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人では赦すことができないのである

たとえ人が赦しても、相手の罪はなくならない

そこに罪の恐ろしさがある


聖書は1人1人の人間の歴史にはあまり関心がないということである。


聖書の関心事は、神の召しにその人がどれだけこたえたかということである。

というのは、人間は神に召されることにおいてはじめて生きる意味があるからである。


筆は用いられてはじめて存在の意味があり、

また誰に使われるかによって存在の価値が大きく変わってくる。


この世には、筆がそこにおかれているような

ただ自分の持っているものをすばらしいと自慢している人生があると思う。

それでは人と生まれた意味がない。

私たちはもっと大胆に神に支配される人生を歩んでいきたいと思う。

私という筆がどうであれ、神はその筆ですばらしいものを書いてくださるのである。


(新約聖書1日1章/榎本保郎)


毎日、通勤中に読んでいる本です。

今日電車の中で読んでいたところ↑

本に引かれたアンダーラインを箇条書きしてみました。


「新約聖書1日1章/榎本保郎」

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この本は、今年4月に天に召された教会員の姉妹の形見です。

なぜか私がいただくことになった大切な大切な本です。

(最初のページ上に小さく「4回目S63、2月2日より」と書かれてあります。

ということは何度も繰り返し読まれていた御本だったのでしょう。)


とっても素敵なキリスト者のおばあさまで、私にとって密かにあこがれの女性でした。


姉妹が天国に召される3日前に私達3人はお見舞いに行くことができました。

彼女は話せる状態ではなかったのですが

最後に私と子供達が賛美歌を歌うと

喉が動いてくれました。手を強く握り返してくれました。

握手をして(娘、号泣・・)
再会の約束をしてお別れしました。


私はこの古い大事な本を譲り受けるに

ふさわしい人間になりたいです。


生前にもっとお話しておけばよかった、と悔やむ気持ちがあったのですが、

本に引かれたアンダーラインが

姉妹からのメッセージだと思って、

おしゃべりするように、読んでいます。