どーも、あまりの寒さに11月ってまだ秋だよなと、驚きを隠せないクズです。

ちょっとですね、やっぱりショッキングなニュースを見てしまうと、ほんの少しですけどネガティブに引っ張られる自分がまだいるんですね。
まったく関係ないのにってなっちゃいますね。

正直なところ、私は他者に対して強い感情を抱いたことがありません。それは悪意であっても好意であってもです。
根底には自分は誰かに好かれるようなことも、嫌われるようなこともしてないって考えがあるわけですね。だから何かしらの感情を自分に向けられても、自分には心当たりがないんです。そういう風に思う人もいるんだって感じで、まるで他人事ですね。
外見とか、生理的に無理とかはどうにもできないですし、八つ当たりとか自分のストレス発散のために他者を傷付けるような人とは、拒絶して距離をとる。
そんな風にしてきたから、他人に対して殺したいと思うほど強い感情を抱くこともなかったですし、あいつがいる限り自分はダメだなんて、他者の存在によって絶望するようなこともなかったです。
だからそういう強い感情を抱ける人の気持ちは、申し訳ないけどわからない。
同感や同意はできなくても、共感なら示せるなんて言われたこともありますが、その部分に関しては上手く共感することもできません。

死んだって殺したって、自分の人生は終わってしまう。私はそれをもったいないと思えるんだ。
ここからは完全に臆測でしかないけれど、結局違いはそこなのかなって思う。
もうこんな人生終わっても良いとか、とっくに終わってるんだとか、そういう風に考えてしまうと過激な行動に向かってしまう。
カッとなってとか衝動的にとか、そういうのも多少はあるんだろうけど、人生まだまだ楽しみたいと思っていたら、踏みとどまることはできそうな気がするんですよね。
それは何もマイナスの人生だと思っているものを、プラスに変えるぐらいの変化を求めるわけじゃなくて、マイナスのままだけど光も見えるよって程度にでもできれば、少しはマシになるのかななんて考えますよね。

これを言っては元も子もないんですが、悩みであったり環境であったり、ストレス耐性であったり、何から何までみんな違うんですよね。
だからこれが正解だなんて、どこにもない。みんな求めるものが違う。さらには自分でも何を求めてるかなんて、わからない場合も多い。
だったらたくさんの人に相談してみましょう。家族にも先生にも相談して、求める答えを得られなかったなら、もっと範囲を広めてみましょう。
児相でも保健所でも警察でも病院でも良い。それは死んだり殺したりするより、リスクは少ないし身近な方法ですよ。一回ね、過激な行動を起こす前に試してみることをお勧めします。

あとは自分も若干そういうところがあったんですが、学校やクラス、家族が自分の世界の全てだと思わないことですね。
世界は広い。例えば今いじめられている人が、いじめられない集団なんて山ほどある。
子どものうちは転校とかね、環境を変えるのは難しいかもしれない。でもできないことはない。
家族が問題なら、家族と縁を切るとかも、やっぱり難しいのかもしれません。
それでも可能性はゼロではないんですよね。
狭い範囲しか知らない内に、人生に絶望しないで欲しいですね。
前にも書いたと思いますが、生きてれば良いことあるなんて綺麗事は言いません。私自身、生きてて良かったなぁと思えた出来事なんて、たぶん経験してない。
でも死にたいなんて強く思うこともない。明日もまぁ、生きられるなら生きるかという程度です。
それも悪くないと思いますけどね。

死ぬよりも殺すよりも、誰かに相談する方が簡単ですよ。押し付けるつもりはないけど、試してみてよ。