これまでの私はどうしてたかというと、
子育てに集中していました。
子育てと音楽、両方できない。
私はビックリするほど器用じゃありませんでした。

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(どこまで文字で正確に、この数年の私の心を現せるかわからないけど、
書いてみます。)
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福間未紗の歌は欠けた心じゃないと歌えない、、欠けた心で歌ってこそやっと完成する歌たち。(言葉で説明するには難しい、私は自分の歌をそんな風にとらえて歌っていたようです。)
これまでの私は、どこかで自分の心の欠けを、福間の歌で埋めているんだと思っていた。
しかしその欠けは、家族や子供の出現で、想像を絶する勢いで埋められていった。
欠けが満たされれば、歌と心にズレが生じる。
そうなったらもう歌ってはいけない。歌う資格がない。ウソになる。
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この6~7年間、主婦&子育てに集中していた。
音楽をしていた頃の友達と会うことは一切なかった。
時々孤独は押し寄せたけど、それを承知で始めた新たな生活だった。
横浜の小さな町で2人の子供を育てながら、
町内会の班長をやったり(回覧板回したり、会費を集めたり、会議のお茶当番やったり、公園掃除したり)
幼稚園の役員やったり、子育てサークルの会計やったり、奉仕活動に参加したり、、、etc。
今までほとんど知らなかった一般社会生活に黙々と身を沈めてみた。
現在の私しか知らない人たちに「○○さん、真面目だよね。」なんて言われながら。
小さな小さな世界で自分が何かの役に立てるのか、調べてみたかった。
○○くん&○○ちゃんのお母さん、という「名前のない存在」に徹底してなってみた。
そんな私にも近づいて来てくれる人はいた。
特におもしろいことも言わず、あたり障りのない会話しかしない、
過去のことは話さない、そんな私にも、
仲良くしてくれる人がいて、ありがたかった。
ただ、たえず私の心は、ギクシャクしていた。
本音と建前・なんて言うけど、
裏表のある人にはなりたくなかったので、
建前と本音になるべくズレがないように、
慎重に生きてみた。
質素で地味な生活だけど健康でたのしい家族。
出産時にいろいろあったので
子供たちが健康で生きてるだけでもう大満足だよ。
ただ時々苦しくなった。
それはなぜだろう?
そんな時
私はよく歌をうたった。
自転車に乗りながら、線路わきを散歩しながら、
人目を避けて、小声で。。。
私の本性て何かしらんけど、
歌ってる時だけは、何よりも自分に正直で、
心にずれがなく、ぴったりしていた。
そして
何よりも自由で恐いものなしなのだった。
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心に欠けがあったんじゃない。
家族ができようが、地に足をつけようが、私の欠けは埋まらない。
あらためてやっと気が付いた。
うしろめたさは吹っ飛んだ。
だったら歌える!福間未紗の歌、全部歌える!
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そんな風に思い出したのが、今年のはじめあたり。
やっとギターを手にしてみた。
バシバシ弾き始めた。
子供たちは嫌がって泣いた。
私が遠くに行ってしまうように感じたらしい。