ご無沙汰しています。
更新をやめようかと思っていましたが、心配してくださる温かいメッセージを頂き、現状報告をします。
医師から余命年内、年は越せないと言われていた私ですが、まだ生きています。
腹膜播種とリンパ節転移。
2回目の手術で全摘した膵臓があった箇所を中心に痛みがあります。
痛みの度合いや頻度は日を追うごとに増えてきています。
クスリのベースはナルサス12ミリが1日1回。
レスキューのナルラピド4ミリが1日8回ほど。
フェントステープは6ミリです。
訪問診療は2週間に1回。
訪問診療の緩和ケア医は以前、がんセンターに勤務していたお優しい女医さんですが、たくさんの患者さんがいるので、訪問診療を受けるのもなかなか大変だな、と感じています。
緩和ケア医にいつも付き添っている看護師がマネージャーのような役割で、マメに私に電話をくれて、病状を医師に報告しているようです。
救急車を呼びたいくらいのレベルの時は、呼ばずに訪問看護ステーションの訪問看護師さんが30分以内には来てくださいます。
血圧や酸素を測り、あとはレスキューのクスリと精神安定剤でウトウトするように指示してくれます。
今の私は要介護2で週3回のヘルパーさんに食事の支度や洗濯をしてもらっています。
緩和ケア病棟への入院も考えますが、がんセンターの緩和ケア病棟はほぼ入れない。
他の病院の緩和ケア病棟への入院も勧められますが、今さら見学したり申し込みしたりの手続きをする体力がありません。
緩和ケア病棟の無料個室を希望していますが、どこもいっぱいだから、通い慣れているがんセンターの一般病棟でも良いかなぁ、と思ったりしています。
まだやらなきゃいけない書類の整理がたくさんある。
ミソと離れなきゃいけないのがつらいし、おうちにいたい。
2021年10月に膵臓がんが発覚しました。
2022年7月に膵頭十二指腸切除。
1日30回〜40回の下痢の後遺症に悩まされながら、エスワンを飲んでいました。
2023年11月に再発確定し膵臓と脾臓全摘の2回目の手術。
しかし、術後から腫瘍マーカーのCA-19-9は上昇し続けて、2024年3月には立てないほどの痛みで救急車でがんセンターへ入院。
1週間で退院して、次男の高校入学式に出席することは叶いました。
腹膜播種とリンパ節転移で余命は夏から秋と診断されました。
(それから、伸びて余命年内と宣告された。)
私はアブラキサン+ゲムシタビンの抗がん剤を最大限に弱くしてもらいました。
一時は腫瘍マーカーの数値が微少したものの、すぐに上がり、結局、 7回しか抗がん剤は出来ませんでした。
今はトイレには行けるけど、入浴はもちろん洗顔や歯磨きがおっくうな状態です。
腹膜播種とリンパ節転移の痛みは凄まじく、ピーク時は息も荒くなる。
陣痛のキターッていう痛みかそれ以上に強いです。
この痛みの中で死ぬのかな、と思ってしまいます。
朝は食べられないことも多いけど、だんだんお腹が空いてくる。
昼間は食べられますし、夜も少しは食べられるから、まだ生きるだろうな。
闘病生活·丸3年を過ぎて、4年目に入りました。
以前は息子やペットと離れたくない、死にたくないと泣くことが多かった。
でも、今はあまりの痛みに早く痛みのない世界へ逝きたい、と思ってしまいます。
お母さんなのに、ロクに食事の支度も出来ない。
痛い、痛い、と眉間にシワを寄せてヨレヨレの姿で唸っているお母さんなんて要らないんじゃないか、と。
でも、まだ未請求の高額療養費や短期間の入院保険の請求、確定申告の医療費控除などやらなきゃいけないことはたくさんあります。
古いマンションの我が家は狭くて、目の前にある管理棟の中にトランクルームがあり、そこの契約を解除しなくてはならない。
お友達が私の大量の服や靴を売ってくれたので、スペース的にも金銭的にも助かりました。
これからどんな痛みがおそってくるのだろう、と考えてしまいがちですが、昨年他界したkoyoriママさんは「最期まで希望を捨てなかった」
と実の妹さんからメッセージを頂いたことがあります。
大好きだったkoyoriママさんらしいな。
私も痛みが少ない時は長男の防衛大学校卒業式配信を見たいなと思ったり、部活を頑張る次男が高2になる姿を見たいな、と思ったりします。
ブログも一時、消そうと思っていましたが、
「安否確認したい」
「闘病記だけでなく、息子さんとの日常が綴ってあるから、消さないで」
と言ってくれるママ友や
「膵臓がんで2回の手術からの腹膜播種として参考になる」
と言ってくれるフォロワーさんがいるので、書ける時に書きたいと思います。 
読んでくださってありがとう飛び出すハート