ピアノと楽器が、構造上「音を持続し続ける事」ができない点にあると思います


ペダルを踏んでいても、「打鍵」によって音がだされる以上、
空間に放たれた音はしだいに減衰していくわけで
ビブラートをかけることはできないし
ましてや一度打鍵された単音の「物理的な」音量が、ひとりでに大きくなっていくなんてことはないし
・・・・「ド」の1音が勝手に大きくなっていったりなんかしたら驚きです(笑)
なので単音で息の長いフレーズを歌いたい時というのは
心で歌ってそのとおりの表現ができるというわけでもなく


だから音の洪水のような曲よりも
結構頭を悩ませることが多い


・・・・深く考えすぎなのかもしれないけど


例えば
Schuman
交響的練習曲の遺作の4番より冒頭の部分↓


譜面を見れば、音数も少ないし
初見もききそうな
簡単な曲

どこでどう歌わせるかとか
どこまで「いい音」で弾けるかとか
バランスはどうかとか
全てがハッキリわかってしまう曲だと思います



でもこういう曲程、自分がどういう人間なのかがでてくるな~と感じます


最初の1フレーズについて

単音でフレーズを長くうたうと考えた時、
「p」という音量(この4番の曲においての音量設定)の中で、
最初の「ド」の音をどの程度の音量音質で弾くか・・・・
あまり小さいと、打鍵後減衰したドの音の次にくるソの音はさらに小さく弾くことになるのて、
フレーズの最後まで息がもたない

歌声であればドの音をたっぷり減衰させることなく歌えるのに

最初の1音で曲の全てが決まってしまうと思ってます


たっぷり歌いたいとこは例えばこんなところ


ここのソは♯なので、ここは短2度


ここのファは♯だから、減5度
どちらも、きっと声でうたうとしたら、音程をきちんととるの難しい場所

ありがたいこと(?)に、ピアノは弾けばちゃんと音程がついた音が簡単にだせてしまうものだから
「音程をつくる」ことについてうっかりしがちだけど、
他の楽器や歌同様に、いつも自分で「ド」の音程「ミ」の音程をつくっている気持ちでいたいです



音程をとるためにたっぷりと時間をかけてうたうのは
ピアノのでも声でも一緒だと思うな

