくても良いけど、話を聞ける先輩とはすぐにでも出会った方が良いですね。いやぁ、勉強って大変なものですよね。