どーも、急に暖かくなったもんで、家の裏にある山から軽く雪崩が押し寄せてきたクズです。とりあえず庭に積もった雪の壁が、少し厚さと高さを増したぐらいで済みました。やっぱり自然のパワーって凄いんだなって、無事だからこそそんなことをのんびり考えられましたよ。

さて、相変わらず戦争のニュースには心を痛めてばかりです。募金ぐらいしかできなくて、それも自分にも余裕があるわけではないから少ない額しかできない。このお金は今困っている人たちに、いつどのような形で届くのか?まったくわからない募金箱に小銭をいれることが、果たして何の役に立つのか?
ただただ己の無力を思い知らされますね。

ウクライナ側が大きく譲歩して停戦協定が締結かなんてニュースが報じられた数時間後に、交渉は決裂し次回以降に持ち越しなんて報じられる。何が正しいのかよくわからない。それだけ情報が錯綜しているということなんでしょうね。

ちょっと規模が違うので、これから書くことをまるまる戦争と重ねないで欲しいんですけど、思ったことがあるんですね。
例えば小学生の頃は仲良くしてた相手がいて、中学に入ったら少し方向性が合わなくなってきた。相手は活発でクラスの中心にいるような存在で、自分は物静かで楽しそうなクラスメートを横目に一人で読書してたりする。
合わなくなってきたから距離をとるようにして、でもクラス内での影響力が大きいから、何かと力を貸してくれたりはする。
相手との関係どうこうより、自分の将来を考えた時に、自分は運動神経良い方じゃないから勉強頑張ろうとか、同じように読書好きの人たちと関係を深めようとかしてたら、何故かいじめの標的にされてしまった。俺を脅かそうとしたとか、難癖つけられてね。

さて、これでいじめられる側にも問題があるという理論は成立するでしょうか?いじめが長引けばつらいのはいじめられる側なのだから、勉強なんかやめて読書好きの仲間との付き合いもやめるべきなのでしょうか?
規模もそれぞれの事情も全然違うので比べることでもないでしょうけど、そんな議論すらバカバカしいと思います。

専門家と言われる人が、ウクライナにも問題はあったとか、ウクライナは一刻も早く妥協して停戦することで国民の命を守るべきだとか言っているのを聞きます。

個人的には戦争のニュースの中でも、そういう場面をみることが一番辛いと感じているような気がします。